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信長の楽市楽座の自由にビジネス,商売が出来るという政策ですがこれをすることで信長はかなりの利益を得ましたか?得ませんでしたか?

A 回答 (3件)

損得でやったのではありません。


商売が繁盛すれば人が集まります。
人が集まれば諸国の情報が集まります。
情報が命なのです。
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経済力があったから天下布武に向けて戦を続けることができた。

その経済力が何故に支えられてきたかということを考えれば答えは自明だろうね。
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酷い文章・・・


これを他人様に晒せるとか。

あなたの脳内での「かなり」の程度が不明。
バ○は安易に言葉を使うから〇カがバレる。


信長の利益は楽市楽座を含む以下の様々な経済政策によるもの。

1:楽市楽座。
経済効果のみが語られているが、その目的には「座」という既得権益集団の弱体化もある。
「市」は人の集まる場所で開かれる→寺社勢力が座を仕切る。

2:領内の関所の廃止。
目的は物流の活性化と寺社への嫌がらせ。
当時の街道では、様々な小領主や土豪がに勝手に関所を作り、通行料を徴収していた。当然寺社もしていたし、足利幕府もしていた。
(摂津~淀川間の関所は380ヶ所)
更に関所ごとに荷物をチェックされるし。
信長はそれを禁止した。上洛後は領外でも行った。

3:街道の整備。
当時の道は、戦の為に故意に狭く曲がりくねっていた。
信長は、道を広くし一里塚を設置し、排水の為の側道に溝を掘り、避暑の為に柳や松を植えた。
この道で領内を配下の領地や大阪と繋いだ。

4:これらの規制緩和やインフラの整備により、他国領の商人も移って来た。。


以上の結果、自分の支配する港での物資の扱いが増えた。
→港湾から税収が増えた。
(信長は、元々熱田や島津港を持っていたが、その後堺、草津、大津も手に入れている)


他にも、度量衡の統一や貨幣制度や税制改革等、様々ありますが。
「楽市楽座について」の回答画像3
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