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明治政府のデフレ政策(松方デフレ)によって、全国の農村地帯が疲弊してしまったメカニズムをわかりやすく教えていただけないでしょうか?

よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (2件)

超緊縮財政となったので


市中を流通する貨幣が減少した

その結果、皆さんものを買わなくなった(買えなくなった)
需要が減ればモノの価格は低下する
特に高級品とか

例えば絹織物が売れなければ、農村に於ける貴重な現金収入源だった絹糸も売れません
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2021/05/27 16:48

デフレ、というのは物価が下がることです。


西南戦争でインフレになったので、
それを押さえる為にデフレ政策を採った訳です。

このデフレーション政策は、
繭の価格や米の価格などの農産物価格の下落を招き、
農村の窮乏を招いた。

このデフレーション政策に耐えうる体力を持たない窮乏した農民は、
農地を売却し、都市に流入し、資本家の下の労働者となったり、
自作農から小作農へと転落したりした。

一方で、農地の売却が相次いだことで、
広範な土地が地主や高利貸しへと集積されていった。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2021/05/27 16:48

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