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こんばんは。

現存在と自我とは何が違うのですか?

ある書籍によると、「自我は現存在を対象化したもの・・・ 現存在とは存在を理解するもの・・・」等と書かれているのですが、私には二つの違いが理解できません。

宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

我思う 故に我あり



直訳は 我疑う 故に我あり ですが。

すべての事象を疑う。これらのものは真ではない。
しかし、すべてが偽であれば疑う自分すら偽になるではないか。
いや、自分はまさにここにある、疑いようもなく自分は自分である、
真の存在としてここにある。

すべての存在を否定して始めて真の存在を確認したのはデカルトさんですね。

ご理解の一助になれば・・・・

そういう私はちぃとも理解できまへんが(^^;; ~大恥
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/30 12:53

私が受けた講義による理解に従えば、これは主体と客体の関係で考えるべきだと思います。

客体と主体の違いは客体は(主体による)思考の対象になりうるが、主体はそうではないということです。これを認識主体の自己不可知性と呼ぶそうですが、人間は、言葉という魔物にだまされて、主体という言葉を知っているから、人間は、主体でも認識してしまえると錯覚してしまうのだそうです。ハイデッガーもこのことに気がついていないのではないかとある友人が言っていました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


つまり、ハイデガーが気が付いていないだけで、現存在と自我は同義と言うことでしょうか?

お礼日時:2005/03/30 13:38

私も完全には分かりませんが、客体化される現存在の部分が自我というのも成り立つと思います。

逆に自我というものは現存在を認識するというような言い方も可能ではないかと思います。恐らくこれは言葉が持っている限界に関係したことだろうと思います。大切なことは主体は客体化されないからこそ認識ということが可能なのだということに尽きるのではないでしょうか。私はこれを暗闇とは何かを知るために灯りをつけて調べようとするとか、蛇が自分の尻尾を飲み込むようなものという喩えを聞いたことがあります。同義であるといっても主体と客体は違うものであるという納得も必要のように思いますが、私もよく分からないのです。
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この回答へのお礼

「現存在を対象化させたもの=自我」の意味が理解できてきました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/30 15:43

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