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探査機のはやぶさ2は、小惑星リユウグウから、4.5gの貴重な試料を持ち帰りました。
その資料の40%は、世界の研究機関にすでに配布し、研究がなされております。
残りの60%は、今後の学問の進歩を期待し、当面そのまま保管されるそうです。

質問は、哲学という学問そのものは、将来の進歩を期待して…ということは考えられているのですか?

A 回答 (9件)

進歩は形而下(観測可能な世界)で起きています。



哲学が形而上学である限り(=物理学で解決できない限り)、進歩という単方向の不可逆的変化はないと考えて良いでしょう。
哲学の世界では、時代によって、個人によって、右往左往している様に思えます。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<進歩という単方向の不可逆的変化はない>のですね。
<時代によって、個人によって、右往左往。ですね。ただし。悪く言えば、でしょうね。
よく言えば、哲学が生まれたときからほぼ完成し、成熟していたといえますね。

お礼日時:2022/06/22 10:18

「哲学」は概念です。

概念が進歩可能を前提としているのか?と問われればYes、と答えましょう。
あらゆる形而上的概念が同様に、無限であろうとさえ思っています。扱う内容はどうでしょう?有限かも知れませんが、その深みは無限であろうと。

しかし、閉鎖的環境になっている分野では、往々にして惰性があり、それにより担当者自身が進歩の邪魔になっていることが多いと思います。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
<「哲学」は概念><概念が進歩可能>なのですね。

お礼日時:2022/06/24 09:37

この世界は形而下がすべてであると「したい」というのが、全部ではないにしろ、主として男性の科学者の意志として近世以降幅を利かせてきたと思っています。



形而上の世界は間違いなく文明の中にあってその役割を果たしてきました。
例えば、家庭内の教育とか地域の文化的習慣などです。

欧米では、昔から子どもに個室が与えられていました。しかし、鍵をかけてはいけないという暗黙のルールがあったと言います。また、友人を連れてきたら親に必ず紹介しなければならないとか、子どもの教育とか家庭内の良き文化の維持のために試行錯誤がされて一定の文化として定着されてきた、と。地域文化においても、同様の努力と成果物があったことでしょう。

日本では欧米のそうした文化を形だけ真似ようとして、多くの失敗があったと指摘する文科系の学者がいます。形だけと言うのが唯物的に思えます。

物質面の進歩は、先進国においては現在の便利さ快適さをいかに維持するかと、いかに金儲けするか(経済の為となっている)の二点の為に成されようとしていると思います。

物質面を含め、文化・文明の根は、宗教、哲学ですから、哲学の進歩が必要と言うか、ほとんど進歩がなかったから、人類全体が「自転車操業」になってしまったと思います。だから、哲学の進歩は当然必要です。

現在の哲学者が、哲学というものの位置をどのように考えているか?というか、人気がないことが問題か?
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<哲学の進歩は当然必然>ですね。
この意味は、哲学そのものが進歩可能を前提のにしているですか?哲学が扱う内容の進歩ですか?

お礼日時:2022/06/23 18:11

★ (№5お礼欄) ~~~~~~~~~~~


・・・
質問文では学問(対象・内容ではなく)の進歩となってますが、御回答では哲学そのもの(対象・内容ではなく)が進歩する、とは考えられないのですが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ なるほど。と言いますか その場合には 哲学というときには 広狭ふたつの種類があるのだと思います。


狭義の哲学は 要するに知性以外の感性や自然をふくめた世界についての・おもに知性による認識〔および維持・変革〕を言います。

経験科学のすべておよびその実践です。


広義の哲学は このような経験世界を目の前にして 世界現実は そのような移ろいゆく形而下の事物や現象に限らないと見る立ち場に立った場合です。

けっきょく狭義の哲学のすべてをふくみ それに形而上学を加えたものです。






もっとも・じつは この形而上学については基本的に おっしゃるとおりのことが言えるとわたしも思います。すなわち:

★ (№4お礼欄) ~~~~~~~~~~~
・・・
よく言えば、哲学が生まれたときからほぼ完成し、成熟していたといえますね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 形而上学ないし神論は――絶対性論ないし無限論は―― この絶対性なる神と相対的経験存在なる人間のわれとのカカハリが すべてです。

このカカハリとは 感じるや考えるではなく〔しかもそれらを超えて或る意味で包み含むような〕信じるという問題です。



しかし 信じるは 信じるなんです。無条件で無根拠にてわが心に神を――あるいは《無い神》を――受け容れるという意志行為です。

理屈抜きですし 理屈はいくらでも好きなようにつけ添えても まったく構わない。なぜなら 信じる行為は それらの能書きを超えているのだから。


――という意味で 人類は 《信じる または 神》を見出だしたときから この形而上学については 完全な答えを得ていたと言えるはずです。



〔ただし 信じるを考えるの次元に降ろして来ると その内容――理論やいわゆるオシへ――は 相対的なものにしかならない。ということなわけですが。・・・

つまり 狭義の哲学としての神論は 変容したり進歩したりするものと考えられます。〕
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございました。
<狭義の哲学としての神論は 変容したり進歩したりする>ということですね。(申し訳ないのですが、結論しかわかりませんでした)

お礼日時:2022/06/23 18:07

哲学的“探査機”の音色は、№5ブラジュロンヌ氏の回答の60%を此処で研究し、残りの40%は将来の進歩を期待して、10年ほど保管しておきたいと思う。

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
この賢人なる回答者群の中では珍しく、(おそらく)哲学の<将来の進歩を期待>しておられるのですね。

お礼日時:2022/06/22 17:28

現代における哲学プロパーの務めは ふたつあると思います。




まづやはり形而上学としての研究がのこされていると考えます。

神論です。

カントは 神に代えて物自体を持ち出したとき 結果的にこの物自体を大前提として設定しておけば神論は 要らなくなるという方向をしめしたようです。

それでは やはり非経験の場ないしチカラ(つまり 超自然および超経験なるナゾ)が人間の大きな現実というものから抜け落ちてしまうという批判が出ました。

この欠けたところを ヘーゲルが ただし観念論として埋めて世界を認識する哲学としてのあり方をしめしました。


その後には いやいや世界を認識するだけではダメだ 世界を変革しなければ成らないといった批判がさらに 起きましたが そのような・なお研究としての批判的継続として 神論の立て直しがのこされているかと思います。





二つ目の仕事として 理論認識だけではなく実践の問題をふくむ総合的な哲学についてです。

これは 前項の神論を基礎として 経験世界全体の認識を得たとき 変革すべき課題がおのづから知られて これについての実践――生活現実――という問題が来る手筈です。


基本として 哲学的自己了解が基礎であり あとは人それぞれの自己了解にもとづく実践になると考えられます。

具体的なツトメが 決まってくるであろうし 共同の事業になる場合もあるだろうし いまではどの課題もが世界規模の内容とつながっていると見られます。

その意味では 哲学が 自然科学や人文および社会の科学それぞれの分野をやはり総合的に捉えまとめて行く仕事をも要請されると見られます。





抽象的な言い回しに終始しましたが このように考えます。

人間と社会の理論には やはり神論が――蔭の主役であるかのごとく―― 基礎となると思われる。

そうして 哲学は 哲学する主体の形成を 最大の務めとする。

すべての学の総合的なまとめを任されている。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
残されている課題は、次なのですね。
1.神論
2.理論認識だけではなく実践の問題をふくむ総合的な哲学

ただし、上記の2項目については、哲学の対象と思います。
質問文では学問(対象・内容ではなく)の進歩となってますが、御回答では哲学そのもの(対象・内容ではなく)が進歩する、とは考えられないのですが。

お礼日時:2022/06/22 13:03

ソクラテスやプラトンの時代にはイデアつまり絶対的なものを探究しようとしていたが、現代では絶対などないとなって相対主義が正しいとなり哲学は後退した。

しかし私が絶対善を発見したので将来それにみんなが気が付けば哲学にとって大きな進歩となるだろう^^
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この回答へのお礼

哲学の進歩は?

お礼日時:2022/06/22 10:10

>質問は、哲学という学問そのものは、将来の進歩を期待して…ということは考えられているのですか?




質問が不完全な文章なのでよくわかりません。期待して、どうだと言いたいのですか?

別に哲学自体は将来のためだけにあるものでもなんでもないと思います。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<将来のためだけにあるものでもなんでもない>のですね。
哲学には、進歩も退行もなく、過去も将来もないのですね。ただ現在にある、と言うだけなのですね。

お礼日時:2022/06/21 14:10

哲学は物的資源に関係がないわけですから、出し惜しみする必要がありません。



採取した試料は物的に有限だから、今後たとえば高精度の計測器が登場したときなどのためにいま使い切らずに保管しておきましょうということです。

哲学にそんなこと必要であるわけがありません。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<哲学は物的資源に関係がないわけですから、出し惜しみする必要がありません。>ですね。
哲学には、<出し惜しみ>をしていないから、過去も将来もないのですね。ただ現在にある、と言うだけなのですね。

お礼日時:2022/06/21 14:06

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