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カエサルは暗殺されたのに、
どうして後に有名になったのですか?

ふつう、国の重役がクーデターで暗殺されたら、
その後の権力者によって歴史から消される
気がするのですが……

それとも、現代になってから有名になった
だけで、カエサルが死んだ後の当時のローマでは
英雄視されてなかったのでしょうか?

A 回答 (7件)

カエサルは「皇帝+元老院」という政治体制を構想し、その実現に迫った段階で暗殺された。


それで終わったらそれまでだったかもしれないが、カエサルの養子であるオクタヴィアヌスがカエサルの構想を引き継いでローマ帝国として長く存続させた。
そして、その際、「カエサル」の名前は皇帝の名称の一部となっている。
皇帝=カエサルとブランド化されたわけだ。

そしてこの「皇帝+元老院」という政治体制は今にも引き継がれている。
例えば「大統領+議会」だ。

カエサルが考案した「皇帝+元老院」は「大統領+議会」などに進化したが、原案がカエサルであることは間違いない。
ある意味、カエサルほど世界に影響を与えた人物はいないと言っても良いくらいだ。

カエサルは、今になって有名になった訳ではない。
欧米社会では、共和制ローマ時代も、ローマ帝国時代も、ビザンチン帝国&神聖ローマ帝国時代も、その後も現代にいたるまで、ずぅ~と有名であり続けている。
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まず「女たらし」と莫大な借金で同時代人に名をはせた。


エディリスとして派手なパフォーマンスをしたのも大きい。

それを元手にプラエトルやコンスルも務めた。
ここまで経験すれば、歴史の上で名前が残る。

そしてプロコンスルの立場でガリア戦争を起こした。
地中海以外のヨーロッパの歴史はこの戦争で作られた秩序が元になっている。
「ヨーロッパはカエサル(つまりガリア戦争)によって作られた」
と言われる。
これだけの史実を残せば、伝記に事欠かない。

しかもカエサルはその行為を自ら「ガリア戦記」という書物にまとめた。
この書は、政治では思想を異にしても物書きという点では同志でありやはり第一級の人物だったキケロも脱帽し、2千年後の今でさえ文庫本で版を重ねるという名著である。
加えて記述の正確さという点でも、この書は歴史家をうならせている。
「文筆家」という点でも彼は名を残したのである。

そして彼はキャッチコピーの作家という点でも優れていた。
「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」「ブルータス、お前もか」
後世に与えるインパクトがまるで違う。

ローマでは、たとえ本人を葬っても、その政策が妥当とされればそれは継続された。
ネロ帝は皇帝不適格者として消されたが、彼が行った通貨改革も東方外交も、有効なものとして後世の皇帝に引き継がれた。
それがローマ人だったのである。

英雄視されていたかだが、彼は四度にわたり凱旋式を行い、市民から熱狂的な歓迎を受けている。
彼は市民と元老院から「国家の父」という称号を受けた。
彼が暗殺された後暗殺者たちが転落したのは、市民たちが暗殺者たちを「父殺し」と見なしたからである。
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カエサルの名前が残っているのは、カエサルが皇帝と言う仕組みを発明した人だからです。


 ただし、残念なことにカエサルは自分が皇帝になる前に暗殺され、初代皇帝はカエサルの養子であるオクタヴィアヌス(皇帝アウグストス)と歴史に記録されることになります。

で、この「皇帝」なのですが、中国皇帝のような独裁者とはかなり性格が異なっていました。
 当時のローマは共和制(民主主義)で、しかも「独裁的な王が嫌い」という伝統を有していたからです。
(ちなみにカエサルの100年前の英雄、グラックス兄弟は「王になるつもりだ!」とローマの民衆に誤解され、暴動の中で死にました)

しかし、領土が広がったローマでは「独裁的な采配をしないと国家運営ができない」と考えた人がいて、最初はクーデターで独裁支配をしたスッラで、スッラが独裁政治を行った時代にカエサルは幼年期を過ごしています。

これに着想を得たカエサルは、スッラがしなかった「永続的な独裁身分」を作ることを考え、終身の独裁官になることを考えたのです。

このためにカエサルが準備したのが
・二人選出される執政官(首相職)の一人に常になる権利
・終身で護民官になる権利
・最高神祇官になる権利
で、これを自分で独占することで、事実上の終身独裁官になることを目指したのです。

目論見は上手く行き、後は執政官として活躍するばかりだった時に暗殺されてしまい、上記の仕組みを受け継いだ養子のアウグストスが初代皇帝となるわけです。

そしてこの独占的な権利は「子供への継承」ができたので、アウグストス以降も「カエサルの苗字を持つ者が皇帝になる」という形をとったわけです。

で、彼が有名なのは、この仕組みが現代の大統領制などにつながっているからです。
カエサルが得た護民官の権利はVETOと呼ばれる拒否権を持ち、VETOはアメリカ大統領をはじめとした国家元首の大切な権利になっていますし、執政官がもつ軍事指揮権も大統領に付与される根拠として使われます。

このように、現代の民主主義にもカエサルの意志が生きているので、現代でも有名なのです。

ちなみに、最高神祇官は3世紀までのローマ皇帝は就任していたのですが、キリスト教の権威が上がり、ローマの国教になって以降最高神祇官はローマ教皇が就任するようになります。

西洋史で皇帝と教皇の権威争いが起きるのは「元々一人の人物が持っていた権威を二人で分け合ったから」です。

蛇足ですが、漢字の「皇帝」がエンペラーの訳語になっているのは、ローマ皇帝の持つ「執政官(軍事的権力)・護民官(政治的独断)・最高神祇官(宗教権威)」の3つの権力を一人で握っている点が同じだからです。

皇帝は共和制ではなく独裁的な権力ですが、王と違って宗教的権威も兼ねているのが特徴で、日本の天皇もこの3つを一人で保持しているので「エンペラー」と呼ばれるのです。
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カエサルは元々ローマ民衆に人気があった人です。


それまでの共和制の小さなローマから、戦争で領地を拡大し偉大なローマ帝国の基礎を作りました。自らも三頭政治を制して実質的な最初の皇帝と呼べる地位に着きました。逆にそれが原因で暗殺されることになった。

そして、なぜその後に権力者によって歴史から消されていないか。それは暗殺をおこなったブルータスたちも政権獲得に失敗しているからです。つまり、暗殺者達は「その後の権力者」になれなかったのです。だからカエサルが歴史から消されることはありませんでした。それどころか、カエサルの後は、カエサルの甥のオクタビアヌスが継いで皇帝になったので、言ってみればクーデターは失敗に終わったのです。
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カエサルが民衆に人気だった, という指摘はある.



そして, カエサルの「その後の権力者」たるオクタヴィアヌスにとって, カエサルを「歴史から消す」意味はない. むしろ, カエサルを「残す」ことこそが自らの正当性につながる.
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カエサルは日本の平安時代の藤原家のように一族の名称なのです。


殺されたカエサルの名前はガイウス・ユリウス・カエサルです。
初代皇帝のアウグストゥスも ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスです、第5代皇帝の暴君ネロは、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
中国の皇帝と違って、ローマ帝国には皇帝という地位は存在しなくて、
複数の権限を持っていて、しかも長い名前なので、カエサルの称号が
最高権力者当たるのです。

殺された、ガイウス・ユリウス・カエサルは何と言っても、絶世の美女、
クレオパトラを嫁さんにしたから有名なのでは・・・
元老院のチカラを弱めて、仕上げをアウグストゥスが行いました。
チョット、例えが違うかも知れませんが、信長が基礎を作って、
家康が仕上げをした図式に似てませんか。
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暗殺されるまでにいろいろと大きな仕事をしているからでしょう。


暗殺された時の一言も有名です。

本能寺の変の信長が、後を継いだ秀吉の駆け引きでより有名になったケースもあります。
暗殺されたかどうかは、有名さにあまり影響しません。
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