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大学と大学院では、重きをおいているのは大学院でしょうか?
だとすると、大学の学部で偏差値の高いところに入学する意味って何でしょうか?

A 回答 (7件)

>大学と大学院では、重きをおいているのは大学院でしょうか?



主語は?

ちなみに、主語を「k-841は」とするならば、大学です。
大学院は確かに5年間かけて専門的な研究を行いますが、単純に時間のかかる課題に取り組んでいるからという要素が大きいように思います。実生活で役に立つ豆知識は大学の前半2年間で知識を得ます。この2年で得た知識があったおかげで社会でそこそこうまく立ち回れていると実感しています。
もちろん、DCの3年間で体得したマネジメントスキル(習わないが、体得します)も役に立っているとは思います。
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前の回答でも指摘されているように、理系学部では、学部と大学院修士課程(あるいは博士前期課程)の6年間は一貫のように考えられる傾向はあります。

もちろん、制度上はそうなっていませんが、ある程度レベルの高い大学、特に国立大学であれば、理系学部の教員の多くはそれを期待しています。
そういうこともあり、学部を卒業して就職というのはまだしも、他大学の大学院に進学されればがっかりすることもあるでしょうし、他大学からの進学者に関しては内部進学者ほどの期待を持たないことも多いでしょう。また、そういう人が低く見られる傾向もあるでしょう。

ちなみに、世間的に二流の大学から一流の大学院に進んだとしても、それで幸せになるとか、就職が良くなるとは限りません。大学院でドロップアウトする人は少なくありません。むしろ、学部よりも多いように思います。
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就活における学歴の意味として、人的資本論とシグナリング理論というのがよく言われます。

詳しくはぐぐってもらいたいですが、ごく簡単に言うと前者は「仕事に役立つスキルを学校で身につける」、後者は「受験競争に打ち勝って学校に入ったことが人材としての優秀さを示す」ということです。

学部卒の学歴はシグナルとしての意味合いが強いです。学部入試は日本中の若者の約半分が参加する競争で、かつ文科省の指導要領に則った内容を問うという統一ルールにほとんどが従っているからです。「付属校あがり」を企業が警戒するという話を近頃しばしば聞きますが、それは付属校からの内部進学組がこの競争の枠外にいるからです。

これに対して院卒はどうか。院に行きたがる人は僅かしかおらず競争も非常にぬるい。入試内容も千差万別です。実際問題、さほど人気のない分野だと、いわゆる地頭が大して良くなくてもちょっと真面目に勉強すれば入れます。なのでシグナルとしての意味はほぼありません。
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No.3 です。

書き忘れ。修士修了した学生のほぼ100%は就職します。研究者や研究職に就くのは旧帝大でもごくごくわずかです。博士課程に進学するのもごくごくわずかです。博士号取得後の就職に問題があるから。
 それから,修士で修論を書くことも意味がありますが,卒論を経ているのとそうでないのは大きな違いがあります。卒論では,学生が書いた最初の草稿には,学生が書いた文章は2割も残りません。ほとんどが書き直し。ところがそれを経験した修士学生が書く修論は,草稿の段階でほぼ7割は完成していることが多いです。やはり,卒論が教育であったことがわかります。大学院に重きを置いているわけではなく,少なくとも修士までは通した教育を実施しているのが工学部の教育です。
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そもそも偏差値なんてのは意味の無いくだらない指標ですよ。

その高校生の実力を全く表していない。それは入学後の成績の変化と比べればすぐにわかる。年金生活者や大学教員にとって偏差値は何ら考慮すべき数値ではありません。大学の偏差値ってのは,前年度の合格者のデータでしかなく,それはあなたがた受験生が浪人せずに合格する大学を決める目安にしているだけ。その偏差値が,その大学の教育・研究のレベルを表しているわけではないのです。
 さて,よく大学院は研究するところと言われます。しかし工学部では大昔からほぼ6年一貫教育で,修士までで目的を達成する教育カリキュラムを設計している大学が多いです。特に工学の研究分野の幅が広がったこの20年くらいは,修士まで行かないと,ある専門分野の大事な講義内容を学生に授けることができなくなっています。大学院に重きを置くという発想は全くありません。そこまでの6年で教育をする。本当に一貫教育をしているところでは,学部で大事な「科目」である卒論を省いていたりします。これは,僕は個人的には抵抗があります。論文を書く行為は,就職後に現場の企画書や報告書を上司つまり専門家に文章で伝えるときの大事な訓練になっているからです。旧帝大などの卒論は学会論文集に投稿受理されるレベルのものもありますが,多分,多くの大学の卒論は,数年でそのレベルに上げる,あるいは修士まで続けてそのレベルに達成させています。そういう意味でも大学院が学部より重きを置いているというわけではないことが明らかです。修士でも,その後の博士課程でも今は履修の必要があります。修士は1年生のときの前期・後期で受講するくらいの負荷です。ちゃんとやっている大学では高度な内容の講義をします。博士も,米国には及びませんが,数科目を必修になっています。やはり大学は教育機関なのです。そして,修士までは一貫した教育課程。もちろん,4年生で卒業しても基礎は十分伝えているのも,過去30年以上の事実です。
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学部は教育が中心で大学院は研究が中心です。


そもそも目的がちがうのですよ。

ですから教育を受けるのか、それとも研究をするのかそれによって違います。
企業は一部の学部を除けば大学院卒って評価しませんしね。
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それは、人それぞれです。


東京大学出て長崎大学医学部大学院に行く人もいます。偏差値より最終的には、どの教授の研究室で何を研究したいかです。就職活動の為なら偏差値の高い大学でて就職活動した方がいいです。
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