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もし中国がイギリスと同時期(1760〜1830年代)に奇跡的に産業革命やアジア版の近代化に成功していたらその流れによって朝鮮王朝や江戸幕府(もしくは江戸幕府と朝廷が公武合体した形の政府)が今でも残って日本は、アニメ銀魂の様な日本になっていたと思いますか?

A 回答 (7件)

歴史のifは空想の世界。

面白ろそうでもそれだけに終わってしまうでしょう。
歴史は、何故そうなったのを考証、思考した方が生産的だと思います。
産業革命で有名なのは、イギリスです。
スペイン、ポルトガル、オランダなどではないです。フランス、ドイツ、アメリカではイギリスに遅れて産業革命が起きます。 日本でも起きました。
自国内部の国内経済・国内市場での取引ではなく、大いに生産して大いに輸出していけるという展望・期待をもてる状況を政治が作り出していないと、国内での商業活動が盛んでも、新技術・新方式を積極導入し資本を投下し新規体制を構築して大量製造しようとはならないです。
中国も、日本も、積極的な交易拡大・輸出増を許可してないです。
日本が、殖産興業で産業革命を進めることができたのは、基本的に、政治が変わったからです。
中国は、朝貢貿易で、粤海関という税関によって外国商人に厳しい制限をかけ、輸出は茶、絹、生糸、陶磁器など、清の特産品だけです。基本的に、貿易をする気がない、イギリスが買うので、銀と交換していただけです。
では、ifの空想で、清朝が貿易を自由解禁したらどうだったか。 
当時の中国には、一応儒教があり、科挙の制度で官僚を認定していて、彼らは概ねとても裕福で実入りは多く、経済活動でしこしこ稼ぐことにはむしろ否定的でした。 変動の少ない安定した社会構成が維持された社会なので社会変動を必要とする産業革命とは水と油のようなものです。 日本が、幕藩体制を壊し表向きでも身分体制まで壊してしまったのとは状況が違います。
中国人にはかなり利にさとく行動力もあり集団組織の力も上手く使える人たちが多くて、広く中国商人が活動していました。 しかし、利にさとく行動力もあり集団組織の力も上手く使える人たちであったために、活動は商業や交易そのものに向かい、資本を投下して組織力を使って生産するという方向には向かいません。 中世ルネッサンスでいろいろ技術が出現し、自由な活動が盛んになっても、産業革命は起きず、商業と交易と金融に進んだのと同じでしょう。
「一山当てる」ことを期待した活動は、大航海時代のようなもの、東西交易のシルクロード隊商のようなもの、勘合貿易のようなものを起こす原動力にはなりますが、せいぜい、特産工芸品、高級絹の織物、高級嗜好品の産業を興すことにしかならないです。
産業革命は、もっと普及品の織物、鉄道運搬で大量に生産地から市場に配送するようなものと、それらのシステムの基盤となる基本資材=鉄鋼や石炭を盛んに使うものでないと進行しないのです。
中国はとても広大で、資源も多く、労働力も豊富で、地域の特性も大きく違うので、国内だけでも、産業を特化させ市場を他地域に求めれば、産業革命を自国内完結で出来た可能性はあるでしょうが、日本の農村組織もハッキリとはなく、地主と貧農・小作のような分化もしていない状態がほとんどのようです(大地主と雇われ農業労働者というのはポピュラーでした)。第二次大戦後国民党が食料を確保するにも、村落組織を利用してということも出来なかったそうです。そして、農民の流動性は結構高く、あちこちに移動し雇農として生活していた農民がかなりいたようです。これでは、イギリスのような「囲い込みの結果、賃金労働者が生み出される、それを吸収して新産業で働かせる」ということにもなりません。
社会の状況が違い過ぎて、19世紀に中国での産業革命はムリでしょう。
全国的に鉄道網を施設し、物品と人の流動性を高め、一族の結束に拮抗する家族重視の思考とか、国策のような利益誘導があってこそ、中国での産業革命は進むのでしょう。
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歴史のifは空想の世界。


面白いが、それだけでしょう?

歴史を語るには、何故そうなったのを
考証、思考した方が生産的だとおもいます。
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あ、そうです。

満州族です。訂正します。
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#3です。

お礼ありがとうございます。

>中国の資本主義体制は、昔から社会主義(全体主義)市場経済みたいなものなんですかね?

中国は歴史上資本主義になったことはない、です。今の中国は共産党がコントロールする「国家資本主義」または「社会主義的市場経済と呼ばれることが多いですが、資本主義とは「誰でも自由に資本を投下して、競争できる」というものですから、中国の市場経済は本来「資本主義」と呼べるものではないのです。

で、西洋の資本主義に戻ると、最初は大航海時代に「遠洋航海する船に出資して、利益が出たら分配する」というものでした。最初の頃の出資者は王族か貴族が大半で、それは資本を出せるほどの金持ちが上流階級に偏っていたことと、出港する許可などを出す政府も国王などが担っていたからです。

それが、だんだん商業や航海で莫大な富を築いた元船乗りなどが参加するようになり、船の数も航路も増え、莫大な利益がヨーロッパ経済を押し上げたので「階級に関係なく誰でも資本を投下できるし、利益を理不尽に上流階級に取られない(法律を作るのが国王や貴族だったから)」で、産業革命はこのような「誰でも自由に資本を投下できる」状態が先で、資本が必ずしもお金ではなく、頭脳をつかった発明なども含まれていたから、ヨーロッパは一気に近代化したのです。
 そして「誰でも自由に資本を投下できる」ならそのための規制をする法律も「誰でも自由に意見を言えて、多数決で決まる」ようにしないと不満がたまるので、最初は貴族たちの多数決だったのが、やがてフランス革命で「市民全員の多数決」に変わった、のです。

このような市場経済・資本主義・民主主義・産業革命という今の社会を形作る基本となる条件がアジアにはありませんでした。だから産業革命だけあってもダメだったろう、と思うのです。

日本はヨーロッパで資本主義が発展し始めた時期に商業流通が盛んになり、世界初の先物取引所ができるなど、一部近代化が始まっていました。

しかし同時に幕藩は農本主義を土台とした封建主義から脱することができず、徳政令など資本主義を破壊する法律を何度も繰り出しています。

こういう状態では近代化できなかったわけで、明治維新後、日本が西洋以外でほぼ唯一近代化できたのは、江戸時代に市場経済と資本主義の発芽があり、産業革命の技術革新を一気に導入する政策をとったからです。そしてその結果、自由民権運動が起きて、維新後20年ぐらいで一応の民主化に至ります。

中国は当時清朝で、清朝はモンゴル人が支配する異民族王朝、漢人は被支配民族であり、商業的な発展もないし、各地に市場経済と呼べるものも無かったし、資本の集中や投下も無かったので、産業革命だけ起きても近代化はしなかっただろう、と思うわけです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございました。
ちょっと気になったんですが清朝は満州族ではなかったんですか?

お礼日時:2021/08/26 22:55

思いません。



産業革命があったとして、それをヨーロッパのように世界規模の近代化まで筋道をつけるには、どうしても資本主義が必要になります。

中国の状況ではヨーロッパのような資本主義を形成するのは無理だったと思います。資本主義が成立しなければ民主主義もありません。近代化の両方が成り立たないです。

なので、産業革命が有ったとしても別の方向、たとえば封建主義は崩壊するけど、軍国主義や全体主義的な方向に行ったかもしれません。
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この回答へのお礼

中国の資本主義体制は、昔から社会主義(全体主義)市場経済みたいなものなんですかね?

お礼日時:2021/08/26 17:57

歴史にイフはありませんが、………


東アジアでは中国がずばぬけた大国です。
欧州の英仏のように拮抗する勢力はありませんので他の国は属国になっていたでしょう。

銀魂の様な日本になっていたかもしれませんね。
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残念ながら、当時の支那にそのような知恵と技術はなく、まともな政治指導者もおりませんでしたので、シミュレーションする事さえ無理でございます。

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