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マッチ売りの少女について

なぜ、児童相談所は、マッチ売りの少女を保護しなかったんですか?そしてお父さんは、児童虐待の疑いで警察に逮捕されるべきなのに。

A 回答 (10件)

ほんとそうですね!


なぜ赤ずきんちゃんのおばあさんは健康保険に入らなかったのか。
なぜヘンゼルとグレーテルの両親は生活保護申請をしなかったのか。
蟻とキリギリスのキリギリスはハロワに行かなかったのかな。
とっても不思議です。
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まあ、結構暮らせていたからじゃあないでしょうか。



今の貨幣価値で、1本1000円位で、酔客相手にマッチを売っていたらしいですから。
最後はスカートに火がついて焼死らしいですけど。
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単純に「児童相談所なんてなかった」「そもそも児童虐待が悪いと言う考えがなかった」と言うだけの話です。

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単に、その時代、その国においては児童相談所がなかった、というふうに考えるのが普通だと思います。

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「人権が無かった」という回答がたくさんあり、それはその通りなのですが当時の認識としてはちょっと違います。



当時の西洋社会での認識は「子供は父の所有物」であって「子供が父の代わりに稼ぎ、その稼ぎを親が取るのは当たり前」でした。

で、そういう時代ですから児相が出る幕はありません。なぜなら「父親が子供に稼ぎの手段を与え、その稼ぎから(少なくとも)死なない程度に保護している」と判断できるからです。

今では通用しない価値観ですが、当時の西洋の女子供は「父(夫)の管理下に置かれた被保護者」だったのです。

ちなみに、日本の女性がそういう立ち位置だったことはないし、日本で子供が売られるとしても父母両方の許可が必要でした。
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現在でも児童相談所等がない国・地域では強制労働がありますね


例: 中共
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マッチ売りの少女の舞台は、19世紀半ばのアンデルセンの出身のデンマークあたりだと思いますが、ようは天空の城ラピュタのパズーやシータの時代です。

日本だとおしんの時代。

その頃まで子供に人権はなく、産業革命で人身売買や強制労働が横行しており、学校教育の必要性や黒人奴隷解放運動でアメリカ南北戦争が発生したり、クリミア紛争でナイチンゲールが現れ女性参政権など人権意識が高まった時代。ぶっちゃけ明治維新だって身分解放運動のクーデターです。

二度の大戦で世界中で戦災孤児などストリートチルドレンがあふれて社会問題となって、児童相談所ができたのは日本は1947年。
児童相談所がマッチ売りの少女を助けられるようになるのは100年後になります。
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マッチ売りの少女は、現代で言えば児童虐待物語です。



でも、当時は児童虐待という考え方はなく、子供は親の所有物、どう使ってもかまわないのが普通の考え方だったのです。
レミゼラブルのコゼットも預けられた親戚で虐待されていましたが、それも当時の社会ではいくらでもあったことです。
日本でも、明治大正の頃は、子供は金持ちの家の子守りや丁稚に出されて労働させられ虐待されました。
女郎(売春婦)として売られる娘もいました。

どこの国でもそういう児童虐待の歴史があり、だんだんそれはいけないことだと認識されて今の法律ができているのです。

回答としては、アンデルセンの時代には児童保護法がなかったのです。
それはどこの国でも同じです。
「児童虐待はいけない」と考えるようになり保護するようになったのは人間の知力の進歩の結果です。
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舞台となった街、時代に、児相はなかったのです。


あのような可哀想な子どもが山ほど死んで、それでようやく児相ができました。
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児相も忙しいんだ

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