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大木 一夫 「現代日本語動詞活用論」
https://core.ac.uk/download/pdf/288216649.pdf

の本質的な誤謬を、

大木 一夫 「現代日本語動詞活用論」に見る形式主義文法論の迷妄
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9819 …

で取り上げました。

感性的な形と超感性的な概念との統一という言語表現の持つ矛盾を捉えらえない西欧屈折語文法に無批判に追随し日本語に押し付けるしかない現在の言語論、日本語論の限界を露呈したものと言わなければなりませんが、諸賢はどのように理解、判断されますでしょうか。

かつ‐よう〔クワツ‐〕【活用】

文法で、語がその用法の違いによって体系的に語形変化をすること。また、その変化の体系。日本語では用言(動詞・形容詞・形容動詞)および助動詞に活用がある。
【デジタル大辞泉】

で、「用法の違い」とは他の語との繋がりの関係であり、意義、意味の変化ではありません。活用自体がなんら特別の意味をもつものではなく、終止形とか仮定形というのは、文全体の性格からくるもので、「書く」を「書け」にすればそこに仮定の意味が含まれるわけではありません。

屈折語である英語などの<動詞>に見られる語尾変化とは全く違った性格のもので、この屈折と呼ばれる語尾変化は日本語の複合語や<動詞>と<助動詞>とを組み合わせたものに相当するもので、それ自体対象の捉え方の違いを表現しています。

これは明治以来の通説ですが屈折語文法の研究者やこうした言語論、文法観の影響を受けた日本の言語学者、国語学者はこの活用の本質を理解できずに形式的に語を分離、切断し変化しない部分を<語基>と称しブツ切りにしています。音韻としての仮名書きでは変化する部分だけを切り取れない場合が多いので、それらを【わざわざローマ字に書きなおして】切り取っています。

上記の大木論考では活用形を、

                  活用語尾
   語例   語幹   終止  条件  命令  成立  意志  打消意志
   持つ  mot- u    eba   e     i1    oo     umai

のように結論しています。これは、形式と内容の相対的な独立という言語表現の持つ調和する矛盾である弁証法の論理を理解できず、矛盾を承認できないために形式論理的操作をするしかない論理的必然としての誤謬ということになります。

これはもはや言語としての限界を超えた物理的な音声の扱いでしかなく言語学とはいえないものになります。

このような非科学的な言語論の現状と、このような教育を受け、「文法的な単語」

文法的でない単語があるのか?
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9720 …

なる珍妙な論が展開されている現状を諸賢はどのようにお考えでしょうか。■

A 回答 (1件)

その問題を解決するには、多言語話者に成るしかありません。

幸いにも、現在ではネットを用いた学習により、多言語話者に成るに、難しくありません。

そもそも言語は、道具でしかありません。コンピュータのプログラム言語が、英語で書かれるのは、英語がプログラムを書くのに、適した言語だからでしょう。

私は、日本語は漫画を書くのに適した言語ではないかと思っております。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。■

お礼日時:2022/02/19 16:22

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