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当か否か。 どうでしょう?

A 回答 (158件中61~70件)

>確信ということですね。

証明はしていない・つまり成し得ないけれど と。
ない、と言ってしまえば、ない、を対象に確信なんか、しようがないと思うんですけど。
>有るか無いかは はっきりします。
空間を限定したうえでの話です、くだんの人は「日本にないリンゴなんちゃって・・」で締め切って逃げましたよ。
日本に限定すれば、ない、けどある所に行けばある、だからリンゴという名前がついいています。
>有るか無いかは はっきりします
幼いね!、言われたことあります「ない、はあるということだ」とはっきり言いきる人いましたよ。
有るが前提での、ない、ならはっきりしないほうが不自然です。
一つでもあれば、あるが証明できます、それが証明できなければ・・、あるとは言えないだけです、ない、とは言い切れません。
ないものの証明は悪魔の照明といわれるとか。
>まだ必ずしも明らかになっていないのではないか とも思うのですが。
そういうことですよ、神なんて人間の妄想(根拠)にして実態が伴わない、人間にとって都合の良い?、架空の存在にすぎません。
まだ必ずしも明らかになっていないのではないか。
これが、未知のもの、です、この未知のものに対する畏れ、は持つ必要はあるように思いませんか。
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この回答へのお礼

☆☆ (№97お礼欄)> 確信ということですね。証明はしていない・つまり成し得ないけれど と。
★ ない、と言ってしまえば、ない、を対象に確信なんか、しようがないと思うんですけど。
☆ ある が考えられない事態だというような場合もあり得ます。

☆☆ > 〔リンゴは〕 有るか無いかは はっきりします。
★ 空間を限定したうえでの話です、くだんの人は「日本にないリンゴなんちゃって・・」で締め切って逃げましたよ。
日本に限定すれば、ない、けどある所に行けばある、だからリンゴという名前がついいています。
☆ よくわかりません。

☆☆ >有るか無いかは はっきりします
★ 幼いね!、言われたことあります「ない、はあるということだ」とはっきり言いきる人いましたよ。
☆ ここも分かりません。

★ 有るが前提での、ない、ならはっきりしないほうが不自然です。
☆ そうですよ。そういうことを言っています。

★ 一つでもあれば、あるが証明できます、それが証明できなければ・・、あるとは言えないだけです、
☆ ええ。そうなります。

★ ない、とは言い切れません。
☆ 言い切るという必要は この場合 ないはずです。有るか無いかだけです。


☆☆ >〔根拠が有るか無いか〕まだ必ずしも明らかになっていないのではないか とも思うのですが。
★ そういうことですよ、神なんて人間の妄想(根拠)にして実態が伴わない、人間にとって都合の良い?、架空の存在にすぎません。
☆ いえ。絶対性ないし超経験のことについては 相対存在たる人間は 知り得たと言い切ることはかないません。妄想ないし架空の存在であると証明し得ていません。


☆☆ まだ必ずしも明らかになっていないのではないか。
★ これが、未知のもの、です、この未知のものに対する畏れ、は持つ必要はあるように思いませんか。
☆ そうです。そういうことです。ただし この《未知》は 《非知》に直します。

未知ではなく 《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》としての《非知》なんです。《 incomprehensible imcomprehensibility 》。こうだと思いますよ。

お礼日時:2020/10/24 19:00

>つまり 神のことについて そんなに断定できるほど分かるんですか?


別に、神に限りません、ない、ものは、ない、だけです。
根拠がなければ、その先に何かありますか?。
以前、ないリンゴ云々・・・をいう人いました、ない、もの(おっと、ないのに、もの、というのもおかしいですね)にどうしてリンゴと名前が付くのか理解できませんね。
後段で言っております、妄想であっても、根拠にはなりえます。
以前このカテで根拠バカ?がいました、何を根拠のそう言うのか、どこかに載っているのか、自然科学なら自然の法則なんてありますが、言葉にそんなものありません、根拠は私自身です、金魚の糞みたいに他人の後を走るだけしかできない人ならどうか知りませんが。
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この回答へのお礼

☆☆ (№94お礼欄) >つまり 神のことについて そんなに断定できるほど分かるんですか?
★ 別に、神に限りません、ない、ものは、ない、だけです。
☆ 確信ということですね。証明はしていない・つまり成し得ないけれど と。

★ 根拠がなければ、その先に何かありますか?。
☆ ううーん。この場合 《根拠がない》と言っても 超経験の場においての問題です。

経験世界に対して神がハタラキカケを行なう場合には しっかりとした根拠を 人びとが分かるように何らかのかたちで示しているかも知れません。

無根拠でも 神は 根拠のあることを 人びとにハタラキカケているかも知れません。


★ 以前、ないリンゴ云々・・・をいう人いました、ない、もの(おっと、ないのに、もの、というのもおかしいですね)にどうしてリンゴと名前が付くのか理解できませんね。
☆ ええっとですね。リンゴは はっきりしたモノです。見たり触ったりできます。それが 有るか無いかは はっきりします。

でも いまは神についてのことで 有る無しを言っています。事情は異なると思いますよ。

★ 後段で言っております、妄想であっても、根拠にはなりえます。
☆ 言えるかと思います。確信の問題として。


★ 以前このカテで根拠バカ?がいました、何を根拠のそう言うのか、どこかに載っているのか、自然科学なら自然の法則なんてありますが、言葉にそんなものありません、根拠は私自身です、金魚の糞みたいに他人の後を走るだけしかできない人ならどうか知りませんが。
☆ ええ。やはり確信の問題です。そして この場合 その確信を他者に押し付けることは出来ませんね。

そういう問題としてなら 根拠が有るか無いか まだ必ずしも明らかになっていないのではないか とも思うのですが。



№94とは わたしは 論旨がちがってきたかも知れませんが。

お礼日時:2020/10/24 13:04

いるー。

いないと思うのは、その人が神さんに嫌われてるだけ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ いるー。
☆ よかったですね。〔と言うのも へんかも知れませんが〕。



★ いないと思うのは、その人が神さんに嫌われてるだけ。
☆ なるほど。ただしですね。神に嫌われて本望だというひとが いないとも限りません。

生まれてからこの方 つねに不遇のうちに過ごしてきたという場合がないとも限りません。

神は そういう人に たとえ手を差し伸べなかったとしても みづからの心の内にとどめ置かれているかも知れないぢゃないですか。

お礼日時:2020/10/24 12:52

神の業とは、人間にとって不可知な現象だ。


つまり、人間が生み出した産物だ。
人間が生み出した以上、そこに原因となる根拠は必ずある。

神を自然現象とするならば、やはり原因となる根拠は必ずある。物理的にまだ法則化できない部分は多いが、解明されていないだけで必ずあるだろう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神の業とは、人間にとって不可知な現象だ。
☆ はい。人知を超えています。

げんみつに言えば 《不可知》は 《知り得ないと証明されたもの》を言い 神のことについては 《知り得るか知り得ないかが 知り得ないナゾ》だと考えられます。その場合には 《非知》と言うのがよいと思っています。



★ つまり、人間が生み出した産物だ。
☆ ん? 《不可知なものの現象》だとすれば それは 《人間の成す行為と絡んでいる》でしょうね。ともに 経験事象であるからです。

《生み出した産物》かどうかは 一概に決められないように思います。



★ 人間が生み出した以上、そこに原因となる根拠は必ずある。
☆ 人間が生み出したものではない場合にも 因果関係は必ずあります。それが 経験事象ですから。



★ 神を自然現象とするならば、
☆ それは――直接には―― ないと思います。人知を超えたナゾは 自然や経験をも超えているからです。

ただし その超越論的な神が 経験事象ないし自然現象に 何らかのかたちでハタラキカケをおこなっている・・・かもわかりません。いないかもわかりません。可能性はあるでしょう。


★ やはり原因となる根拠は必ずある。
☆ 経験事象なら 必ず 原因があります。原因としての根拠も したがってむろん あります。


★ 物理的にまだ法則化できない部分は多いが、解明されていないだけで必ずあるだろう。
☆ でもその法則が 神ではないでしょう。自然現象にハタラキカケをおこなった神は その現象をめぐる法則性にもかかわっているでしょうが 法則が神そのものではないでしょう。人知を超えた神本体と 神によるハタラキカケ(の法則性)とは 微妙に別です。

お礼日時:2020/10/24 10:51

無根拠・・・「ない」と言ってしまえば「ない」だけで、あるはずがありません。


神という名称すらつくはずがありません。
名称がついているならば、たとえ人の妄想であっても、その妄想が根拠なんです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 無根拠・・・「ない」と言ってしまえば「ない」だけで、あるはずがありません。
☆ ん? つまり 神のことについて そんなに断定できるほど分かるんですか?


《神は 無根拠である》という命題を引っ提げて 神についての議論(?)をすすめて行けるか? こういう問いを思いつきました。そういう試みでした。(でしたというのは この試みは あんまり的を射たものではないような気がして来ているからです)。


でも 神についてのあれこれといった豆知識について いささかみなさんと話が出来ているのではないかとも考えています。



★ 神という名称すらつくはずがありません。
☆ でも 神は 誰も会ったことがありませんし 話をしたこともないはずです。うわさは伝わっていますが 確証は出来ていないでしょう。

だとしたら 無根拠にて神に名前をつける場合がなきにしもあらず では?



★ 名称がついているならば、たとえ人の妄想であっても、その妄想が根拠なんです。
☆ そういう考えもあり得るでしょうが 《かみ》と言っても その意味は分かんないですよね? そのような場合は それでも名づけをするということは:
★ たとえ人の妄想であっても、その妄想が根拠なんです。
☆ という捉え方をするなら それがそのまま 《無根拠にて 命名した》とじゅうぶん言えるのではないかと思うんです。でしょう?

お礼日時:2020/10/24 10:20

想像力と創造力の違い!


見ると観る
聞くと聴く
臭うと匂うわ
話すと放す
触れると振れる
この表現のですかね!
見える感じさと、見えない感じさの違いですね!
ですから見える存在感と、見えない存在感の違い!
神さまって、あるかないではなく、信じるか信じないか!単に、それだけです!
私は、宗教家ではなく、独学音楽家です!
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この回答へのお礼

そうですね。

★ 想像力と創造力の違い!
見ると観る
聞くと聴く
臭うと匂うわ
話すと放す
触れると振れる
この表現のですかね!
見える感じさと、見えない感じさの違いですね!
☆ 想像なさったように わたしには分かりません。


★ ですから見える存在感と、見えない存在感の違い!
神さまって、あるかないではなく、信じるか信じないか!単に、それだけです!
☆ ところが 《信じる》とは 《人知を超えた何ものかを その神という言葉だけで無条件に無根拠にてわが心に受け容れること》です。

その意味は 《信じない》という人間の言葉での表現は 《信じないと信じる》にひとしい。または 《無い神を信じる》にひとしい。

《有る神》派と《無い神》派とは 互いに同じひとつの普遍神とわれとの関係を――つまりは 信仰を―― 人間の言葉では異なる表現で言っているに過ぎないでしょう。



★ 私は、宗教家ではなく、独学音楽家です!
☆ とうとびますが いまの議論とどうかかわるかは 分かりません。

お礼日時:2020/10/24 10:03

所詮人間の妄想。

それがいい。
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この回答へのお礼

理屈は合ってる。

お礼日時:2020/10/24 09:57

神さまって、いるかいないではないんです!みんな、勘違いしているんです!基本的にお祈りって言いますけど、決まった神さまへの伝えではな

く、自分自身と見えない自分自身とのお話しなんです!だから、神さまは、見えない自分自身ですから、見えないんです!宗教でいう神さまとは、宗教心持っている方の一体の集まりが、神さまなんです!だから、3大宗教の一体の部分が異なっているのです!
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神さまって、いるかいないではないんです!みんな、勘違いしているんです!基本的にお祈りって言いますけど、決まった神さまへの伝えではなく、自分自身と見えない自分自身とのお話しなんです!
☆ なるほど。確かなものごとに限って思考しようということですね。

ただし 二点言えることがあります。

《神は無い》と見なしていることと 《神は有る》としてふるまっていることと けっきょく――神については・神にとっては―― 同じことになります。

人間が 神について有る無しを決めても 神は何とも感じません。絶対性として相対的な存在である人間を超えているからです。



もう一点は:
★ 見えない自分自身
☆ というのは――《有る神》派から見れば―― 神の代理(シルシ)として受け留められていると映るということです。

そして《有る神》と言っても その《神》という言葉は 神本体のやはりシルシであるということですから けっきょく同じなんです。


つまり:
★ だから、神さまは、見えない自分自身ですから、見えないんです!
☆ という場合も 実質的に同じことになるというわけです。



★ 宗教でいう神さまとは、宗教心持っている方の一体の集まりが、神さまなんです!だから、3大宗教の一体の部分が異なっているのです!
☆ 組織宗教には興味がありません。勝手にやってくださいというしかありません。《神》は シルシなのですから 宗教家がいかに力説したとしても ただのお話ですから。

お礼日時:2020/10/24 08:07

まぁ冷蔵庫もテレビも神も何かの名前全部人間が決めたものよな。


一応意味もあるし。
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この回答へのお礼

経験的なものごとあるいは人間がつくったものと 超経験とは 隔たりがありますが 人間が捉えて言葉をあたえているものなんでしょうね。

お礼日時:2020/10/24 07:56

まぁそんなこと言い出したら、山も木も岩もなんでそういう名前なのになるしな。

霊性もなんで、霊性なんやろ。
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この回答へのお礼

★ 霊性もなんで、霊性なんやろ。
☆ それは 超自然・超経験だからでしょう。

身の感性と心の知性 これらを超えているからには なにか別のことばが要ります。したがって 霊性。(たましいでもいいでしょうが たましい性とは言いづらい)。



山や海や雷などなども 神の――霊性としての――依り代なんです。そういうふうに 昔の人びとも捉えました。

神木が そのまま神そのものだということではない。

依り代。神のシルシだと言うんだと思います。

霊性そのものは 見えないし 感じたという気にはなるけれどほんとうに感じたかどうかは分からないかたちであり やはり感じるをも超えている。



だから 神 なんでしょう。

お礼日時:2020/10/24 05:48
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