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厳しく教育されたおかげで好き嫌いがなくなった、という話をあまり聞いたことがないので…
ちなみに私は無理やり食べさせられてた頃は嫌いなままでしたが
一人暮らしをはじめたら自主的に食べれるようになりました。

A 回答 (55件中11~20件)

嫌いな世の中に、別れを告げる人が、毎年2万人。

今日も人身事故で、列車が遅れてました。合掌
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思うところがありましたので回答させていただきます



上の子が何をどうしてもベジタリアンでした。魚と肉を食べられない、食べると後で戻す。下の子は何でも食べる子です。2人を見ていて、親として、子どもはそれぞれ違うと感じます。戻してしまっては、元も子もない。栄養にもならないから、先生に相談してみました。今はお弁当を持って行っています。

このことがきっかけで、給食について考えさせられる事になり調べました。

元々、給食の始まりは、戦争後に親が亡くなったり貧乏だったりで、お弁当が持ってこれない子達のために大人達が持ち寄り、それでお弁当を提供した事とありました。。その頃の日本は恐らくお米やお芋、野菜は糠漬けなどであったはずです。質素でありながらも皆んなが食べ慣れてきた味だったためどの子どもでも食べられたと思います。

別の地域では、お寺に勉強しに来る子ども達の中に、お昼を持ってこれない子達がおり、お寺の御坊さんが地域の家を自発的に回り、御経を上げて、代わりにお米や野菜をいただき、そうして集めた食べ物でお弁当を提供したとも聞きました。

始まりは、お昼にご飯も持ってこれなかった子ども達への提供だった事を想うと心があたたまります。

少しずつ見直されてはいると思いますが、自分の子どもの特性を見ながら、どうしても必要であれば地域の先生方に相談されるのがいいのかなーと思います。
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> 厳しく教育されたおかげで好き嫌いがなくなった、という話をあまり聞いたことがないので…



最近のお若い方はご存じないかも知れませんが・・・。

既出でしたらスミマセン。大変たくさんの回答があるので、全てに眼を通すことまではしておりません。

乃木大将は、ご幼少の頃、大根がお嫌いだったそうです。偏食による栄養の偏りを心配された御母堂様が、毎日毎日、来る日も来る日も、ただひたすら大根だけを食卓にお出しになったそうです。

初めの頃こそ腹がくちくならなくとも大根を避けて召し上がらなかったご幼少時の乃木大将でしたが、それがあまりに何日も続くので、とうとう空腹に負けて大根を食され、以後は大根嫌いを克服されたという話があります。
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「出された物は全部食べなさい」という形で嫌いなものも食べないといけないと言われて育ちました


質問者さんと同じく無理矢理食べていた時は嫌いでしたが、一人暮らしをして自主的に食べるようになった今は好きになりました

教育の結果が一人暮らしをして自主的に食べるようになったことだと思っています
また好きになった理由は子供の頃は味覚が敏感で嫌いなものが多いのが普通のようですが、大人になると味覚が鈍感になり食材の嫌な味を感じなくなるそうで、それが丁度一人暮らしを始めた時と重なったのかなと思っています

友人には大人になってもチャーハンに混ざっている小さな野菜すら寄り分けて食べるような人がいます
外食でコレコレが嫌いだと大きな声で話す人もいます
自分はそのようなことをする大人にならなくて良かったと思っているので、子供の頃は嫌々でしたが厳しく教育されて良かったと感じています
そうでなければ自主的に食べて好きになることもなかったと思うので

でも子供の頃の好き嫌いは気分が関わることも多く、実際に嫌いだった野菜が友達の好物だというだけで美味しく感じるようになった経験があります
なので特に小学生以下の子供には厳しく言うよりも楽しく食べることを優先させても良いのかなと思います
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一人暮らしなら毎日好きなもの食べれるじゃないですか。

良かったですね!。私も人に合わせずに毎日好きなもの食べてます。誰かの飯作るなんてウンザリ。特に文句タレ、食わず嫌い、出したもの残す奴には何も出したくない。相手の好みに合わせるのも嫌。今後は魚の宅配を注文してるのでその煮魚焼き魚をメインにずーっと食べていくでしょう。作らなくて楽チンです。
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私は45歳男性です。

実家にいた高校生時代までは、母が作った食事を食べていましたが、一人暮らしして26年目でずっと自炊をしています。


私の場合は、食物に関してのアレルギーや好き嫌いはないのですが、それは実家に暮らしていた時に両親や祖母が「おいしい」と言いながら食事をしていたのも影響していると思います。自分も成長したら食べてみようかな?という感覚になって。


でも、幼稚園時代のお泊り会で、先生が「残しちゃダメでしょ!」と言いながら、私の口にナスの漬物を押し込んできて吐き出した思い出があったので、いまでは食べることはできますが、ナスの漬物は少しだけ苦手です。焼きなすやナスの天ぷらは大好きですが、漬物になるとちょっと…好んで食べようとはしないというか。


嫌な思い出があると、少し苦手になる気持ちはありますね。
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>嫌いなものを無理やり食べさせられる教育


これは社会主義的行為なので今はもうやってないはずですがね。
子供の頃は嫌いだったのに大人になった今は大好物。
または、子供の頃に食べてた駄菓子が、大人になった今まずくて食えない。なんて話もあるんですが、これはまだ子供の時期に味覚が発達してなかっただけです。
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1945年に終戦、その頃はいつもお腹を空かせてました。

親は少しでも栄養をと味噌汁のダシの煮干しを、そのままに、お椀に盛ります。そのダシの出切った煮干しの不味かったこと、こっそり飯台の下に隠してました。バレると父が烈火のごとく怒ります。父は兄弟5人の家族で貧乏に育ち、といっても剣道の指南をしていた家柄だったのですが、とにかく弁当のオカズに煮干しが数本入ってれ御馳走だったという育ちですから今考えれは怒るのは当然です。母はダシガラの煮干しの不味いことは知ってたから、私の椀には煮干しが入らないよう、気を使った呉れてましたけど。
 九州では納豆を食べる文化は、徳川の時代に入って黒田が福カ岡藩に入り、加藤清正が熊本に入って、藩主が連れてきた家来か住む一角だけで、ほそぼそと続いていました。一般人でトライする人は居たのでしょうが、あまり広がりませんでした。何しろ、生ものが腐敗すると一般にネバネバして糸を引くようになるのが常識ですから、納豆は豆の腐ったもの、というイメージでした。結局納豆を食べるようになったのは学生時代に挑戦精神が養われて、良いというものだから食ってみよう、と食べだして、今も毎日食べてますが、美味しい、不味いはわかるものの好物というわけではありません。
 九州は食糧不足の中でも比較的恵まれていたのでしょう。イナゴは害虫としていっぱい居たのですが、食べる文化はありませんでした。シーズンになると学校総出で害虫退治でイナゴ取りをした覚えはあって、これは栄養のある食べ物になるんだと、先生に教わるのですが、先生方で食べた形跡は無かったですね。
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食べ物の好き嫌いの激しい人は性格的にも嫌いなものをハナから受け付けない傾向が強いです。

これは経験からの話。

食事に関してどこであろうと、誰が作ったものであろうと、一緒に食事する人が誰であろうと、嫌いなものに全く手を付けないということを目撃すると「この人には好き嫌いがこの場にある何よりも優先されることなんだ そしてそれを実行してしまうんだ」と思ってしまうわけです。
人としての評価につながることが大いにあり得るってことです。
好き嫌い容認が流れになってますけどこう思うことはいけないことですかね?
人間は自らでは作れなくなった栄養素も多いし、元々外部からしか摂取出来ないものも多いわけですから人体の健康的な維持という意味でも好き嫌いは少ない方が良いのは明白です。

とまぁ好き嫌い自体については良くないと思う、という意見なんですが、好き嫌いの改善については「強要」は最悪の部類の手段で間違いないでしょうね。
味はもちろん臭いや感触、形状、量、温度、食器や時間、食べるシチュエーション、誰となどなど様々な条件をより食べやすくするために工夫することの方が克服のためには必要です。
好きな人が口を揃えて「ここが好き!」「醍醐味!」っていうところは、嫌いな人の嫌いな理由のまさしく「そこっ!」って部分ですから、厄介ではあります。
真っ正直にそこを分からせようとするのも手ではありましょうが、その前に口に運べる工夫言い換えれば「騙し」をすることが肝要かと思います。
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効果ないですし、非常に危険なこともありますから、無理強いは絶対に止めた方がいいです。



味覚は個人差が激しく、なんらかの食物アレルギーを持っていても、ハッキリ知らずにいる人も多いです。そういう人に無理やりアレルゲンの食物を食べさせるとアナフィキラシーショックを起こし、最悪の場合は死に至ります。
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