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日本で作成された世界地図の多くは、樺太の南半分が所属不明のような白地。他の国で作成された地図でも次のように樺太の南半分が白地になっているものが見つかります。
https://sekaichizu.net/cms/wp-content/uploads/20 …

歴史を見ると
①江戸時代などはロシアと日本が共存する形から、北と南に分けて領有する形になって
②明治時代に、日本が支配していた樺太の南半分と、ロシアの千島列島を交換
③日露戦争後のポーツマス条約で、日本はロシアから樺太の南半分を割譲
④第二次大戦後のサンフランシスコ講和条約で、③と、北方四島を除く②千島列島を放棄
という流れでしょうか。

この流れで、樺太の南半分の所属が未定みたいに白地になっているのは、②の樺太・千島交換条約以前の状態に戻っていて、千島列島はロシアのもの、樺太の南半分は日本のもの(ただし、ロシアの実効支配地域)と言うことでしょうか?

A 回答 (4件)

南樺太については、サンフランシスコ条約において日本が放棄すると定められていますが、どの国に帰属するかは同条約では定められませんでした。

よって、日本政府の立場としては、現在の南樺太は帰属未定地域である、となり、その立場に従って発行される日本の地図では国籍別に塗り分ける場合白抜きになります。

ロシアは第二次世界大戦の結果、国際法上正当にサハリン島南部を領有したと認識していますので、ロシアおよびロシアの主張を受け入れている国々ではサハリン全体がロシア領として塗り分けられます。

その他の国家でも、日本領と認識できる塗り分けを用いている地図を発行している国はないようですので、白塗りかロシアと同色か、どちらかになります。

北方領土の場合は、日本は得撫島以北の千島列島と異なりサンフランシスコ条約で放棄していないという立場なので日本の色で塗り分けます。得撫島〜占守島までの千島列島の扱いは南樺太と同様、帰属未定を示す白抜きです。
ロシアを含む他国での取り扱いは、樺太/サハリンと同様です。
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南樺太はロシア領ですが。



外務省より

日魯通好条約(1855年)
日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。日露両国は、1855年、日魯通好条約において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。

樺太千島交換条約(1875年)
日本は、樺太千島交換条約により、千島列島(=この条約で列挙されたシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。

ポーツマス条約(1905年)
日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。

第二次世界大戦と領土問題の発生
大西洋憲章(1941年8月)及びカイロ宣言(1943年11月)における領土不拡大の原則
1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。  また、1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。ただし、北方四島がここで言う「日本国が略取した」地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です。

ポツダム宣言(1945年8月受諾)

ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。
(注)日ソ中立条約(1941年4月)


http://atlas.cdx.jp/nations/asia/image/map_as2.png

https://shakai-chireki-koumin.net/wp-content/upl …

https://asia-trivia.com/img/asia-bunrui.png
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国際法上、帰属国が定まっていないからです。



>④第二次大戦後のサンフランシスコ講和条約で…

サンフランシスコ講和条約で日本が南樺太を放棄したことは国際法上はっきりしていますが、ソ連 (当時) はサンフランシスコ講和条約を批准しておらず、それで受け入れたことにはなっていないのです。
国際法的には“無主地”の扱いなのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_ke …

将来、日ロ平和条約が結ばれれば、公式にロシアのものとなるのは容易に予測されます。

>③と、北方四島を除く②千島列島を放棄…

ついでに言っておくとロシアの味方をするわけでは決してありませんが、これは日本の言い分であって、サンフランシスコ条約に「四島を除く」とも「四島は日本固有の領土」とも一言も書いてないのです。

まあ、太平洋戦争以前には一度も他国に侵されたことはなく、「四島は日本固有の領土」に間違いはないのですが、それをいかにしてロシアに認めさせるかが、北方領土問題の解決を長引かせている最大の要因なのです。
https://toyokeizai.net/articles/-/81453
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1)明確な国境線が無かっただけ


  領有と主張できるだけのモノがなかった
  あくまでも探検レベルでの人の行き来で、現地の住民には国家にぞくするという意識は希薄
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