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まさしく〜〜〜と言えるのではないだろうか。っておかしいですか?日本語的に

A 回答 (9件)

「おかしい」と思う人もいるでしょうし、思わない人もいるでしょう。


 個人的にはさほどおかしいとは思いませんが、自分では使わないと思います。たとえば、下記をどう思いますか。

1)私は絶対に行く。
2)私は絶対に行くはずだ。
3)彼は絶対に行く。
4)彼は絶対に行くはずだ。

 自分のことで「絶対に〜はずだ」はかなりヘンです。
 でも他者のことなら「絶対に〜はずだ」でもさほどおかしくありません。
「絶対」を「必ず」にしても同様でしょう。「きっと」にするとどうでしょうか。

 厳密に言うなら、「絶対に」という強い表現と「はず」は相性が悪いはずです。でもさほど気になりませんよね。
 同じように、「まさしく」のあとには断定が来る方が自然な気がします。
「〜と言えるのではないだろうか」とは相性が悪い感じです。
 でも「〜」の内容によっては、さほどおかしくないこともありそうです。

 これは「呼応の副詞」などといわれるもので、ちゃんと書こうとすると長くなります。ネット検索しても山ほどヒットして、結局何がなんだかわかりません。
 詳しくは下記あたりをご参照ください。
【「もしかしたら」「たぶん」「きっと」──推量を表わす副詞の程度】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-11930662398.html
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〜〜〜に入る言葉によります。

言葉によっては日本語の表現として正しい。
「まさしく(正しい)と言えるのではないだろうか。」
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おかしくないと思います。


「まさしく」は自信たっぷりという感じ。
「のではないだろうか。」は断言できない弱さを暴露している。
自信はあるが、断言するほどでもない、という感じですね。
断言できないというより、同意を求めている、相手にも考えさせているという意味もあるかもしれません。
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おかしくない。


聞いてるのか断定しているのか矛盾があるとのご指摘ですよね。
矛盾はありません。

「まさしくそうだと断定できる」のは私の考えだからです。
私は絶対にこう思うがどうか。と聞くのは文脈的にも間違っていません。
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「日本語的におかしい」というのは、言葉使いについて何かのアピールをしたいときに使う表現だと思います。


でも、言葉は生き物で、時代や状況、話者や書き手のスタンスでいろいろに変化するものです。 どのような視点・立場にたっての何を目的としたアピールなのかで、「"~~~"は、日本語的におかしい」とも言えるでしょうが、書き手や話者にとっては、ただの雑音、いらぬ口出しのようなものだと思います。

  ~~~~~~  このあたりが微妙です  ~~~~~~~
とはいえ、日本語がおかしいと言われた時に「これが私の日本語だから」と開き直っていいわけではない。当たり前のことだが、言葉の使い方や理解の仕方が他人とある程度一致していなければ、円滑なコミュニケーションができなくなってしまう。言語というものの難しいところは、その知識が個人的なものであると同時に、公共的なものでもあるという点にある。他人に「日本語がおかしい」と言われた場合、必ずしも自分の母語話者としての感覚を全面的に否定する必要はないと思うが、もし大多数の他人の言葉の使い方と自分のそれが著しくずれている場合は、そのずれを少なくしていく努力は必要になるだろう。
  ~~~~~~  で、  ~~~~~~~~~~~~~~~
https://bunshun.jp/articles/-/50091?page=3
【相談】 最近、人から「どんなお仕事をやられてるんですか?」と尋ねられました。これ、日本語として間違っていますよね? 他にも「ら抜き言葉」など、乱れた日本語を耳にするたびにイライラします。言語学者の役割は、こういう間違った日本語を正すことではないんですか?
【見解・意見】  この手の質問に対して理論言語学者がどう答えるか、読者の皆さんにはもう想像がつくだろう。「きっとまた、『言葉は自然現象だから、むやみに正しいとか間違っているとかは言えない』とか、『言語感覚に個人差があるのは当たり前』とか言うんでしょ?」と思っていらっしゃる方も少なくないはずだ。実際、そのとおりだ。私自身、「やられる」のような敬語には強い違和感を覚え、「何で『なさる』とか『される』って言わないんだろう」とか、「『【殺(や)】られる』みたいで物騒だな」などと思うのだが、こういった「新しい言い回し」はいくらでも出てくるし、私が「変だから使うな」と声高に叫んだところで、淘汰されるものは淘汰され、定着するものは定着する。もしかしたら私も、近い将来に平気で「やられる」と言うようになるかもしれない。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

https://study-z.net/100142434/3
「まさしく」はある判断が客観的に正しいことが判明した様子を表し、名詞を含む述語にかかる修飾語として用いられます。ややかたい文章語で、くだけた会話にはあまり登場しません。また、ある客観的な根拠によって主体の判断が正しいことが判明したという意味で、納得の暗示を伴いますよ。「まさしく」は「まさに」や「確かに」「明らかに」などに似ていますが、「まさに」は主体が確信をもって判断を下している様子を表し、客観的に正しいというニュアンスはありません。そして「確かに」は知的な理解や保証に基づく主観的な確信を暗示し、「明らかに」は誰にでもわかる客観性で断定する様子を表します。

このような見解に立つと、次の表現は不適切な用法になります。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/ …
作品の手応えを聞かれ、松本は「手応え…! まさしく『99.9』ってこところじゃないですかね。自信を持ってお届けできる作品になったと思います」と笑顔。

しかし、「まさしく、……じゃないでしょうか(ね)」などは、お気楽な口頭発言に時々でてきます。 
「まさしく〜〜〜と言えるのではないだろうか」も同様です。
https://www.fashion-headline.com/article/11490/1 …
2階の「ルイ・カルティエ」サロンはまさしくフランス上流階級の個人邸宅に訪れたよう

会話でも、キャッチコピーでも、「まさしく」は、強調の方法の一つとなっていることが多いです。 何かの強い印象、体験、感性に「超」訴えるということを表現するものになっているのが実際でしょう。
まさしく桃源郷、まさしく神童、これぞまさしく、
https://collocation.hyogen.info/word/%E3%81%BE%E …
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おかしくありません。



・まちがいなく〜〜〜と言えるのではないだろうか。

という自然な日本語。
ただ、シチュエーション次第では、

・まさに〜〜〜と言えるのではないだろうか。

のほうが自然な表現になる場合もあります。
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文法としてはおかしくはありませんが、表現としてはNO2さんの言う通り、あなたの性格を見透かされてしまいます。


自分の主張に責任を持たない・・・無責任野郎?。
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文法的におかしいかどうかと聞かれれば『おかしくない』と思います。



ただ、『まさしく』と言うからには、あなたは『断定』してるんですよね。
なのに、『ないだろうか』は読み手に同意を求めてる。

一体どっちなの?

断定するなら潔く『まさしく~~~だ』と言えと言いたい。
自信がないなら『まさしく』なんて言わず、『~~~と言えるのではないだろうか』と言えばいい。

私はそう思います。
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おかしくないです。


まさしく彼こそが真の勝者といえるのではないだろうか。
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