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下の芥川の話には何故「女」がタイトルに入っていますか。語り手は女ですか。語り手は芥川だと思っていますけど、多分これが間違っているのかもしれない。もうしかして、終わりに出る「先生」は女ですか。ありがとうございます。

三 或女の話

 わたしは丁度十二の時に修学旅行に直江津へ行ゆきました。(わたしの小学校は信州の×と云ふ町にあるのです。)その時始めて海と云ふものを見ました。それから又汽船と云ふものを見ました。汽船へ乗るには棧橋さんばしからはしけに乗らなければなりません。私達のゐた棧橋にはやはり修学旅行に来たらしい、どこか外の小学校の生徒も大勢わいわい言つてゐました。その外の小学校の生徒がはしけへ乗らうとした時です。黒い詰襟の洋服を着た二十四五の先生が一人ひとり、(いえ、わたしの学校の先生ではありません。)いきなりわたしを抱だき上げてはしけへ乗せてしまひました。それは勿論間違ひだつたのです。その先生は暫しばらくたつてから、わたしの学校の先生がわたしを受けとりにやつて来た時、何度もかう言つてあやまつてゐました。――「どうもうちの生徒にそつくりだもんですから。」

A 回答 (2件)

この「女」は語り手の「わたし」です。


ある女性が語った話、という体裁の文章です。

語り手を間違って抱き上げた「先生」は、詰襟の洋服を着ていることから考えるとおそらく男性です。
「わたしの学校の先生」についてはあまり書かれていませんので性別はわかりません。

なお、芥川龍之介は東京生まれの東京育ちです。
この点からも「わたしの小学校は信州の×と云ふ町にある」という語り手が芥川ではないことがわかります。
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「或る女」=文中の「わたし」



或る女(=わたし=語り手)が十二歳で修学旅行に行ったときの出来事を思い出して書いている文。

終わりに出る「わたしの学校の先生」は女ではありません。
或る女(=わたし=語り手)の担任の先生です。
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