
1.
格助詞「に」と「で」の意義の相違について。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11786373.html
この筆者は、
(ア)格助詞「に」は場所を表わす。
という定義を批判し、その理由として、
『格助詞「に」=場所』という意味になってしまうからだ。
と主張している。
しかし、(ア)の文は『格助詞「に」=場所』と言ってるわけではないのだから、彼は明らかな勘違いに基づく言いがかりを付けていることになる。
これが彼の根本的な、そして決定的な誤りである。
こうした勘違いの認識から始まっているため、彼の批判はすべてがまったくの出鱈目にならざるを得ないし、実際そうなっている。
そもそも「表わす」というのは「示す・表現する」という意味であり、
「〇〇は▲▲を表わす」という文が「〇〇=▲▲」という意味になるわけがない。
「長めの笛は試合終了を表わす」が「長めの笛=試合終了」じゃないのと同じだ。(長めの笛後の会見が始まります、なんて言うアナウンサーはいない)
あくまで「長めの笛は試合終了を示す」という意味である。
「信号の赤は止まれという合図を表わす」は「信号の赤=止まれという合図」ではない。
あくまで「信号の赤は止まれという合図を示す」という意味である。
このように、すべての矛盾・曲解・勘違い・言いがかりの原因は、
【この筆者は「表わす」の意味を勘違いして覚えている。】
ということにある。
(☜この簡単な事実さえ理解できれば彼の批判は止まざるを得ないだろう)
2.
彼の主張は次のとおりだ。
(イ-1)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12206310.html?pg=1& …(#66)
この定義自体は正しい。
ただ、この文で『格助詞「に」=空間的・時間的な位置付けの認識』だと言ってるつもりらしいが、先に述べたように、この文はそういう意味にはならないのである。
あくまで、
格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を示す。
という意味なのだ。
「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。
という意味の他動詞である。
「展示物を正面に位置付ける」のように使う。
しかし、(イ)では、なにをどこに位置付けるのかが曖昧である。
この構造が重要なのだが、
『会議は5時に始まる』
という文においては、
(イー2)格助詞「に」は「始まる」という動作を「5時」という時間的な地点に位置付ける認識を表わす。
という意味になる。
意義としては、
(イー3)格助詞「に」は(「に」の後ろに続く)動作を(「に」の直前の)空間的・時間的な地点に位置付ける認識を表わす。
という表現になるだろう。
常にこのように表現する必要性はないが、(イ-1)の定義は、こういった意味であることを理解しておくことが重要だ、ということだ。
(イー2)がわかりやすいと思うので再度とりあげるが、これをさらに分析すると次のような意味であることがお分かりいただけるのではないだろうか。
(イー2’)格助詞「に」は「始まる」という動作を【未だ何処とも定まっていない地点から】「5時」という時間的な地点に位置付ける認識を表わす。
【未だ何処とも定まっていない地点から】「5時」という時間的な地点に位置付けるのですから、位置付けられた「5時」という時間的な地点を「着点」と認識するのは、極めて自然であり論理的でしょう。
以上を要約して格助詞「に」の本質的意義(ただひとつの意味)を定義するなら、
(ア-2)格助詞「に」は着点を表わす。
と表現するのが妥当と思うのですが、いかがでしょうか?
冒頭文が、
(ア)格助詞「に」は(着点としての)場所を表わす。
という意味であることはご理解いただけるでしょう。
学研国語大辞典の注釈も以下に改めてお示ししておきますので、参照しつつご検討いただければ幸いです。
●動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。(学国)
⇒この文における格助詞「に」は、「始まる」という動作が成立しおもむく時間上の静止点を「5時」と指定し、「5時に」という連用修飾句を作っている。
3.
因みに、彼自身、勘違いであることを自覚しているかのような片鱗が見えなくもない。
それは、たとえば、
a.《格助詞「に」自体が「受け取り手」を表わしているのではないのも明らかであろう。》
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
という発言にヒントがある。
無意識的であろうが、ここで彼は、
b.《格助詞「に」が「受け取り手」を表わしているのではないのも明らかであろう。》
とは言っていないのだ。おそらく、
・格助詞「に」は〇〇を表わす。
のように、
「自体」という語が無い場合、『格助詞「に」=〇〇』という意味にはならない、
という感覚を(無意識的に)彼は持っているのだろうと思われる。
この点が僅かながらの希望と言えば言えるだろう。
つまり、彼は実は「表わす」の意味を【無意識的には正確に把握している】はずなのだ。
しかし、
「〇〇は▲▲を表わす」という文は「〇〇=▲▲」という意味である。
という誤った持論を正当化するために、
(ア)格助詞「に」は場所を表わす。
の代わりに
(アー×)格助詞「に」自体は場所を表わす。
をいかにも同じ内容であるかのように入れ替えて提示しているのだと思われる。
たしかに、「自体」と付け加えることで、『格助詞「に」=場所』というニュアンスを出したい気持ちは伝わると思う。
そして、まあ、それは許容範囲とも言えるかもしれない。
しかし、そもそも「自体」という語を付記していない(ア)の文は『格助詞「に」=場所』と言っているわけではないのだから、完全にお門違いの批判を繰り広げていることに気づかなくてはならない。
『名詞や動詞などと違って、【助詞はそれ自体がある事物や動作・状態を指さない。】助詞の意味というときには、ここに問題点の一つがある。』
という国広氏の論文を引用して、批判の根拠としたりもしているが、国広氏が使っている「自体」の意味も理解していないことは明らかだろう。
この論文が、
(ア)格助詞「に」は場所を表わす。
を否定しているものでないことも明らかなのだが、この筆者は、そのことにも気づいていない。国広氏は、
『庭に鶏がいる』の場合、
助詞「に」自体が「庭」という場所を指しているのではない、と言っているにすぎず、
助詞「に」が、「(鶏が)いる」という動作の着点(あるいは位置付け先)としての「庭」という場所を指す話者の認識を表わして(示して)いることを否定しているわけではないのだ。
4.
なお「着点」の概念について、さらに詳しくは、
「イメージで教える日本語の格助詞」(杉村 泰)
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/1/sug …
「格助詞にの統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ」(菅井 三味)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8221 …
などで、より専門的な見解が展開されております。
また、私見については、下記の拙質問で色々な切り口を述べていますのでご参照いただければ光栄です。
・《格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷》 批判
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12206310.html?pg=2& …
・会議は5時に始まります。(その2)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12197101.html
・会議は5時に始まります。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12189564.html?pg=1& …
長文を最後までお読みいただき感謝申し上げます。
書きなぐりで整っていない文になっているかもしれませんが、忌憚のないご見解をお聞かせいただければ幸いです。
A 回答 (59件中41~50件)
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No.18
- 回答日時:
どうも理解できていないようなので、補足しておきます。
空間的、時間的な位置付けの認識≠着点としての)場所
ということです。
■
ご回答ありがとうございます。
>空間的、時間的な位置付けの認識≠着点としての)場所
:
はい、それは十分に理解しております。
《格助詞「に」は空間的、時間的な位置付けの認識を表しています。
も否定していません。(最初から)
質問文をちゃんと読んでくれれば、論点がそこじゃないことはわかるでしょう???
わかりづらいようだから、ちゃんと質問形式にしてあげたんだから、まじめに答えたらよかろうに。
1.
(イ-1)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
これはご自身が定めた定義である。
2.
この文中の「位置付け」は「位置付ける」という動詞の転成名詞であり、
「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。
という意味の他動詞である。
「展示物【を】正面【に】位置付ける」のように使う。
3.
つまり、(イ-1)は、
(イー3)格助詞「に」は(「に」の後ろに続く)動作を(「に」の直前の)空間的・時間的な地点に位置付ける認識を表わす。
という意味になる。
わかりやすくするため、
『庭に鶏がいる』という例文を挙げれば、
(イー2)格助詞「に」は「いる」という動作を「庭」という空間的な地点に位置付ける認識を表わす。
という意味になる。
※この項で異議がある場合は、
では、何【を】何【に】位置付けるのか?
に対する答えを明記してください。
4.
この(イー2)の定義は、
「庭」は、
動作を空間的な地点に位置付けるという格助詞「に」の持つ認識によって、
「いる」という動作が位置付けられた空間的な地点であることを表わしていることになる。
5.
つまり、
格助詞「に」の持つ認識によって、「庭」は空間的な地点となったのであるから、
《格助詞「に」は(「庭」という空間)場所を表わす。》
と言える。
6.
因みに、
格助詞「に」は「いる」という動作を【未だ何処とも定まっていない地点から】「庭」という空間的な地点に位置付ける認識を表わす。
のであるから、
《格助詞「に」は(「庭」という着点としての)場所を表わす。》
簡潔に、
《格助詞「に」は着点を表わす。》
を本質的意義とするのが妥当である。
No.16
- 回答日時:
>>第5項目まではすべてイエス、つまり同意するということでよろしいのかな?
>《格助詞「に」は空間的、時間的な位置付けの認識を表しています。
:
それを否定したことは過去一度もありませんが???
何度言っても、分からん人ですな!
であれば、そのような質問をすること自体がナンセンスな言葉遊びだと言っているのが理解できませんか?
■
No.15
- 回答日時:
なお、付け加えれば、
粗雑な質問者の日本語理解では、古事記、古事記序文を正しく読解することはできません。せいぜい、当方が批判した著者レベルが関の山です。■
ご回答ありがとうございます。
>★格助詞「に」は着点など表わしてはいません。
:
はいはい、それはあなたのご自由です。
しかし、着点に触れているのは第6項目だけであることぐらいは理解できるよね?
ということは、第5項目まではすべてイエス、つまり同意するということでよろしいのかな?
>《格助詞「に」は空間的、時間的な位置付けの認識を表しています。
:
それを否定したことは過去一度もありませんが???
No.14
- 回答日時:
>>一年ほど前までは、ある程度まともな応答ができていた、ということですね。
あらら?
今年は2021年ですよ。
どこを見ていますか。
病(やまい)膏肓(こうこう)に入(い)・る の解説
1 病気がひどくなり、治療しようもない状態となる。
ですかね。まあ、それでは已むをえませんが、
【★格助詞「に」は着点など表わしてはいません。
★《格助詞「に」は空間的、時間的な位置付けの認識を表しています。】
いつまで寝言を繰り返しているのですか。
諸賢の笑いものになるだけですよ!
■
ご回答ありがとうございます。
>どこを見ていますか。
:
2019年のほうね。
>いつまで寝言を繰り返しているのですか。
:
こんな簡単な質問にイエスノーで答えることすらできない・・・。
やはり猿に論理は無理であったか(笑)
No.13
- 回答日時:
>>本当に心配ですが、あなたどっかお悪いんじゃありませんか?
くれぐれも無理をなさらないようにしてくださいね。
良識あるかた方々からは下記他のしかるべき応答をいただいておりますので全くご心配は無用です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=508139&id=92 …
他。■
ご回答ありがとうございます。
なるほど。
一年ほど前までは、ある程度まともな応答ができていた、ということですね。
早くその頃の感覚が戻るといいですね。
さて、今回は、ご理解の一助となることを願い質問形式にしてみます。
【上から順に】質問していきます。
イエスノーで答えられる簡単な質問です。
以下、イエスなら次の項目をお読みください。
ノーなら理由を述べて終了してください。
先に進む必要は無し。
どの箇所で異議が生じるのかを明確にすることで論点が浮き彫りになり、その後の議論に役立ちますのでよろしくどうぞ。
1.
(イ-1)格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わす。(アスナロウ)
これはご自身が定めた定義である。
2.
この文中の「位置付け」は「位置付ける」という動詞の転成名詞であり、
「位置付ける」は、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。
という意味の他動詞である。
「展示物【を】正面【に】位置付ける」のように使う。
3.
つまり、(イ-1)は、
(イー3)格助詞「に」は(「に」の後ろに続く)動作を(「に」の直前の)空間的・時間的な地点に位置付ける認識を表わす。
という意味になる。
わかりやすくするため、
『庭に鶏がいる』という例文を挙げれば、
(イー2)格助詞「に」は「いる」という動作を「庭」という空間的な地点に位置付ける認識を表わす。
という意味になる。
※この項で異議がある場合は、
では、何【を】何【に】位置付けるのか?
に対する答えを明記してください。
4.
この(イー2)の定義は、
「庭」は、
動作を空間的な地点に位置付けるという格助詞「に」の持つ認識によって、
「いる」という動作が位置付けられた空間的な地点であることを表わしていることになる。
5.
つまり、
格助詞「に」の持つ認識によって、「庭」は空間的な地点となったのであるから、
《格助詞「に」は(「庭」という空間)場所を表わす。》
と言える。
6.
因みに、
格助詞「に」は「いる」という動作を【未だ何処とも定まっていない地点から】「庭」という空間的な地点に位置付ける認識を表わす。
のであるから、
《格助詞「に」は(「庭」という着点としての)場所を表わす。》
簡潔に、
《格助詞「に」は着点を表わす。》
を本質的意義とするのが妥当である。
No.12
- 回答日時:
>>何かといえば、あれ読め、これ読めで、自分の言葉で語るということがまったくできないのも肯ける。
奴素人のハチャメチャな思い込みではなく、先人の成果を元に責任ある論理的な思考、発言をしましょうということです。
ま、これからも無責任な戯れ事の誤りはどしどし指摘し、粉砕していきます。■
ご回答ありがとうございます。
>ま、これからも無責任な戯れ事の誤りはどしどし指摘し、粉砕していきます。
:
珍しく意見が一致しましたな。(笑)
それにしても、指摘するたびにスルーして逃げ回っているのは、どこのどなたかな???(笑)(笑)
No.11
- 回答日時:
なお、No.1 で、
杉村 泰
「イメージで教える日本語の格助詞」
菅井三実
「格助詞にの統一的分析に向けた――認知言語学的アプローチ」
の誤りを指摘しておきましたが理解できますか?
現在の読解力の無さでは如何ともしがたい所ですが、言葉遊びではなく、この辺が論理的に理解できるようになりましょう。■
ご回答ありがとうございます。
本当に心配ですが、あなたどっかお悪いんじゃありませんか?
くれぐれも無理をなさらないようにしてくださいね。
十分理解した上で反論していますが、その内容が理解できないということですか?
極めてわかりやすく丁寧に解説してあげたつもりですが?
読んでないのですか?
それとも、読んだけど言ってる内容を理解できなかったのですか?
>現在の読解力の無さでは如何ともしがたい所ですが、言葉遊びではなく、この辺が論理的に理解できるようになりましょう。
:
門前の小僧、いや、それ以下の猿から、そんなことを言われてもねえ。(笑)
あなたに論理という言葉を吐くしかくは一ミリもありませんぞ?
そもそも、あなたは会話というものができておらんという自覚はないのかな?
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アスナロウさんご返信ありがとうございます。
明日ゆっくり応答します。
第3項がノー ということですね。
下記のようにはっきりと明記していると思いますが、見落とされましたか?
じっくりとお考えのうえ、答えを出しておいてください。
第2項をお認めになったわけですから、答えが出せないと論理破綻となります。
※この項(第3項)で異議がある場合は、
では、何【を】何【に】位置付けるのか?
に対する答えを明記してください。
>>何【に】位置付けるのか?
いうも愚かだろう。
そんなことも判らんのか?
:
へえ~~~???(笑)
じゃあ、なぜ、
動作を位置づけるのではなく、この文の格助詞「に」は「庭」という場所を空間的に位置付ける認識を表しています。(#22)
としか言えてないわけ?????
何【に】位置付けるのか?
わからないから、何【を】しか書かなかったんだろ?ーしかも、間違ってるし(笑)ー
現に、何度聞いていも、一度も答えてないよね?
何【に】位置付けるのか?
に関しては。
分からないんだろ?
見え見え、ばればれだっちゅうの。(笑)
>結局、本質問は諸賢から無視の憂き目に遭った愚論に過ぎないということをしかと自覚しましょう。
:
君のようなイカレポンチが曲解・勘違いを基にして頓馬な回答を執拗にがなり立てるんだから、そりゃあまともな人が寄ってくるはずはなかろうて。
君子危うきに近寄らず、ということだ。
その意味で『諸賢』であるのは確かだな。(笑)
責任とれよ?(笑)
>いったい、<「いる」という動作を「庭」という空間的な地点に位置付ける>とは何を言わんとしているのか、日本語か?というレベルでしかありません。
:
なるほど。
まあ、気持ちはわかるので若干解説しておこう。
「いる」という動作が発生しているのは「庭」という空間的な地点であることを示すために位置付ける。
ということ。
「いる」だけの場合、この「いる」は当初、風来坊みたいなもので定住先が無い状態だ。
その憐れな「いる」に、「庭」という定住先(空間的地点)を提供するのが「に」の役割、ということ。
「庭」という定住先(空間的地点)を得て「いる」は生き生きと、その意味を聞き手に伝えることができるようになった。
めでたし、めでたし、というお話。
なお、なぜこんな面倒な解釈が必要かと言うと、他の格助詞との差異を明確にするためだ、ということも付記しておく。
#41お礼欄に現在の論点を記してある。
これには反論できないのか?
肝心の点については、またまたお得意のスルーが始まったかな?(笑)
どうでも良いことはよくしゃべるくせに、論点については何も返せない、というのが君の限界だということだよ。
>もう論点ずらしのネタも尽きたようじゃな!
:
君の場合、泉のように湧きまくって尽きることを知らないようだね?(笑)(笑)(笑)
「会議は5時に始まる」
「5時」は「始まる」という動作の着点として位置付けられたからこそ、会議の起点として機能し得ているわけだよ。
「始まる」という動作が「5時」という【空間的地点を舞台】に実行される。
「会議は5時に終わる」の場合も同様で、「終わる」という動作が「5時」という【空間的地点を舞台】に実行される。
実行されるのが(たまたま)「終わる」なので終点として機能し得るわけだ。
「終わる=終点」なのだが、それは「に」の意義ではない、という点に気づかなくてはいかんちゅうこと。
そもそも、動詞によって意義が替わるわけじゃない。
君の場合、持論から生じる矛盾を回避するために、「位置付ける」という表現にして逃げているだけなのだよ。
一向に答えんが、どこに位置付けるのだね?
それに答えられなければ論理破綻していると自ら思わんのか?
逃げているのは君のほうだということははっきりしているのだよ。