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そんなこと私に言われても困ります。
この「言われる」は、自発、可能、受動、尊敬のどれですか。

質問者からの補足コメント

  • 色々な方のご意見を聞いて感じたことを追加しますと、

    元の文に、省略されている主語を追加するとすると、最も自然なのは「あなた」だと思います。
    あなたがそんなことを私に言われても困る。
    この場合の「言われる」は尊敬ですね。

    「私」を追加することもできて、
    私はあなたにそんなことを私に言われても困る。
    「〜に」が二か所現れるので若干不自然ですが可能性としてはあると思います。この場合は受け身です。

    私の質問に対する答えとしては、尊敬、受け身両方の可能性があるということでしょうか。

      補足日時:2017/03/20 19:04
  • 私の理解能力のために反応が遅れ気味ですが、尊敬か受け身かの他にこの文自体が日本語として適切でないというオプションも出てきたような気がします。
    多分この文を言った人は最初迷惑の受け身で、
    そんなこと言われても困る。
    と言おうとしたのを、あなたが「彼に」言うのは良いが、「私に」言うのは困るということを強調したくて、「私に」を追加したのだと思います。結局、

    あなたに私に言われる。

    が受け身文として、あるいは日本語として正しいのか、間違っているのかという問題になりそうですね。

      補足日時:2017/03/22 17:37
  • さらに現在の感想、

    元々「私に言われる」を受け身だと考えると「あなたに私に言われる」ということになり不自然なので受け身文ではないと思っていましたが、「(あなたから) 私に言われる」と考えればそれほど不自然ではないですね。全て省略せずに言えば、
    私はそんなことあなたから私に言われても私は困る。
    「あなたに言われる」や「私が言われる」より「私に」を強調したければ「私に言われる」にならざるを得ない。

    ただし「私に言われても困る」は誤解のしようがないと思いますが、「彼に言われても困る」(彼が私の息子の場合とか) は、「あなたが彼に言うのが困る」のか「彼が私に言うのが困る」のかが分かりませんので、受け身文の中で「~に」を使うのは要注意ですね。

      補足日時:2017/03/23 15:34
  • 「私に言われても困る」―受動文に関する一考察
    という 大正大 大野純子氏の論文があるようです。
    http://www.ls-japan.org/modules/documents/index. …
    に要約があって、
    「私に言われても困る」という文は「言われる人」がニ格で表されていて助詞に矛盾がある.が条件によっては可能。
    ということらしいです。論文の本文にアクセスできる人があれば紹介していただけるとありがたい。

      補足日時:2017/03/24 10:39

A 回答 (34件中1~10件)

#2です。



>この一文だけで断定することはできませんか。

問題を複雑にしているのは「に」の用法ではないかと思います。
「言われる」が尊敬の場合の「に」の用法は、
6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。「人―よくかみつく犬」「友人―伝える」
であることは明白でしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/166083/meaning/m1 …
では、受身の場合はどうかというと、これがなかなか厄介なのですが、おそらく、
3 動作・作用の帰着点・方向を表す。「家―着く」「東―向かう」
ではないか、と思います。
『そんなこと私に(向けて)言われても困ります。』
という構図。
この場合、「言われる」という受身動作の主体である「私」は省略されている形ですが、敢えて表記するなら、
『そんなこと(あなたから)私に(向けるという形で私が)言われても困ります。』とでもなりますか。
方向性を示す「私に」と、受身主体としての「私が」を分けて捉える必要がある、ということ。むろん、
10 受け身・使役の相手・対象を表す。「犬―かまれた」「巣箱を子供たち―作らせる」
の用法と混同すると迷宮に入ってしまうので注意が必要。
まあ、いずれにせよ一素人の感覚にすぎないのですが、その点はお含みおきの上、何かのご参考になればと思う次第。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに助詞の「に」が混乱の元のような気がします。
受け身で「に」を使う例は、
「そんなこと、あなた に 言われたくない」
であり、
同じことを受け身を使わないで言う場合の
「あなたが私 に 言う」(ことを欲しない)
とは動作の向きが真逆ですね。

私の例文の場合は、
「そんなこと私に言われても困ります」
であり、言いたいことは「あなたが私に言う」(のが困る)なので、つまり「に」の前はどちらも「私」なので、受け身ではないと考えてよさそうですね。

お礼日時:2017/03/16 16:42

#32です。


質問者さんも興味がおありでしょうから、#33  OKATさんのご回答を拝見した感想を少し述べさせていただきたいと思います。

1.
>大野氏に聞きただしたいのは、この「受身文」の主語(主体)は何なんでしょうか。
日本語文法的に「主語不要論」の立場にたつからでしょうか。「主格補語」は場合に応じて付けるもので、不要な場合は付けなくてもいい。そんな考えなんでしょうか。

ご本人のお考えは知るべくもありませんが、勝手に推測してみれば、まず、
【「私」は「言われた人」であると同時に「困る」の経験主体でもある.この動詞の辞書形は一人称には直接使えるので「困る」の経験主体は「私」であると容易に想像できる.】と述べられていますので、「主語(主体)=私」でしょう。
また、おそらくですが「主語不要論」というお立場に立っているわけではないでしょう。
『「主格補語」は場合に応じて付けるもので、不要な場合は付けなくてもいい。』と言っても良いかもしれませんが、というより、むしろ、「主語がわかりきったものである場合は省略するほうが自然」ということではないかと思います。
つまり、
『そんなこと私に言われても困ります。』は、
『そんなこと(あなたから)私に(向けるという形で私が)言われても困ります。』
と解釈できる(理由はくどくなるので再掲しません)のだから、主語はわかりきっている、ということ。

因みに、この疑問は、なかなか良い疑問だと思います。
なぜかというと、【「私」は「言われた人」であると同時に「困る」の経験主体でもある】という大野氏の前提を浮き彫りにしているから。
つまり、仮に、『(xさんは)そんなことを私に言われた。』のような(「困る」抜きの)例文であるなら、これを受身文と捉えることはできない、ということでもあるわけです。ですから、ニ格の [ 単なる受身文 ] として論じていると論理に齟齬が生じる。
要するに、『そんなこと私に言われても困ります。』を論じる場合、【「私」は「言われた人」であると同時に「困る」の経験主体でもある.】のような独特の構文について論じなければならない。(でなければ論点が噛み合わない)
しかし、お示しになった庭氏の「日本文法概説」でも、「日本語教師のページ」でも、この論点について言及されているようには見えませんね。(もし、私が見逃しているようならご指摘ください)。
つまり、この2つのサイトから、今回の質問に関して直接的な回答を得ることは難しい、ということになるでしょう。
【「私」は「○○された人」であると同時に「△△」の経験主体でもある.】というような構文でなければ、つまり、極めて一般的な受身文に関してなら、 OKATさんの解説が最も適切であり、わたしも大いに同意するものです。

2.
>条件によっては、この受身文は成立するというのが結論のようですが、この条件は「ニ格」をとる動詞なら、すべてに流用できるものなのでしょうか。たとえば、以下の動詞。
 聞く・怒る・話す・教える・頼む・命じる・謝る・尋ねる・渡す・返す・払う・振る・届く

まあ、これは、ほんとのところ、シチュエーション次第というしかないような気がしますねえ。
 a.3 動作・作用の帰着点・方向を表す。(大辞泉)
 b.『(行為の)到達点』(大野氏)
という用法の「私に」に対応する形での「起点」という要素を含んでいる(あるいは、含むシチュエーションの)動詞なら、「流用」できるでしょう。
特殊なシチュエーションがあり得ますので、基本的にはどちらにも使えるもの(△)が多いと思いますが、ほとんど使える(○)、まず無理(×)なものもあるかもしれません。
「向けて」「向かって」などを挿入しても使えそうならオッケーが出るような気もします。大雑把な印象としては次のようになりましたが、大いに個人差が出るでしょう。
△あなたが私に向けて聞く
△あなたが私に向かって怒る
△あなたが私に向けて話す
×あなたが私に向けて教える
×あなたが私に向けて頼む
△あなたが私に向けて命じる
△あなたが私に向けて謝る
△あなたが私に向けて尋ねる
×あなたが私に向けて渡す
△あなたが私に向けて返す
△あなたが私に向けて払う
△あなたが私に向けて振る
△あなたが私に向けて届ける
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「私にそんなことを言われても困ります」は学会で話題になるような問題だったのですね。


大野氏がわざわざ学会で発表されたのですから、新発想だったのでしょう。常識的な話を学会で発表することは考えられません。
 できない相談ですが、大野氏に聞きただしたいのは、この「受身文」の主語(主体)は何なんでしょうか。
日本語文法的に「主語不要論」の立場にたつからでしょうか。「主格補語」は場合に応じて付けるもので、不要な場合は付けなくてもいい。そんな考えなんでしょうか。
 条件によっては、この受身文は成立するというのが結論のようですが、この条件は「ニ格」をとる動詞なら、すべてに流用できるものなのでしょうか。たとえば、以下の動詞。
 聞く・怒る・話す・教える・頼む・命じる・謝る・尋ねる・渡す・返す・払う・振る・届く
ま、このような新発想はあっても、私は下記サイトのような常識的な考えを採り続けますが。

http://www.geocities.jp/niwasaburoo/25boisu.html … 受身文(日本文法概説)
http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php … 受け身/受動態(日本語教師のページ)
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#29です。



A.
>最初「そんなこと私に言われても困ります」を見たときに、受身文の「~に」は能動文の主語になるはずだからこの文は受身文としてはおかしいと思ってましたが、現在では「~に」はその目的だけで使われるとは限らないのでこの文もおかしくないと思っています。

たしかに、受身文の「~に」は動作主(能動文)を表わすのが一般的なので、当初、受身にはならない(かもしれない)、と感じられたのは自然な感覚だと思います。
この点に関しては、「日本語教師のページ」でも下記のように記されているような次第でして。
【受け身文の認定/非ガ格名詞からガ格名詞への転換】
言語一般<日本語の構造>
「一郎が洋平にしかられる」のような受け身文では、受け身文と認定するに際して「動作主以外のものが主語(主格補語)になること」という構文的規定がある。つまり受け身文を考える場合は、常に能動文が先にあり、そこでの動作主以外の者(非ガ格名詞)が主語(ガ格名詞)に転換することによって受け身文が形成されるとするのである。この「主語の転換」こそが可能・自発・尊敬と受け身とが区別される第一の特徴である。
http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php …
【動作主以外の者(非ガ格名詞)が主語(ガ格名詞)に転換することによって受け身文が形成される】という【構文的規定】があるということなので、これをご質問のケースにあてはめれば、
「あなたが私にそんなこと言っても困ります(A)」という能動文が先にあり、この受身文は「私があなたにそんなこと言われても困ります」となるのであり、また、それは構文的規定に基づいている。
と言っていることになる。
これがいわゆる「ニ格の受身」と呼ばれる構造でしょう。
こうしたことから、
「そんなこと私に言われても困ります」を能動文 A の受身とするなら、『「言われる人」がニ格で表されていて助詞に矛盾がある(大野氏)』
ということになるのだと思います。

しかし、ニ格にも色々あって、
 a.3 動作・作用の帰着点・方向を表す。(大辞泉)
 b.『(行為の)到達点』(大野氏)
という用法の「私に」という場合にも受身は成立する、という考え方もできる(はず)。
大野氏は、
【この例文で,話者の表現したいことはまず第一に「『言う』という行為が自分に向かってきたこと」で,それを示すのが「言う」の到達点が自分であることを表すマーカー「ニ」である.】
と述べています。
ここで重要なのは、【この例文で,話者の表現したいことはまず第一に「『言う』という行為が自分に向かってきたこと」】という捉え方です。
この捉え方が腑に落ちないようですと、「あなたから(『言う』という行為が自分に向かってきた)」という解釈もできなくなるため、
『そんなこと(あなたから)私に(向けるという形で私が)言われても困ります。』
といった解釈はこじつけに見えてしまうことでしょう。
つまり、「あなたから」という解釈を認めるためには、「私に」に対して
 a.3 動作・作用の帰着点・方向を表す。(大辞泉)
 b.『(行為の)到達点』(大野氏)
という用法を適用できると考えるか否か?
これが最初、且つ最も肝心な論点になるわけです。
私の場合は、
1.適用できると考えるからこそ、「あなたから(私に向かって)」という解釈が可能になる。
2.「あなたから(私に向かって)」という解釈が可能になるから「そんなこと私に言われても困ります」を受身文として認定することができる。
という論理ですが、しかし、
適用できないと考える方は、
1’.適用できないと考えるからこそ、「あなたから(私に向かって)」という解釈は不可能。
2’.「あなたから(私に向かって)」という解釈が不可能なら「そんなこと私に言われても困ります」を受身文として認定することはできない。
このような論理(にならざるを得ない)でしょう。
また、私の場合、1を前提にして2が成り立っているわけなので、1の前提内容である「あなたから(私に向かって)」という解釈抜きで、「受身文として認定できる」という論理の正当性を述べよ、と言われたら困惑せざるを得ない。
この意味で、#28で、OKATさんがおっしゃるところの、
【多分「あなたから」とすればいいと言う選択肢が浮かぶでしょうが、それは別の話です。)】というのは無茶振りでしょう。
ただ、「適用できると考える(h)」「適用できないと考える(o)」という結論にそれぞれ(現段階では)達しているようなので、
【結論は出ています。二人が別々の結論を出しているだけです。】
というご指摘は正しい。

いずれにせよ、上記大野氏の見解を今回の論点に沿わせる形で言い換えるなら、次のようになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「そんなこと私に言われても困ります」という文における「私に」の「に」は、「言う」の到達点が自分であることを表わすマーカー「ニ」を意味するために使われているのであり、【「動作主以外のものが主語(主格補語)になること」という構文的規定】に基づいて生成されるべき「私が」という主語に関しては省略されているにすぎない。
つまり、この文の構造を、
『そんなこと(あなたから)私に(向けるという形で私が)言われても困ります。』という受身の解釈も可能である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして、#25で述べましたように、こうした解釈を言葉にして表現する場合、(解釈した要素をすべて口にする必要はないのだから)、
(ア)『そんなことあなたから言われても困ります。』
(イ)『そんなことあなたから私が言われても困ります。』
(ウ)『そんなこと私が言われても困ります。』
(エ)『そんなことあなたから私に言われても困ります。』
(オ)『そんなこと私に言われても困ります。』
など、色々な方法がとれる。
原文は、この(オ)の構文を採用していることになるわけで、受身として自然に通用する表現である。これが私の結論。
私としては、質問者さんから大野氏の論文(要旨)も提示されたことですし、みなさんには、今回の、及び#29の私の回答を再度ご覧いただいた上で、改めてご検討いただければ良いが、と願っている次第。

B.
>「彼氏に私の家に泥棒に入られた」

たしかに、「に」の用法は多様ですね。可能な限り詰め込んでみました。
「ご無沙汰しております。先生にはいかがお過ごしでしょうか。昨年の暮れに、私に好かれていたはずの、結婚相手第一本命に押していた、父に似た容貌の彼氏に家の東にある私の部屋に借金を返すために簡単に泥棒に入られて金庫の中が空になり、あまりの酷さに、ひとしきり騒ぎに騒いだのですが、よく考えてみれば、ありそうなことだったようにも思われます」
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この回答へのお礼

解説ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/26 09:01

なんだかなぁ。


 また堂々めぐりが始まった気がします。
 当方は、質問者の感覚に同感です。

〈「(あなたから) 私に言われる」と考えればそれほど不自然ではない〉……そのとおりだと思います。
 OKATさんは〈多分「あなたから」とすればいいと言う選択肢が浮かぶでしょうが、それは別の話です〉と書いていますが、何がどう「別」なのか当方にはわかりません。
 大野さんがどう書いているのかがわからないので、憶測で書くのはやめておきます。フツーは要約があればわかりそうなものなのですが……。
 
〈助詞に矛盾がある〉……そういう例はいくらでもあると思います。
 当方は「受身」と考えて何がおかしいのかわかりません。大野さんの論文のタイトルも「―受動文に関する一考察」ですよね。


OKATさんへ。
〈二人が別々の結論を出しているだけ〉……それって「結論」ですかね。
 いままでにも何度もありましたね。付き合いがいいというかなんというか。当方がバカバカしいので、そういう展開になったら引き上げることにしています。
 過去のやり取りでは、当方は基本的にOKATさんの説を支持しているはずです。根拠のあげ方が違いますから。でも何をあげてもムダな気がします。
 今回のテーマに関しては、難解なうえに同じような記述が何度も何度も繰り返されていて、酩酊感が強くて何がなんだかわかりません。「別々の結論」がなんなのかも、当方にはわかりません。
 No.27であげた例もウンザリでした。
 下記あたりもご参照ください。

【「彼女に恋する」と「彼女を愛する」】2015/12/30(No.7まで)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9141652.html
 ↓
【「彼女に恋する」と「彼女を愛する」その2】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9147514.html

【「する」「させる」】2015/04/25(No.27まで)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8969529.html
 ↓
【続「する」「させる」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8998066.html
 
>必要あればこれに対する私の意見も述べたいと思います。書く場所があればの話ですが。
 mixiのトピでもよいのでは。ただ、最近はわけのわからないことになっていますが。

 ここで新たに質問してもよいのでしょう。ただ、いつもの展開になるなら、当方はスルーします。
 ちなみに、現段階では「おっしゃられる」を「習慣として定着しているもの」と考えるのは無理ですよね。
 近い将来、そうなる気がしますが。
【チャレンジ日記──二重敬語】〈1〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2422. …
===========引用開始
4)おっしゃられる
「言う」の尊敬語「おっしゃる」に「レル」がついた形なので、典型的な二重敬語。
 次に許容される二重敬語は何か、というアンケートがあったら、真っ先にこれをあげたい。理由は使用例が多いから。そんな曖昧な理由では認められないとは言わせねえよ(我が家か?)。そもそも文化庁が許容した二重敬語は「習慣として定着」しているからという理由。同じことだろう。
===========引用終了
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#29です。



勘違いがあり、失礼しました。
一部、訂正させていただきます。

×
冒頭、ご要望にお応えして、お示しになったリンク先ページの全文を以下に引用します。
日本言語学会というところの第121回研究大会での「 口頭発表要旨」というタイトル。


わたしも本文は探せなかったのですが、お示しになった、日本言語学会というところの第121回研究大会での「 口頭発表要旨」全文を、引用しつつ述べてみたいと思います。
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#25、#26です。



1.
冒頭、ご要望にお応えして、お示しになったリンク先ページの全文を以下に引用します。
日本言語学会というところの第121回研究大会での「 口頭発表要旨」というタイトル。

「私に言われても困る」―受動文に関する一考察

大野 純子(大正大)
「私に言われても困る」という文は「言われる人」がニ格で表されていて助詞に矛盾がある.「私」は「言われた人」であると同時に「困る」の経験主体でもある.この動詞の辞書形は一人称には直接使えるので「困る」の経験主体は「私」であると容易に想像できる.「*私に文句を言われてもむだだ」のように主節の述語が経験主体を要求しないものであると,従属節を受動文にすることができない.また,「言う」という動詞は「A から B へ」というように行為の向かう方向がはっきりしていて,まぎれようがない.この例文で,話者の表現したいことはまず第一に「『言う』という行為が自分に向かってきたこと」で,それを示すのが「言う」の到達点が自分であることを表すマーカー「ニ」である.

このような条件に合えば,ヴォイスの転換はラレにまかせて,動詞「言う」が求める,行為の goal を表す「ニ」を変えないということが可能になる.
http://www.ls-japan.org/modules/documents/index. …

この最後の2つの文などは、基本的に今まで述べてきた私の考え方に近いと言って良さそうですね。
「私」を「言う」という動作の到達点として認めているわけで、この場合の「私に」は
 3 動作・作用の帰着点・方向を表す。(大辞泉)
(一)4 帰着点や動作の及ぶ方向を表す。(大辞林)
という用法である、と述べていることになるので。
そして、通常の受身であれば「私が言われても困る」となるべきところ、こうした「に」の用法が適用可能な動詞やシチュエーションにおぃては、「に」をそのまま生かす形で「私に言われても困る」という表現が可能である、ということだと思われます。

ただ、質問者さんも十分理解なさっておられるとは思いますが、学者が言ってるから正しいということにはならず(なぜかと言うと、反対の論者も当然いるからです)、典拠を丸呑みにするのは危険。どの典拠に納得するのか、ということ自体が主観的判断にならざるを得ないわけで、あくまで、それぞれの見解が論理的であるか否か、という点について自己責任で判断することが必要です。
そういったことも含め、また、今までの私の投稿内容がわかりづらいというご指摘もあるようですので、私なりに色々考えたことを、次の項で改めて(可能なかぎりわかりやすく)述べてみたいと思います。

2.
a.
まず、「に」に関して、
 3 動作・作用の帰着点・方向を表す。「家―着く」「東―向かう」
 6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。「人―よくかみつく犬」「友人―伝える」
という2つの用法の違いについて、十分に理解していただく必要があると思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/166083/meaning/m1 …
具体例を挙げると、
「東に歩く」は、3の用法。
「東に向けて(向かって)歩く」という意味であって、
「東に対して歩く」とは言わない。また、
「人によくかみつく犬」は、6の用法。
「人に(対して)よくかみつく犬」という意味であって、
「人に(向かって)よくかみつく犬」とは言わない。

b.
次に、「言う」という動作には、3と6両方の用法が適用可能だということを確認していただきたい。
つまり、
「私に向けて言う」(用法3)
「私に対して言う」(用法6)
というニュアンスの違い。
a の例では、3と6の違いが顕著なので区別がつきやすいわけですが、「言う」をはじめ多くの動詞ではどちらにも使える、という点が判断を難しくしている一因なのかもしれません。
いずれにせよ、ニュアンスの違いをわかりやすくするために a を提示させていただいたわけなので、 a を再度ごらんになりながらご検討いただければと思います。

c.
さて、「そんなこと私に言われても困ります。」が尊敬文であるのは誰もが認めるところですが、では、受身文にもなり得るか?というのが現在の論点です。
「言う」に6の用法しかない、と捉えるなら、
『そんなこと私に(対してあなたが)言われても困ります。』という解釈しかできないため、受身文にはなり得ない、ということになる。
3の用法もある、と捉えるなら、
『そんなこと(あなたから)私に(向けるという形で私が)言われても困ります。』という受身の解釈も可能になる。
この解釈を言葉にして表現する場合、色々な構文が可能でしょう。(解釈した要素をすべて口にする必要はないのだから)
(ア)『そんなことあなたから言われても困ります。』
(イ)『そんなことあなたから私が言われても困ります。』
(ウ)『そんなこと私が言われても困ります。』
(エ)『そんなことあなたから私に言われても困ります。』
(オ)『そんなこと私に言われても困ります。』
もしかすると他にもあるかもしれません。
原文は、この(オ)の構文を採用していることになるわけで、受身として自然に通用する表現である、とわたしは思います。
反論される場合は、a, b, c, どの箇所に対しての反論なのか、明確にした上で反論していただくと、(同意するにせよ見解の相違になるにせよ)お互いの理解が進みやすくなるものと思われます。

3.
大野氏の要旨、
>「言う」という動詞は「A から B へ」というように行為の向かう方向がはっきりしていて,まぎれようがない.

という箇所について。
構文的には、『「言う」という動詞は「A から B へ」というように行為の向かう方向』という要素 しか 持たない。
という意味にとれますね。
おそらくですが、「私に」は基本的には、
 6 動作・作用の行われる対象・相手を表す。
という用法であるが、
 6-2 動作・作用の向かう対象・相手を表す。
という解釈も可能である、ということではないかと思われます。全文を参照できないので断定はできませんが、おそらくそうでしょう。
この場合、6は尊敬用法、 6-2 は受身用法、のような使い分けができるということなのだと思います。
私の場合、この 6-2 の要素を
 3 動作・作用の帰着点・方向を表す。
という語釈に求めたことになる。
いずれにせよ、本質的な点に関しては大差ないと言って良さそう。

4.
横道に逸れるかもしれませんが、まったく無関係というわけでもなさそうなので、#27の 1311tobi さんがご紹介になった【「そのようにおっしゃられても困ります」】 に関しても触れてみたいと思います。
a.
まず、第一の論点「二重敬語」に関して。
「おっしゃられる」が「おっしゃる+れる」という形の二重敬語であるのは明らかです。
ここで文化審議会答申<敬語の指針>#30ページを参照してみましょう。次のような記載があります。

「二重敬語」は,一般に適切ではないとされている。ただし,語によっては,習慣
として定着しているものもある。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/so …
たしかに、『「二重敬語」は,一般に適切ではないとされている』のは事実ですが、「おっしゃられる」に関しては、『習慣として定着しているもの』と捉えて良いように個人的には思います。
この前提で申し上げると、「そのようにおっしゃられても困ります」は尊敬表現として十分通用する。

b.
では、受身表現にもなり得るか、というのがおそらく第二の論点なのでしょうが、受身としては不可、というのが私の見解です。
理由の根拠としては、「おっしゃる」が尊敬語の【特定形】である、ということが重要な要素になります。
「そのように言われても困ります」の構造を分解した場合、次のようになるでしょう。
(ア)「そのように私があなたに言われても困ります」(受身)
(イ)「そのようにあなたが私に言っても困ります」(能動)
この場合、「言われて=私の動作」「言って=あなたの動作」です。
「そのようにおっしゃられても困ります」の場合も、次のようになる。
(ウ)「そのように私があなたにおっしゃられても困ります」(受身)
(エ)「そのようにあなたが私におっしゃっても困ります」(能動)
この場合、構図としては、アやイと同じく「おっしゃられて=私の動作」「おっしゃって=あなたの動作」のようになる。
しかし、先に述べたように、「おっしゃる」は、あくまで「言う」という尊敬語の【特定形】です。
因みに「特定」とは、
特にそれと指定すること。また、特にそれと定まっていること。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/158166/meaning/m1 …
たしかに、「おっしゃられる」=相手が「おっしゃる」という動作を私が「れる(受身)」、という構図なので受身として問題なさそうに見えるが、「おっしゃられて=私の動作」という構図になる以上、「おっしゃる」が「尊敬語の特定形」であるにも拘わらず「私の動作」に参画していることになる。
これは、【特定形】という概念にはそぐわない、という論理。
ひとつの視点として何かのご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

最初「そんなこと私に言われても困ります」を見たときに、受身文の「~に」は能動文の主語になるはずだからこの文は受身文としてはおかしいと思ってましたが、現在では「~に」はその目的だけで使われるとは限らないのでこの文もおかしくないと思っています。

ちなみに少し古い記事ですがこういう文もありました。
「彼氏に泥棒に入られた」
https://www.daily.co.jp/gossip/incident/2016/04/ …
「彼氏が泥棒に入った」と言えば明確なのですが、迷惑感とか被害感を出すために受け身にしたのでしょうね。泥棒にの「に」は今問題になっている私にの「に」とは違う用法ですね。色々な「~に」があります。
「彼氏に私の家に泥棒に入られた」も日本語としてありだと思っています。耳障りですが。

お礼日時:2017/03/25 09:30

1311tobiさんまで、話が分からないと言い出されても困ります。

もう止める気でいたのですが、質問者だけでなく、1311tobiさんにも説明しなければならないとは…
 結論は出ています。二人が別々の結論を出しているだけです。この二人はいつも対立していることが多いようです。リンクしていただいた、「先生にお電話をいただきました」「人に恩を受けた」この「に」は「から」ではないか、いうのが意見の相違でした。一方( hakobuluさん)が「に」といえば、私が「から」だという。1311tobiさんはどっちでもいいという考えなのですか。今回も「に」と「から」の話も関係はありますが、本質は「に」のことで対立しています。
 「そんなこと私<に>言われても困ります」(受身形だとして)
この中の「に」は、「私<に>(向かって)言う」の「に」なのか、受身の(事実上の)動作主を表す「に」なのかです。
この二つをどちらも必要と考えて入れると、
 「そんなことあなた<に>私<に>言われても困ります。」
になりますが、これは非文です。
 そこで、1311tobiさんに質問です。『どちらの「に」を残すべきですか。』(この質問に結論を出すために協力してください。多分「あなたから」とすればいいと言う選択肢が浮かぶでしょうが、それは別の話です。)

 関連して、リンク先に「そのようにおっしゃられても困ります」があったのでびっくりしました。(受身と尊敬語の複合だと言うことです)同じようなことが問題になるのですね。必要あればこれに対する私の意見も述べたいと思います。書く場所があればの話ですが。
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初めてコメントします。


 難解なやり取りが延々と続き……最初は理解しようと頑張ったのですが、しだいにコメントの意図が不明になり、いったい何が論点で、どちらの主張がなんなかさえわからなくなっています。
 質問者はよくついていっているなぁ、と感心していました。
 ただ、2度目に補足を読んで、やはり質問者も混乱しているのではないかと思いました。

「そんなこと私に言われても困ります」
 これだけ延々と話が続いて結論らしきものが見えないのですから、文脈しだいで「尊敬」とも「受身」ともとれるのでしょう、たぶん。それでよいのでは。

「そんなこと私に言われても困ります」ってそんなにヘンですか。
「(私は当事者じゃないんだから)そんなこと私に言われても困ります。(当事者である)彼に訊いてください」
 って、どこがヘンなのでしょう。
 フツーの言い回しなのでは。
 これは「受身」でしょうね。

 以下は余談です。
 この話は、下記あたりからずーっと続いている気がします。
 質問者の本題とどう関係があるのか、当方にはわかりません。

【「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9278130.html
【続 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9291488.html
【続々 「先生にお電話をいただきました」と「先生にお電話を差し上げました」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9365661.html

 さらに書くと、本題が「尊敬」だとすると、尊敬を外した形はどうなるのでしょう。
 さらについでに書くと、「尊敬」だとすると、文意をはっきりさせるにはどうしたらよいのでしょう。
 No.2で「おっしゃられても」という案が出ていますが、それは典型的な二重敬語では。
「受身」の要素はない、という解釈なんですから「おっしゃっても」ですかね。これもなんかヘンな感じです。
 仮に「受身」兼「尊敬」の意味合いで「おっしゃられても」と言えるか否かということなら……これはまたやっかいな話になります。
 昔、mixiで大激論になって、結局何がなんだかわかっていません(泣)。
【「そのようにおっしゃられても困ります」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398881&id=664 …
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#25です。


2つ目の補足拝見しました。

>そんなこと言われても困る。
と言おうとしたのを、あなたが「彼に」言うのは良いが、「私に」言うのは困るということを強調したくて、「私に」を追加したのだと思います。

同感です。
「私に」を強調したい場合、
a1.そんなこと私に言われても困ります。
b1.そんなこと私が言われても困ります。
このような2種類の表現が可能だと思います。
これを略さずに表現するなら、
a2.そんなこと(あなたから)私に言われても困ります。
b2.そんなこと(あなたに)私が言われても困ります。
でしょうか。
これらは、
a3.そんなことあなたから(私に)言われても困ります。
b3.そんなことあなたに(私が)言われても困ります。
のように省略した表現も自然になる。

因みに、a2 a3 の「から」は、
1 動作・作用の起点を表す。
㋐空間的起点、出所を示す。「目―大粒の涙が落ちた」「本人―直接話を聞く」
という用法。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/45491/meaning/m1u …
大辞林では、
一 ⑤ 動作・作用の出どころを表す。 「君-聞いた話」 「おやじ-おこられた」
のように表現しています。
http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM- …
「起点・出どころ」なので、受身文における「私に」の
 3 動作・作用の帰着点・方向を表す。
という用法にも、ピタリと対応していると言って良いでしょう。
いずれにせよ、「あなたに私に言われる。」が不自然であるのは歴然としていますが、しかし、そのことと、「そんなこと私に言われても困ります。」が受身文として適切か否かということとは無関係だと思います。
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