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「そんなこと、僕に言われても困ります」みたいな表現をよく聞くんですけれども、どうして「が」ではなく「に」を使うかはよく分かりません。

調べるところによれば、これは「迷惑の受身」に当てはまるらしいですが、「が」を使っても「迷惑の受身」になるようですので、どうして「に」が自然(一般的)か知っておきたいです。

ほとんどの場合、「〇〇に言われる」というと「〇〇が言う」という意味になると思いますが、「僕に言われても」の場合は「(あなたに)僕が言われる」みたいな意味になりますのでこれは何かの例外でしょうか?

他にも、こう言った「に」の例はありますか?

ご存知の方いらっしゃったら是非教えてください。

A 回答 (10件)

いやあー。


「ニ」の働きに関してはいろいろ考えたことがありますが、これはノーマークでした。ハッキリした答えは見つかっていません。
 先行コメントで解決していればよいのですが、もしまだであれば一緒に考えたいと思います。

 先行コメントにあるように、「迷惑の受け身」はちょっと違う気がします。
 じゃあ何かと言うと、「そういうもの」と考えるしかないような気がします。
 類似表現はいろいろあると思います。
「僕ニ話されても困る」「僕ニ打ち明けられても困る」あたりは「話す」と同様なんだから当然ですね。
 別の例だと「僕ニ渡されても困る」「僕ニ押し付けられても困る」……etc. 。

 詳しくは下記をご参照ください。
【「僕ニ言われても」の「ニ」 「僕に言われても」の「に」 goo】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12641741999.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

 これはおもしろい。
 当方は「ニ」の働きに関して下記ぐらいに考えている。
【「先生ニお電話をいただきました」 二の特殊用法?〈4〉】辞書
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12546188890.html
===========引用開始
 少しわかってきたような。問題になるのは下記の4つだろう。
 分類に関しては庭先生のサイト踏まえたうえで簡便化する。こういうをウカツにやるととっても失礼になります。良い子はマネをしないように。

①目的地・到着点(物理的・抽象的移動)※「ヘ」に近い
 学校{ニ/ヘ}行く。
②存在の場所 物理的・抽象的 ※「デ」に近い(ことが多い)
 ベンチ{ニ/デ}座る。
③対象(方向性がある点は「到着点」と同様)
 母ニ話す。
④授受動詞の主格の対象となる相手※「から」に近い
 先生{ニ/カラ}電話をもらう。
===========引用終了
 このほかに、「時」を表わす「ニ」を入れるべきかなと考えていたら、特殊用法がもうひとつ出てきたのかもしれない。
 前に見た「特殊用法」は「④授受動詞の主格の対象となる相手※「から」に近い」で、典型的な例は「先生{カラ/ニ}電話をもらう」みたいな文。通常は逆の意味になる「カラ」と「ニ」が、なぜかこの用法だとほぼ同じ意味になる。むずかしい理屈を並べるよりも「そういうもの」と考えるのが賢明だろう。
 今回の例も少し似ている。
「僕ニ言われても困る」(「ます」はマギレに元なので省略する)は「○○と、母が僕ニ言ったので困った」ならフツーだろう。「○○と、母ニ言われて困った」でもほぼ同じ意味になる。
「母ニ言われて困った」の場合、言ったのは「母」で言われたのが「僕」。
「僕ガ言われて」困っている(通常は「僕ガ」は省略する)のだが、なぜか「僕ニ言われても困る」になる。
 書きかえるなら、「母ニ言われて、僕ガ困った」。
 もう少し書きかえると「僕ニ言うのはやめてくれ。困るから」にもなる?
「僕ニ」のあとに、「言う」と「言われる」がどちらも使えるのはヘンだろう。質問者の指摘のとおりとしか言いようがない。
 うーむ……。 

 いろいろ考えると、質問者が指摘する「迷惑の受け身」と少し似ている。
「迷惑の受け身」に関しては下記が詳しい。
【日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい】 
http://urgell.blog62.fc2.com/blog-entry-61.html

 あまりにも本格的で……。
 簡単に言うと、「母親ニ死ナレル」「子供ニ泣カレル」(どちらも三上章の『現代語法序説』にあるらしい)のようなもの。動詞は自動詞に限る、というのが一般的な考え方。ほかに「雨に降られる」なんてのも有名かも。ただ、自他の問題に踏み込むと、もれなく泥沼が……。
【「恐れる」は自動詞? 他動詞? goo 辞書〈3〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12599212002.html

 「僕ニ言われても困る」は「子供ニ泣かれて困る」と形は似てはいるけど、やはり違う。主語?を補うと違いがわかる。
「(母カラ)僕ニ言われて(も)(僕ガ)困る」
「(僕ガ)子供ニ泣かれて(僕ガ)困る」
 なぜんこんなことになるのか? やはり「そういうもの」と考えるのが賢明な気がする。
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No.7 の補足です。



格助詞「に」が、「動作の対象を表す」「動作・作用の着点を表わす」「そういうものと考える」などの回答がされていますが、これらは格助詞とは何かが理解できていないための本質的な誤りです。

質問者もこうした発想に囚われているための混乱した質問です。

格助詞とは、語と語の資格、関係、その元の対象と対象の関係認識という話者の主観を直接に表現する語で、対象や着点など客体自体を表すものではありません。

「僕に言われても困ります」の場合、対象/着点は「僕」であり、「学校に行く。」の対象/着点を表すのは「学校」です。「先生に本を貰いました。」の場合は「先生であり、これは着点ではなく始点です。

《「言われる」という(受身の)動作が成立しおもむく空間上の静止点を「僕(そこ)」と指定する。》

というもっともらしい説明もありますが、語は意義を表すもので、《指定》などしません。

先に回答の通り、格助詞「に」は空間的、時間的な位置付けの認識を表すもので、

家に居る。
机の上に本がある。

の場合は固定した繋がりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置付ける場合もあります。

父にめぐりあう。

の場合は二人が並んでいない状態から並ぶ状態への移行の結果としての位置付けの認識を表しています。

時間的な位置付けの場合は、

火曜日に試合がある。
会議は9時に始まります。
会議は12時に終わります。

のように使用します。

「僕に言われても困ります」」

の場合も、「言われる」という動作の対象である「僕」を「に」で空間的に位置付けているもので、受身自体を表しているのは「れる」という接尾語です。
つまり、格助詞「に」の意義は「机の上に本があります。」の「に」と同じです。

このように、助詞は話者の主観を直接に表現する語なので、まずその点を正しく理解しないと他の回答に見られるような混乱した、誤った理解になるか、「ハッキリした答えは見つかっていません」ということになる他ありません。■
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「に」の本質的な意義は「動作・作用の着点を表わす」です。



具体的には学研国語大辞典の下記語釈がわかりやすいでしょう。
※動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定(以下略)。(学研国語大辞典)※

『1.そんなこと、僕に言われても困ります』
という文に、この語釈を適用して「に」の役目を分析すると以下のようになる。

《「言われる」という(受身の)動作が成立しおもむく空間上の静止点を「僕(そこ)」と指定する。》

表現を変えると、
《「言われる」という(受身の)動作が存在するわけですが、その受身動作が落ち着く先はどこかというと、それは「僕」です。》
という意図を表わしているのが格助詞「に」ということ。
この意図を端的に表現すると、冒頭申し上げたように、

「に」の本質的な意義は「動作・作用の着点を表わす」

となるわけです。
おっしゃるところの、

『2.そんなこと、僕が言われても困ります』

という表現と比較するのは非常に有意義です。
格助詞「が」は主格をあらわすので、これは、「言われる」という(受身の)動作の主格が「僕」であることを表現している文です。
「僕」はあくまで主格であって着点ではありません。
言ってみれば、「迷惑の受身」というものを受けている被害の主体として「僕」は表現されているわけです。
1のように着点としての「僕」の場合は、あくまで、「言われる」という(受身の)動作の向かう先として認識されている点で、意図が基本的に異なります。
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格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表し、静的な対象認識を表します。

「僕に言われ」の場合、受身の対象「ぼく」を位置づけています。動詞の対象を位置づけています。

机の上に本があります。
庭に猫がいます。
先生に本をもらいました。

などと同じ「に」です。

格助詞「が」は主格を表し、動詞の動作の対象ではなく動作主体、主格の関係を表します。

花が咲く。

を「花に咲く。」とはいわず、「花が庭に咲く。」というように、<「〇〇に言われる」というと「〇〇が言う」>という意味にはなりません。

動的な対象認識を表すのが格助詞「を」です。「ぼくに、そんなことを言われても困ります。」のように使用します。

迷惑受身というのは他動の受身が同時に自動でもあるという矛盾の表現のことで、「に」とは関係ありません。■
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>「迷惑の受身」


一体どんな文献を参考にしているの。
そんなもの文法の解説にもなりません、受け身は受け身ということだけ理解できればOKです、それ以上は文法の問題ではありません、日本語の理解能力の問題です。
受け身と分かれば、続くないようは他人のかかる内容ではなく、自分自身の内容になりますね。
僕に、も僕が、も不要にすらなります。
そんなこと言われても(僕にはできない)・・・・・、で十分通じますね。
>「〇〇に言われる」というと「〇〇が言う」意味になる
なりません。
この理解がすでに間違い、日本語が全く理解できていません。
「〇〇に言われる」、受け身の表現、何等かの反応が必要になります。
「〇〇が言う」、言っているだけです、何の反応する必要もありません。、菊必要もないのかも?。
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並び替えて考えてみるのはどうでしょう?



「僕にそんなこと言われても困ります」
「僕がそんなこと言われても困ります」

後者は不自然だと思います。
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「人に言う」は「言う」という動作の対象を表す単なる格助詞で、受身文とは直接関係ありません。

「言う」は自動詞でもあり他動詞でもあります。他動詞の場合は「ヲ格」を伴います。
 「友達に悪口を言われた」は受け身文です。(この「に」は言うの動作主を表す「に」)
 能動文は、「友達が私に悪口を言った」(この「に」は「言う」の対象)
 受動文  「私が友達に悪口をいわれた」(この「に」が受け身文の事実上の動作主、能動文で「友達が」である人)
 動作の対象(相手)を表す「に」は、「お前にやる」「人に渡す」など普通に使う「に」です。
 なお、「迷惑の受身」は、特に「自動詞の受身」を言います。
普通の受身でも迷惑な内容の受け身はたくさんあります。「友達になぐられた」これも迷惑な話ですが、受身の半分は(「悪口を言われる」も含めて「迷惑」でしょうが、他動詞の場合は特に取り立てて言いません。
迷惑の受身の例。「雨に降られた」「夜通し赤ん坊に泣かれた」「畑を人に歩かれた」(自動詞の場合は、特に悪意を持っていないことが多く、結果が迷惑なのです。迷惑を受けた人は怒ってもしようがないと、諦めます)
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あなたが僕に言う、単純に動作の対象を示す格助詞なのでは?

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あまり詳しくはないですが、


「そんなこと、僕に言われても困ります」の時は「僕に言われた。」という事実を表していて

「そんなこと、僕が言われても困ります」の時は、他人がしたことを僕が言われたときなど、「注意された」事に対してAさんがした事なのに僕が怒られた「言われた」と言う僕の気持ちを表しているのかなと思います。

思いついたのは
・妹がした事を僕に怒った←僕に怒ったという事実

・妹がした事を僕が怒られた←僕の気持ち
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豚に真珠



私に(それを)言われても、どうすることもできません。
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