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時代劇を見ていつも思うのですが、江戸時代に刀で人を斬りつけるような事件や殺人事件は頻繁に起きていたのでしょうか?
江戸時代の治安は良かったという方と、酷かったという方に二分されているような気がしますが。

A 回答 (10件)

人斬りはそれなりにありましたが、治安が悪いというほどではなく


時代によっても変わりますが、記録が全て残っている訳ではないけど
私見では同時代の海外の大都市と比較しても少ない方だと思われます。
時代劇はあくまでもフィクションです。


江戸時代の武士には「切捨御免」という武士の特権がありました。
 注:切捨御免は後世における呼び方で、当時は手討・打捨など
   資料によって異なります。
最下級に該当する足軽にも認められましたが、無礼をされて
その目撃者などの証拠があり届け出を行った場合に認められたので
時代劇の様な無礼打ちの切捨御免は実数としてはあまり多くありません。

法律としては吉宗の時代の「公事方御定書」第71条に
 足軽躰に候共町人百姓之身として法外の雑言等不届之仕方
 不得止事切殺候もの、吟味之上於無紛は無構
と、注釈で明文化されています。

切捨御免を当時の記録にある実例で見てみると、
行列を横切った町人を咎めた時に暴言を吐かれたとか、
すれ違いざまに衝突して武士が咎めたが無視して去ろうとする
ばかりか、武士が決闘用に差し出した刀を奪って逃走し
「武士を痛快に打ち負かした」と触れ回ったため
届け出後に(婦女子を含め)家族を全員切り捨てたなど、
町人側にもそれなりに問題があったものが多くみられます。

私怨や証明ができない場合は辻斬りとして処罰(死刑)されました。
辻斬りは1602年に徳川家(まだ幕府は開闢していない)によって
禁止され、それが江戸時代も継続されました。
ただし、辻斬りが少なかった訳ではなくそれなりにありました。

辻斬りは時代によっても差はありますが、「鳴かぬなら~」
で有名な「甲子夜話」(1820年頃)の1巻にも、
旗本の若者が辻斬りしている噂話が載っていたりします。
特に幕末は多くなり桐野敏明(中村半次郎、人斬り半次郎)や
岡田以蔵(人斬り以蔵)等が有名です。
(残念ながら抜刀斎はいませんでした)
新選組の局長までなった芹沢鴨の場合は力士と喧嘩して
無礼打ちをしたので届け出ています。(大阪角力事件)
この時に力士の肩を持ったとして、取り調べに当たった与力が
後に暗殺されています。(諸説あります)

ちなみに失礼ながら勘違いされている方がいますが、
岡っ引は非公認の協力者で、刑事ではなく私立探偵みたいなもの。
江戸時代だと南北の奉行所に与力が25人(本当は騎で数えます)
同心が100人で、こちらがおまわりさんに相当します。
岡っ引が十手を持つことはあっても奉行所からの借与なので
常時携帯するわけではなく、主に式典などで使用するもの。
時代劇のような捕縛にはあまり使いません。
自分で勝手に造る者もいましたが、身分証明を兼ねたので
そのまま腰に差すことはほぼありませんでした。
同心が捕り物に出動する(与力は殆ど出動しません)場合にも
ほとんどの場合は指揮用に使用していました。
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今の警察に該当する町奉行所が比較的少人数で構成されてたことから、明るみになった殺人事件は少なかったと推察。


幕末になって急に増えますが、人斬り集団といわれてた新撰組でさえ、そのイメージよりははるかに少なかったようです。内部粛清で切腹の方が多かったという説もあるぐらい。
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> 江戸時代に刀で人を斬りつけるような事件や殺人事件は頻繁に起きていたのでしょうか?



どのくらいを頻繁にというのかにもよるでしょう。
刀狩りがあったにしても、江戸時代の民衆が刀の類いを持ていないと思うのは誤解で、百姓も街中の庶民、職人も刀の類いは持っています。
防衛や護身や刀の趣味ということもあるでしょう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
不義密通の場合町人百姓でも密通者を斬り殺しても処罰の対象にはならないし、喧嘩か争い毎が発展し刃傷沙汰になっても基本的には仕方ないことと扱われ問題にはされなかったでしょう。 強盗や追い剥ぎ、強請たかりなら単に腕力や言葉、表情だけでなく、刃物を使ったでしょう。 脇差しや刀はゴロゴロあるのですから、使うことも多いでしょう。 
2020年時点で日本には約250万の日本刀が存在するという話しがあります。明治以降にどのくらい作られたのか、明治以降にどのくらい失われたのか分かりませんが、江戸時代にも相当な数の日本刀があったでしょう。倉や物置の奥深くに8割があったにしても、10万以上はすぐに使える状態にあるのならば、年間100~1000くらいは、実際に切りつける、喧嘩復讐刃傷沙汰、色恋沙汰、心中、強盗・追い剥ぎ・脅しの果てにあったでしょう。

なお、刃物で切られてあげくに死んでも、多くの場合刃物による殺害とは扱わずに、不慮二疵附、持病之積氣差發相果候とか、とにかく事件扱いにしない方法が、取り締まりの役人側にも、死亡者の関係者の側にも選好されたので、実態など分からないと思います。
正式に事件扱いにすることは、役人や主人、被災者、関係者の迷惑でしかないのです。 起きたことは起きたことです。 根に持つなら、復讐するという方法の方が、まだ面倒がないと、関係者は思ったでしょう。
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治安は良かったです。


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江戸時代では、「奉行所」が警察署、「岡っ引き」が警察官のような存在。


犯人捕縛の道具は、「十手」長さ約 45cmほどの鉄製の棒。
そんな短い棒で刀に勝てますか?勝てません。
つまり、江戸時代「岡っ引き」が「十手」を持ってた時代は、刀による斬りつけ事件は無かった。
しかし、幕末は斬りつけ暗殺があったため、京都では新選組などが刀と槍で取り締まりました。
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時期によりますね。


江戸前期はまだ「戦国の威風」が強かったので、辻斬りは「武士の嗜み」ですらありました。
徐々にそういうのは取り締まり対象となり、5代将軍綱吉が徳治主義を打ち出したことから徹底的に辻斬りは禁止されました。
しかし江戸後期になると、中小大名領と旗本領、幕府領が複雑に入り組んだいる関東地方の治安は乱れに乱れ、徒党組んだ博徒集団がシマを仕切る木枯紋次郎の世界のようになり、いわゆる八州廻りこと関東総取締出役が治安維持に当たりました。
また、幕末になると、また辻斬りが流行りました。
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侍が人を斬った場合は


必ずお上に報告しなければなりませんでした

場合によっては
単なる殺人ということで
それなりの罰を受けます

そうでなければ
「無礼者」と言って
勝手に切り捨てていたのでは
江戸中、死体だらけです

あれは
映画だけのお話です

治安は良かったと言われています
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TVでは毎週の放送時間になると殺人事件が起きますが


現実にはそんな高頻度では起きなかったでしょうね
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江戸の街中で昼日中にって事ならそんなに無いと思います。


ただ、盗賊・山賊ってのは普通に居たみたいです。
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「辻斬り」などを調べると、結構悪かったような感じを受けますw


薩摩武士などは刀を抜くのは恥だと言って抜けないような細工をしていたなどとも聞いたことがあったのですけどね。

あと、少し山とか林とかに入れば夜は真っ暗で、襲われても何をされても仕方ないといったところもあったのではないでしょうか。襲うのも人ばかりとは限りませんし。
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