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私は、江戸時代の武士が許せません。農民は一生懸命作った米のほとんどを国に奪われ、民は1日米のお粥50グラム。これでは足りない為猫じゃらしや野草をなんとか食べて、家に来るミミズやネズミを食べてなんとか飢え をしのいでい流状態。それも見つかれば全て没収。大名行列で一瞬でも動いたら切られる。江戸時代の武士は悪です。200年の江戸時代の農民が可愛そうです。くろぶねは正義だったのですか?

A 回答 (28件中21~28件)

日本ばかりでは無いですよ。


世界中が少数の搾取する側(支配者)と多数の搾取される側(被支配者)
に分かれるのです。
自国からの搾取だけでは、満足できなくなり、他国から搾取しようと、
します、他国にも支配者が居ますから、戦争になります、戦争で戦い合うのは、両方の被支配者なのです、被支配者は踏んだり蹴ったり、なのです。

「くろふね」は他国の支配者の軍隊です、南北戦争で植民地獲得に、
遅れを取った、米国が日本に目を付けたのです。
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農民は一生懸命作った米のほとんどを国に奪われ、


  ↑
5公、5民が多かったですが、
時代が進むにつれ、農業技術が進歩して
実質、3公、7民、とか2公8民なんてのが
増えてきました。
武士は、増税しようとしましたが、百姓の
力が強く出来ません。
かくて、支配階級である武士が、民百姓
より貧しい、なんて、世界でも珍奇な
現象が発生しました。
そういうことが、実証研究で明らかに
なっています。



民は1日米のお粥50グラム。これでは足りない為猫じゃらしや野草
をなんとか食べて、家に来るミミズやネズミを食べてなんとか
飢え をしのいでい流状態。
それも見つかれば全て没収。
 ↑
それは飢饉という特別な場合だけです。
近年、実証研究が進み、農民はかなり
豊かな生活をしていたことが明らかになっています。
そうした偏見は、実証をしない、マルクス史観に
よるものです。



大名行列で一瞬でも動いたら切られる。
  ↑
そんな事実はありませんでした。
時代考証をしない映画でも視たんですか。



江戸時代の武士は悪です。
200年の江戸時代の農民が可愛そうです。
 ↑
山鹿素行は次のように言っています。
「農民は米を作り、職人は好き鍬を造り、
 商人はモノを動かし、それぞれ社会に貢献
 している。
 しかるに、武士の存在価値は何か。
 それは庶民の道徳的模範になることでしかない」

そうやって、山鹿素行に教えを受けた
大石内蔵助は、討ち入りを
やった訳です。
武士の存在価値はかくあらん、と
いうわけです。



くろぶねは正義だったのですか?
 ↑
ただの侵略者です。
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>農民は一生懸命作った米のほとんどを国に奪われ、民は1日米のお粥50グラム。



戦後、左翼運動が華やかなりし頃、バリバリ左翼の教授が「江戸時代は酷かった、5公5民ひどい時は6公4民で、農民は搾取されていた!」と説明していましたし、社会運動に目覚めた学生たちはそれに強く頷いていました。

そのとき、ある一人の留学生が教授に質問しました
「ところで、5公で取っていった米は一体誰がどうやって消費したんですか?」

教授は言葉に詰まりました。江戸時代の武士は3%程度しかおらず、エタヒニンが1.7%、商工従事者が15.3%、残りの80%が農民なのは分かっていて、つまり「5割も武士がとっても消費しきれない」ことが明白だったからです。

しかしその教授は「武士が年貢で収奪した後のこと」までは気が回らなかったのです。

実際の答えは「農民が食べていた」です。方法は簡単で「年貢以外に作っている様々な作物などを売って、必要な分だけコメも買っていた」からです。

しかも年貢の割合になる検地自体、ほとんどの藩で行われず、太閤検地の資料を基に年貢の割合を決めていました。江戸時代は平和な時代でしたので、どんどん開墾されましたが、新しい開墾地のコメは検地に入っていないので、取られることがなかったのです。
 またコメ以外の様々な収穫品やそれを使った製品はどんどん発達する貨幣経済で商品として売られ、農民はものすごく金をもっていました。

つまり資料から見ると6公4民でも、実際は農民こそが富裕者だったのが江戸時代の真実です。
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江戸時代に何度か起こった飢饉は、全世界的な気候変動の影響だったのではないかという考えが最近では増えているようです。

イギリスのテムズ川が凍った、なんて絵を見た記憶がある人も少なくないでしょう。
天候などは天皇がお祈りとかして上手く巡るようにってやってるので、彼がさぼったか何かしたのが悪いのでしょうw

ホロモドールという、1920年代にウクライナ(当時はソ連領)で起きた事件はもっと悲劇的だったと言われています。これはスターリン(ロシア民族)の、ウクライナ民族に対するジェノサイド(民族浄化)だったとも言われています。
いろいろと感じることもあるでしょうから、ぜひ調べてみてください。(検索用語としては『飢餓輸出』なども良いと思います)
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あなたは時代劇の見過ぎです。


当時の庶民は天皇のもとに存在しており
管理を任されていたのが江戸幕府です。
切り捨てたりしてたら切腹ものです。
確かに不作のときはきつかったでしょうが
でもそんなときのために藩は蔵米というものを備蓄してました。
災害時も蔵米を放出してました。
今のコロナの規制も国民は素直に聞いてるのも
そんな名残かなと思ってます。(私見)

また年貢の話をすると米は3年くらいしか持たないので
貯えるということができなかったのです。
そのため藩はいやがうえにも放出するしかなかったのです。
ここが外国と違います。
財産として残らなかったのです。
だから農民に対してひどい仕打ちはしてなかったと思いますよ。
農民が減れば武士の生活は安定しないのですから。

参考)


時代劇を信じるか↑を信じるかはあなたの自由です。
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それは飢饉など江戸時代の特異な状態での話です。



農民が年貢を米で収めて、
武士はそれを賜り、その米を売って金に変えて生活し
米の蓄えがなくなると商人ではなく農家に安い米を買いに行って
農家は年貢で余った米を売っていた…という記録もあります。

大名行列は市街に入るときだけの行列で
それ以外の場所では行列は組んでいなかったようです。
郊外の道端に並んで土下座するというのは映画での演出みたいです。

それでも無礼討ちはあったようですが
斬った武士はその時の様子を細かく上司に報告して
場合によってはそれなりの処分があったようです。

歴史というのは、いろいろ見方を変えて見るのも面白いですよ。
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この回答へのお礼

あいつらは悪魔です、

https://youtu.be/bZbk3A2dGNg

お礼日時:2021/06/16 23:29

あなたは200年前の末裔なのですから、その生活でも子孫繁栄しているのです。


歴史が自分と繋がっていると考えない浅薄さが、
今の価値観で過去の価値観を裁くという分別のない悪事を働くのです。
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そういう歴史が あったからこそ 現代が あるのです



いけない所(嫌な部分)を 正して行くのが 子孫の役目なのです
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