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No.148
- 回答日時:
ホント君は他人の迷惑考えない自己中な人だね
自己愛性人格障害者なら仕方が無いか
まぁそれはともかく普遍神を含め如何なる神も存在していない私が存在している世界において君の神論なんて廃棄物に変わりがないからね
No.147
- 回答日時:
ホント君は他人の迷惑考えない自己中な人だね
自己愛性人格障害者なら仕方が無いか
まぁそれはともかく普遍神を含め如何なる神も存在していない私が存在している世界において君の神論なんて廃棄物に変わりがないからね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.146
- 回答日時:
ホント君は他人の迷惑考えない自己中な人だね
自己愛性人格障害者なら仕方が無いか
まぁそれはともかく普遍神を含め如何なる神も存在していない私が存在している世界において君の神論なんて廃棄物に変わりがないからね
No.145
- 回答日時:
ホント君は他人の迷惑考えない自己中な人だね
自己愛性人格障害者なら仕方が無いか
まぁそれはともかく普遍神を含め如何なる神も存在していない私が存在している世界において君の神論なんて廃棄物に変わりがないからね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.144
- 回答日時:
ホント君は他人の迷惑考えない自己中な人だね
自己愛性人格障害者なら仕方が無いか
まぁそれはともかく普遍神を含め如何なる神も存在していない私が存在している世界において君の神論なんて廃棄物に変わりがないからね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.142
- 回答日時:
ホント君は他人の迷惑考えない自己中な人だね
自己愛性人格障害者なら仕方が無いか
まぁそれはともかく普遍神を含め如何なる神も存在していない私が存在している世界において君の神論なんて廃棄物に変わりがないからね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.140
- 回答日時:
ブロックするしないは参加者の自由です
ヤクザの手法ですか?
それを言わせたのは質問者さんですよ
質問者さんの神論は少なくとも質問者さんの中では正しいのでしょうと何度も何度も伝えてますし
私の見ている世界・私にとって私が存在している世界と
質問者さんが見ている世界・質問者さんにとって質問者さんが存在している世界は違いますよ
とも伝えています
そのうえで少なくとも私が見ている世界・私にとって私が存在しない世界において普遍神を如何なる神も完全に存在しないと伝えてだからこそ質問者さんの神論は私には不要だと伝えます
更に言えば質問者さんの神論を必要とする人達に質問者の神論を伝えたほうがいいですとも伝えています
にも拘らず質問者さんは執拗に彼の持論を私は押し付けて来たのです
この不問な受け答けに問題があるのならその原因は質問者さんです
だからこそこの問題のケツ吹くのは質問者さんの方です
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