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 昭和五年に浜口内閣が、「金解禁」を断行します。
 しかし、のちに「嵐に向かって窓を開けるようなもの」と言われることになり、結果として、大量の金流出と物価下落(デフレ)を生み、不況は一層深刻化し、経済は壊滅的な打撃を受けました。
 金解禁とは、通貨と金とを交換することですが、それがこのような結果を生むメカニズムを教えてください。
 アメリカの大恐慌の影響があると聞きますが、どう関係しているのでしょうか?
 そもそも幕末から明治にかけては通貨と金とは交換できたと思いますが。
 浜口内閣の狙いは何だったのでしょうか?
 トンデモ政策だったのでしょうか?

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A 回答 (3件)

昔、読んだスレ発見しました。


ここで概要は分ると思いますよ。

NY大暴落から2ヶ月たらずで解禁したから「嵐に~」と言われたのでしょう。
もっともな意見ですね。

参考URL:http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/kinkai …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とてもわかりやすいサイトでした。感謝です!

・物価が下がっても輸出は、教科書どおりには増えない。
・世界恐慌の影響と投資家の利食いで、正貨の流出が続く。
・通貨も減らさざるを得ず、デフレがますます加速。
・緊縮予算が、不況対策の足かせとなる。
・イギリスの金本位制離脱と満州事変の勃発という不測の事態発生。

 どうやら信じた理論「金本位制の持つ自然の自動調整作用」が、間違っていたようですね。
 「経済」とはもっと、なまなましいものだったわけです。
 いくら「男子の本懐」と言い放っても、招いた結果責任は重大です。
 日本経済は、未曾有の不況に突入し、軍部独走の道をひらくきっかけとなりました。

お礼日時:2004/09/24 14:12

旧平価か新平価で金解禁するかで論争が


第一次世界大戦後に起きましたが,
結局,1930年(昭和5年)に浜口内閣,井上大蔵大臣時に金本位制に復帰しました.

復帰するための準備として,憲政会政府は,新平価での復帰をすべきだとする友政会などの反対を押し切り,国の威信や虚勢から,旧平価で金本位制に復帰するべく,その当時の日本の国力から身分相応ではない円高での復帰を目指しました.それは,当時先進国であったイギリスなども,旧平価で復帰していたため,後進国の日本は,それに追随しました.
その後ろ盾となる理論は,当時の価格正貨移動メカニズムと呼ばれる理論でした.簡単に言うと,国際収支の黒字は,金の輸入となります.国内で金兌換をするので国内のマネーサプライは上昇.結果,物価水準の上昇となり,輸出が抑えられ,その国の貿易黒字は解消されるという国際収支理論です.当時,井上は大蔵時代にイギリスに留学していてそれをしっていました.しかし,それは間違っていました.

日本は,当時,第一次大戦くらいまでは生糸で黒字でしたが,それから経済は,鈴木商店の倒産(今で言えば三井物産)や銀行がつぶれました.昭和金融恐慌です.経済はガタガタです.それで,不相応な新平価での復帰.貿易黒字になるはずはありません.ですから.その分,国内物価を下げてデフレ政策をしなくてはならないので,もうガタガタです.赤字であれば,大量の金の流出は明らかですね.

嵐に向かって窓を開けたのです.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
外は嵐だとは気づかなかったわけですね。

お礼日時:2004/09/24 13:55

素人の遠い記憶頼り



当時の世界的不況の影響でどこもかしこも金兌換を停止中。
その中で、単独で解禁したので、金を欲しがってる人々・国が殺到した→金流出

デフレは分りません。金流出による通貨の実質購買能力低下?&不況になる需要減?

浜口氏と井上氏は昔から金兌換主義者じゃなかったですっけ?
金兌換=先進国の証明みたいな

詳しい人教えてあげて~
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2004/09/24 13:53

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