A 回答 (158件中31~40件)
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No.128
- 回答日時:
質問者くんは病気ですね
異常を通り越していますからね
とは言え私には全く関係ない事
何故なら私が存在している普遍神を含め如何なる神も完全に存在しない世界では質問者さんの神論は不用品に過ぎないからです
それは私にとっても同じです
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.127
- 回答日時:
回答数を500・1000・5000・10000・50000・100000・500000・1000000・5000000・10000000・50000000・100000000…
と重ねていってギネス記録でも狙ってるのかな?
そんなの面倒だし意味もないけどね
まぁそうしたいのか?どうか?知らいないけどね。どうでもいい話
何故なら私が存在している普遍神を含め如何なる神も完全に存在していない世界においては不用品でしかない君の神論なんて私は一字も読んていないからね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.126
- 回答日時:
いやはや質問者君は妄想性障害に加えて自己愛性人格障害だと?ね
君の身近に居る人たちのご苦労が偲ばれますよ
とは言えそうであっても無くても私には一切関係ない事に変わりはありません
何故なら私が存在している世界には普遍神を含め如何なる神も完全に存在していないのですからね
質問者君に言えることは無駄で無意味な事は止めること
普遍神を含め如何なる神も完全に存在していない世界において君の神論は不用品でしかないですからね
私にとっても不用品ですからね
質問者君の神論はそれを求めている人たちに伝えるべきですよ
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.125
- 回答日時:
求められていないにも拘らず繰り返し神論を押し付けてようとするその質問者さんの姿勢は常軌を逸しているばかりか「強要の罪」に問われかねない行為
そのような行為は質問者さんが存在している世界に存在しているかもしれない普遍神が望まぬ行為ではないのか?
まぁそうであってもなくても私には関係ないですけどね
何故なら私が存在している世界には普遍神を含め如何なる神も完全に存在していないからです
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.124
- 回答日時:
質問者さんは痛すぎる人ですね
同じ回答の繰り返しに「哀愁」が漂っていますからね
そうは言っても質問者さんの神論は私が存在している普遍神も含め如何なる神も全く存在しない世界では不用品ですから私宛にそれを主張しても無意味ですよ
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.123
- 回答日時:
質問者さんはホント病気かもしれないね
まぁそうであってもなくても私が存在している普遍神含め如何なる神も完全に存在していない世界においては質問者さんの神論は全く関係ない事に変わりないですけどね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.122
- 回答日時:
「妄想性人格障害」の疑いがあると述べているのにも拘らず同じ事を執拗に述べてくると言う事は、質問者さんは「神論」と言う名の「妄想」に取り憑かれと言う事でしょう
もしそうなら「手遅れ」でしょうけどね
まぁそうであってもなくても質問者さんの神論は普遍神を含め如何なる神も完全に存在していない私が存在する世界において私及び私の世界に全く関係ない事に変わりはありませんけどね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.121
- 回答日時:
質問者さんはもしかすると「妄想性人格障害」かもしれませんね
無意味に同じ事を繰り返してますからね
一度診療内科等の専門医の診察を受けることをお勧めします
それはそれとして質問者さんが同じ事を繰り返し述べてくるから結果として同じ事を述べるしかありません
私が存在している世界においては普遍神を含め如何なる神も完全に存在していません
更に言えば仮に他に世界において何らかの神が存在しているとしてもそれが私の世界に影響することはありません
よって質問者さんの神論は私及び私の世界では無用の長物です
不要で意味もありません
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.120
- 回答日時:
私が存在している世界には普遍神を含め如何なる神も完全に存在していませんので質問者さんの神論は私及び私が存在している世界では完全に不
要です未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
No.119
- 回答日時:
同じ事無意味にひたすら繰り返す
病気を疑う行為ですね
それはともかくとして「現実」を認めなければ話になりません
質問者さんの神論はそれを求めている人達に伝えなければなりません
ですがそれを不要とする人達には伝えるべきではないのです
互い無意味で無駄ですからね
未知数を x とおくかのように――ただし神は 未知ではなく《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》である《非知》なのですが―― 神を X なら X として 代理するシルシでまづ――想定じょう――しめせばよいのです。
そして 属性をまで――《真理》なり《愛》なり《全知全能》なりといった属性をまで――示すこともおこなわれますが 《かみ》やそれに相応する各言語の言葉はそれらも シルシだと言えます。その発音も文字もみな シルシなのです。
シルシで代理させたあと 《人知を超えたもの》を人知でどれだけ明らかにしてせまれるか。それが 哲学(このばあい 形而上学)の腕の見せ所です。
人知を超えたところのナゾは この経験世界としての相対性を超えており つまりは絶対性であるとまづ明らかにできます。あるいは 無限。
しかも絶対性というのは その相対世界を言わば包み込むと推し測られるのです。無限は 有限を難なくみづからの内におさめ得ます。
端的に言って 神は 人間なるわれを 覆っている。あるいは 突き抜けている。あるいは つねに・どこでも――言わば霊性(つまり ナゾ)として――われに・なれに・かれにやどっているとその推測は 伸びます。――論理的な瑕疵はありません。神は そのような可能性をまちがいなく持ちます。
ゆえに 人知を超えた神が 人知(感性の原野ないし思考の緑野)にあたかもハタラキカケて そのチカラや存在をおしえてくれる・・・かも知れないのです。おしえないかも知れないし そもそも神は いくらシルシでしめしたと言っても けっきょく《無い》ということかも知れない。――しかも これら推測したありさまのすべてで 同時に あり得ます。
これが――無限であり絶対性であり―― 認識じょう非知だという所以です。《知り得ないかも知れないが 同時に 知り得るかも知れない》のです。
しかも 《知り得たと思ったことが――それは やはりシルシをとおしてなのだから―― 神そのものであるとは言い難い》し 《知り得ないとさとったと言っても その〈神の不在〉を知り得たことが 神本体なる姿を見せたとも言い難い》。これら両側面は しかも同時に成り立つのです。同時に成り立つのでなくては 神の代理認識ではありません。
――このように神について 人知がせまってゆけるのです。
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