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イザベラ・バードの朝鮮紀行で1897年の朝鮮に独立協会が紹介されていますが、前年の1896年に国王側についていた商人団体(ボサン・ブサン)に独立協会が襲撃されたとのことでした。 
李氏朝鮮時代には商人は差別されていて、開城などの平安道に押し込められていたとのことですが、
何故差別されて虐げられていた商人が国王側について独立協会を襲撃したのでしょうか?
バードは別の箇所で朝鮮人は概して愛国心は無いけれども、愛国主義的な傾向は強い、と書いてましたが、こういう差別されているけど国王側につくようなところが愛国心は無いけれども愛国主義的な傾向は強いということの現れなんでしょうか?

A 回答 (1件)

国王につくと言っても愛国心ではない。

単に無法を通す為に国王を政治利用しているだけだ。愛国無罪なんだよね。だからこその愛国主義だ。1896年1897年は高宗がロシア公使館に移ってロシアに鉱山採掘権・山林伐採権・鉄道敷設権を切り売りしていた時期。そういう売国政治に反対していたのが独立協会で、親露派と開化派は激しく対立していた。親露派は私利私欲に高宗を利用していた。そういう状況に開化派は独立協会を設立して対抗していたのだね。高宗・閔妃・大院君は長年、爆弾テロなどの非合法な手段で権力闘争をしていたが、この頃閔妃は乙未事変で横死し大院君も衰えていた。といって高宗は絶対王政を確立していたのでなく単に親露派に利用されていただけだった。
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