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当か否か。 どうでしょう?

A 回答 (158件中71~80件)

神はなぜ神っていうの?


神の自己紹介でも誰か聞いたんかな。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神はなぜ神っていうの?
☆ どの言語でも――ニュアンスの違いを容れつつも―― 《かみ》に相当する言葉があるようです。

おそらく 哲学として人類にとって共通の概念として規定することもできるものと思われます。

《超自然ないし超経験なるもの》として。

なぜ / k-a-m-i / と言うのか。ほかの言語で別の音韻になるのか? それは 分かりません。




★ 神の自己紹介でも誰か聞いたんかな。
☆ そういう場合もあるのではないですかね。あるいは ぎゃくに おれが神を見つけてやったのだと。

山や樹木や岩などに その神の霊性を見るという場合もあったでしょうし。

お礼日時:2020/10/24 05:33

>神は みづからの判断や行動について――それがあるとすれば―― きちんと決まっている。

原則があるんだと。そういう意味ですよね?

それは「人が神に期待すること」です。人はそう思いたいのです。
でも実際の話、幾ら篤く信仰しようとも衆生には無常です。

>つまり 《神が無根拠である》というのは 人間から見てのことであって

はい。

>神にあっては 原則がしっかりとしているごとく 神としての根拠があるのだ。と。

いえ、それさえも無いかと。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ (№86お礼欄) >神は みづからの判断や行動について――それがあるとすれば―― きちんと決まっている。原則があるんだと。そういう意味ですよね?

★ それは「人が神に期待すること」です。人はそう思いたいのです。
でも実際の話、幾ら篤く信仰しようとも衆生には無常です。
☆ いえ。そのようにわたしが尋ねたのは あなたが次のように書いておられたからです。:
★★ (№86) 神はサイコロを振らないという言葉もあります。
☆ この意味を確認しただけのことです。


次のやり取りの内容に同じです。

☆☆ >つまり 《神が無根拠である》というのは 人間から見てのことであって

★ はい。



☆☆ >神にあっては 原則がしっかりとしているごとく 神としての根拠があるのだ。と。

★ いえ、それさえも無いかと。
☆ だとしたら 《神も サイコロを振る》んだということになりますね。

ちょっとした行き違いのようでした。

お礼日時:2020/10/24 03:27

神はサイコロを振らないという言葉もあります。


人智が及ばないことを神の所業と看做すならば、正にそのその通りでしょう。
よって私の回答は「Yes」です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ よって私の回答は「Yes」です。
☆ はい。ご見解について受け取りましたし その趣旨についても理解できたように思います。


ただ 論旨がぎゃくになっているのではないかとも思ったのですが。・・・

★ 神はサイコロを振らないという言葉もあります。
☆ 神は みづからの判断や行動について――それがあるとすれば―― きちんと決まっている。原則があるんだと。そういう意味ですよね?

けれども:
★ 人智が及ばないことを神の所業と看做すならば、
☆ ということは 《人間には理解を超えたかたちで しかも神にあっては常に確かな判断としてふるまうのだ》という意味ですよね?

けれども:
★ 正にそのその通りでしょう。
☆ とおっしゃるのは:
☆☆ 神は 無根拠である。
☆ そのことですよね?・・・


・・・(しばらく考えたあと)・・・
ひょっとして こういうことでしょうか? つまり 《神が無根拠である》というのは 人間から見てのことであって 神にあっては 原則がしっかりとしているごとく 神としての根拠があるのだ。と。


繰り返しますと:
神は 人間から見て あたかも無根拠である。ただし 神にあっては 確かな判断の基準や原則があるのだから 《人知を超えた根拠がある》。



ふうーう。理屈っぽくて すみません。

お礼日時:2020/10/23 22:11

bragelloneさん



Σ(゜Д゜)壮大なテーマですね

二者択一ですから
今回は無理からに選択してみます

( ̄~ ̄;)

当ですね

神に根拠を求めると
自分自身にも、根拠を求めないと

公平じゃないですもんね

神の根拠をのべるほど
無謀な事はしないけど

自分自身の根拠も、立証できないけど

なんとなくこの世には存在してるので

自己の存在証明を
他人がなっとくできるのか!
名前や国籍
性別や外形
そういった、文字に起こせる情報や
視覚や聴覚、嗅覚で感じられる情報だけが、わしやけどの存在証明かと問われたら

否!ちがいますもんね

目に見えない
肌でかんじれない
臭いでわからない
文字で起こせない

そうあった、なにかしらの感覚てきな存在も含めて

わしやけどは存在してるんだけど

その、なにかを
自己解釈すらしきれないまま
日々の人生を楽しんでますので

自己の根拠すらあやういてのが

個人的な感覚ですよ

個人的な感覚がおぼつかないのに
他人の存在や
神の存在など

さらに、あやふやになってしまいますもんね

こうやって、bragelloneさんの質問に答えてるけど
bragelloneの存在すら明確な根拠を
他人であるわしやけどが立証するのは

ワシの感覚では、不完全であやふやですもんね


ちょっと抽象的な回答だけど
なにかしら伝わったら
(  ̄▽ ̄)にっこりですよ
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 当ですね
☆ であって欲しいというのが 質問者のコンタンです。

★ 神の根拠をのべるほど
無謀な事はしないけど
☆ 有根拠をえらぶのは 無謀なことなのですね。

★ 自分自身の根拠も、立証できないけど
☆ といった事情もある。・・・

★ ~~~
目に見えない
肌でかんじれない
臭いでわからない
文字で起こせない

そうあった、なにかしらの感覚てきな存在も含めて

わしやけどは存在してるんだけど
~~~
☆ クオリアのような? そのような何かで 存在感を得ている?

でも 理屈で求めようとすると その:
★ ~~~
自己の根拠すらあやういてのが

個人的な感覚ですよ
~~~
☆ というようになる?


★ ~~~
ちょっと抽象的な回答だけど
なにかしら伝わったら
(  ̄▽ ̄)にっこりですよ
~~~
☆ わたしもよくは分からないのですが かえって抽象的なあるいはこの経験世界を超えた感覚で 根拠を捉えたとすれば そういう場合があるのかも。・・・とは思いました。

じつは そこまで考えていませんでした。《神は 無根拠である》という命題を引っ提げて 神の話をすすめて行けるだろうか? というような発想からでした。

お礼日時:2020/10/23 21:12

神はいませんよ。


なんせ飯塚によって殺された方はどうでしょうか。
それでも神はいるというのですか。
私自身もお祓いしたにもかかわらず、厄しか来ませんでしたから…
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この回答へのお礼

でも 先週 駅の近くでひょいと見かけましたよ――ってな話ぢゃないわけでして。

《いない神》がいるんぢゃないですか?

お礼日時:2020/10/23 19:39

神は 無根拠である。

が正しいとすると、その対偶は
無根拠でなければ、神でない。になりこの場合も正しい。
言い換えると、神の存在の理由があれば、神は存在しない。ことになります。
神が存在するのに、神は存在しないことになり、自己矛盾を起こしています。
対偶が間違いなら、命題も間違いです。
よって、神は 無根拠である。も間違いです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神は 無根拠である。が正しいとすると、その対偶は
無根拠でなければ、神でない。になりこの場合も正しい。
☆ 初めの仮定によるかぎりですね。


★ 言い換えると、神の存在の理由があれば、神は存在しない。ことになります。
☆ 複雑な推論を始められたので面食らっていますが こういうことではないでしょうか。つまり 絶対性なる《神》については 相対存在なるに人間には 分からない。分かるかわからないかが分からない。

としますと たとえば《神の存在理由が分かった》とした場合 だとしてもその見解がただしいかどうか これも分からない。

つまり 《分かるか分からないかが 分からない》ナゾであると。

そういう神について 初めから《神は 無根拠である》と規定してしまって話をすすめることは出来るか? こういう問いが 質問者の持ったコンタンだったのです。


★ 神が存在するのに、神は存在しないことになり、自己矛盾を起こしています。
☆ その推論の仕方では そうなるのでしょうが 《神は 存在する》とも《存在しない》とも どちらとも証明できないですよね? そんな共通の出発点があるのではないかと思うのですが どうでしょう。



★ 対偶が間違いなら、命題も間違いです。
よって、神は 無根拠である。も間違いです。
☆ いえ。この場合は そうではなく 途中での:
★ 神の存在の理由があれば、〔神は存在しない。〕
☆ という仮定条件が 問題だとなるのではないですか? どうでしょう。

お礼日時:2020/10/23 17:27

宇宙は、何故、存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか。


_神が創ったのなら、
_神は、何故、存在し、 _神は、どうしてどのようにして始まったのか。
こう考えると宇宙も神も立場・位置づけは対等になります。
ある意味、「宇宙 イコール 神」。宇宙は神であり、神は宇宙である。
神は無根拠なのか、根拠があるのか?
それは、その人がどう考えるか、どう捉える、把握するのかに依ります。
根拠が無いと考え/捉え/把握する人も正しいし、根拠があると考え/捉え/把握する人も正しいのです。
森羅万象について、「根拠/目的/起源/初め/始めがある」「あるべきだ」と考える人もいるでしょうし、そうは考えない人もいるでしょう。どう考えるかは人それぞれの自由です。
神には、根拠も、目的も、起源も、初めも、始めも、あるのだと考える人もいるでしょう。
神には、根拠も、目的も、起源も、初めも、始めも、ないと考える人もいるでしょう。
「宇宙は神であり、神は宇宙である。」として、宇宙は、どうなのか考えてみます。宇宙には、根拠も、目的も、起源も、初めも、始めも、あるのでしょうか? 宇宙とは、無限大の大きさと広がりを持った空間で、無限大の過去から存在し、無限大の未来まで永遠に時間が流れ続ける「もの/存在」であると仮定しましょう。つまり、空間的に無限大で時間的に無限大の「もの/存在」であるとすると、「起源/初め/始め」は無かった/無い事になります。それは、無限大の過去から存在しているからです。宇宙が存在する「根拠/目的」は、どうでしょう? 宇宙はなぜ存在するのか、その存在の根拠も、存在の目的もあるのかも知れません。無いのかも知れません。乱暴な言い方をすれば、「宇宙が存在する根拠」と「宇宙が存在する目的」が在ろうが無かろうが、宇宙の存在には何も影響が無いと言えるでしょう。
ここで、再び、宇宙を神と置き換えて見ましょう。すると、
「神が存在する根拠」と「神が存在する目的」が在ろうが無かろうが、神の存在には何も影響が無いと言う事になります。
「存在」とは「ある/いる」ことです。神の存在とは、「神がある/神がいる」と同じです。存在が成立するには、ふたつのものが必須/不可欠です。
それは、「時間」と「空間」です。「時間」が無い。すなわち、時刻も瞬間も時間的な幅が無い/ゼロだったら何も存在する事はできません。「無(む)」です。
「空間」が無い。すなわち、点/長さ/面積/体積も無く空間的な大きさ/広がりが無い/ゼロだったら何も存在する事はできません。「無(む)」です。
我々が存在しているこの宇宙はには、「時間」も「空間」も共にあるので、この宇宙も我々も「存在」している事が出来るのです。
さて、我々が存在しているこの宇宙は、今から約138億年前にビッグバンで誕生して、時間も空間も生まれた/始まったと言われますが、では、ビッグバンが起こる「前」はどうだったのか? との疑問が生まれます。
そこで、先程の「宇宙とは、無限大の大きさと広がりを持った空間で、無限大の過去から存在し、無限大の未来まで永遠に時間が流れ続ける「もの/存在」である。」との仮定を持ち出します。この宇宙/時空を「母宇宙」とします。すると我々の宇宙は「子宇宙」として母宇宙の中で生まれたと解釈できます。詳しくは下記のブログの後の約1/3で述べています。前の約2/3は宇宙塔マスドライバーの話です。http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ ある意味、「宇宙 イコール 神」。宇宙は神であり、神は宇宙である。
☆ これはですね スピノザが《神即自然》と言ったとかということで 神〔の霊性〕が 経験世界を覆うといった命題ですね。

いわゆる神の遍在説です。概念規定としては 《イコール》ではないんです。片や 超自然・超経験 片や 自然および経験ですから。


★ 神は無根拠なのか、根拠があるのか?
☆ そういう問い方もあるかもですね。

★ それは、その人がどう考えるか、どう捉える、把握するのかに依ります。
☆ ん? それはちょっと。つまり 超経験なる神を 経験的で相対的な人間がどう捉えるかという切り口は 成り立たないように思われます。どう考えたところで 超経験つまり絶対性なのですから。

★ 根拠が無いと考え/捉え/把握する人も正しいし、根拠があると考え/捉え/把握する人も正しいのです。
☆ ん? その心は?

★ 森羅万象について、「根拠/目的/起源/初め/始めがある」「あるべきだ」と考える人もいるでしょうし、そうは考えない人もいるでしょう。どう考えるかは人それぞれの自由です。
☆ 森羅万象は宇宙のことで 初めのお話での《神イコール宇宙》という《遍在説》にかかわりますが イコールは 同一ではないですね。


★ 神には、根拠も、目的も、起源も、初めも、始めも、あるのだと考える人もいるでしょう。
☆ ですから 人間がいかに忖度しても 神じたいは 変わりません。絶対性です。


★ 宇宙とは、無限大の大きさと広がりを持った空間で、無限大の過去から存在し、無限大の未来まで永遠に時間が流れ続ける・・・
☆ たしかに神も 絶対性にして《無限》ですが それは 《無限大あるいは果てしがない》とは 別です。後者は あくまで相対的なもの・つまり有限です。可能無限のことですね。



★ 乱暴な言い方をすれば、「宇宙が存在する根拠」と「宇宙が存在する目的」が在ろうが無かろうが、宇宙の存在には何も影響が無いと言えるでしょう。
☆ これは 神のことをおっしゃっているわけです。


★ すると我々の宇宙は「子宇宙」として母宇宙の中で生まれたと解釈できます。
☆ 《生まれる》といった時間性にかんしては あくまで相対性の世界です。有限なる経験世界です。と思いますよ。

お礼日時:2020/10/23 17:17

> 〔質問における《無根拠》は 相対的な概念としての《無》で押して行ってみようとする場合なんです。



なるほどそうでしたか。私の言う無は完全な無の事ですので、有無の片割れとは異なるものです。
うーむ、もし相対的な無が質問で問われているのなら、神は根拠を必要としないし、無根拠を必要とすることもない、つまりそれら根拠の如何に言及しようがしまいが、それは在ると言うことになるでしょう。

この場合でも、この在ると言う表現は、相対的な有るではないと言うことに気をつけなければならないでしょう。

形而上学的な神の場合、神は存在するのかしないのか?と言った問いによってそれを求めることはできないものです。
この神を求める事は、この神を知らない人にとっては、ある種の賭けのような性質を帯びてきます。
あるかないか分からないが、それを求めると言う内的動機、即ち希望に従って行くしかない。
しかし、賭けよりも確かな勝算はあるでしょう。
神(求めたそれが神と呼び得るものであると、事前には知るよしもないのであるが)、真を求める能動性は、常に肯定的に働くからです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ (№26お礼欄)> 〔質問における《無根拠》は 相対的な概念としての《無》で押して行ってみようとする場合なんです。

★ なるほどそうでしたか。私の言う無は完全な無の事ですので、有無の片割れとは異なるものです。
☆ 分かりました。絶対無ですね。

★ うーむ、もし相対的な無が質問で問われているのなら、
☆ いえ。そうではなくて 相対的な無で――無根拠と表現して―― 絶対性のことを 指し示す(あるいは 仮りに表わす)ことができるか? 不都合はないか? という試みです。


★ 神は根拠を必要としないし、
☆ 根拠を持っていてもよいし なくてもよい。

★ 無根拠を必要とすることもない、つまりそれら根拠の如何に言及しようがしまいが、それは在ると言うことになるでしょう。
☆ ですね。そして 《神は 無根拠なり》というかたちの命題で押しすすめることはできるか?


★ この場合でも、この在ると言う表現は、相対的な有るではないと言うことに気をつけなければならないでしょう。
☆ きびしいですね。原則ですね。

★ 形而上学的な神の場合、神は存在するのかしないのか?と言った問いによってそれを求めることはできないものです。
☆ 有る無し〔という経験事象〕を超えている。


★ この神を求める事は、この神を知らない人にとっては、ある種の賭けのような性質を帯びてきます。
☆ 《賭け》は まさしくそうだと思います。パスカルが関連した議論をしていたと思います。

★ あるかないか分からないが、それを求めると言う内的動機、即ち希望に従って行くしかない。
☆ しかもですね。《神は無い》と規定したほうが 自由だという考えもありだと思われるんです。ひとによっては。

そうした場合にも 普遍神は すべてをみづからの内におさめていると言えると思います。

★ しかし、賭けよりも確かな勝算はあるでしょう。
神(求めたそれが神と呼び得るものであると、事前には知るよしもないのであるが)、真を求める能動性は、常に肯定的に働くからです。
☆ ここで今度はわたしのほうがきびしくなりますと:
★ 真を求める能動性
☆ という要因が 何がしかの《根拠性》になり得るんです。それで 《無根拠だ》と言った上で 形而上学を展開しうるか? なんです。

《義無きを以て義とす》親鸞。

お礼日時:2020/10/23 16:59

だったら、何で靖国に議連が参拝に行くのでしょうか?

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この回答へのお礼

靖国のばあい 英霊とよばれる神――その霊――とそういう或る種の宗教としてつくられた制度とを分けて捉えないと 話が まとまらないと思います。


もし神であるなら それなりにその神とわれとの関係が成り立ちます。神にいのるという姿勢を示すのも ふつうです。

ただし 神なら――そして 神は 無根拠であるなら―― どこで・いつ手を合わせても かまわないわけです。

それを 人為的にここだという場所を決めたということではないでしょうか。

この場所でこれこれの儀式にのっとって 神をうやまいなさい それ以外はダメだという決まりは 信教・良心の自由を侵すおそれがあると考えます。

お礼日時:2020/10/23 13:05

検討違いも甚だしい


事実は事実でしかありません
市実を都合よく捻じ曲げいる限り質問者さんは「真」にたどり着けることは決して出来ません
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この回答へのお礼

★★ (№75) 私の存在している世界において普遍神を含め如何なる神も存在しないの事実
☆ どういう事実ですか?

お礼日時:2020/10/23 11:35
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