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東部でロシア系を弾圧してるゼレンスキー政権を庇護してる人は、ウイグル(イスラム教)を弾圧をしてる中共や、パレスチナ(イスラム教)を弾圧してるイスラエル(ユダヤ教)とも繋がってるんですか?

フランス革命による迫害や、ロシア革命による迫害、日本への原爆投下が国際社会で善とされる一方、
同じ迫害なのにナチスによるユダヤ人迫害は悪になってます。

同じ迫害なのに、なぜ良い迫害と悪い迫害があるのですか?全部、悪ではないのは、なぜ?

それに未だに分からないのは、ナチスとシオニストが協力関係にあったということ。
ナチスとシオニストの間で結ばれたユダヤ人移管協定「ハーヴァラ協定」って、何だったんだろう?
本当は迫害はなかったと言った日本の雑誌が廃刊になった事件もあり、誰がこの世界の善悪を取り仕切っているのか、不思議でなりません。

なぜブルボン朝も、ロマノフ朝も迫害されなければならなかったのでしょうか?
誰の利益で、世界秩序は作られてきたのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • またウクライナ戦争を見ると、大衆世論(大衆迎合政治)が利用されています。

      補足日時:2022/12/02 07:24
  • 今の国連は戦勝国が秩序を作ってきました。
    戦勝国の中に、私たちの命を軽んじる見えない敵が姿を隠し潜んでいるのではありませんか?

      補足日時:2022/12/02 07:30

A 回答 (1件)

先ず、善と悪の基準が分からなけば会話が成立しません


「善」と「悪」とは可変的な実在なのです
悪なくして善はなく、善なくして悪なし。
両者は、相対的であるとともに相補的な実在なのです

悪でも大悪と戦えば善となるのです
善でも大善と戦えば悪となるのです
極悪非道の殺人鬼でも、敵国からすると正義の英雄なのです
盗人は悪人でも、鼠小僧のように、盗んだ金を貧乏人に与えれば善人です
誰人たりとも、善悪を決定する事はできないのです。
トルストイはそれらを見据えたうえで
「宗教のみが善悪の決定を与える」
と言ったのでしょう
おそらく、ここで言う宗教とは、大善、極善の事でしょう

では大悪とは何か、極悪とは何か。
おそらく「無関心」でしょう、シニシズム(冷笑主義)でしょう
シニシズムは、時に悪そのものよりも恐ろしい
作家スティーブンソンの
「わたしは悪魔よりもシニシズムの方がずっと嫌いだ」との言葉に共感します。
決定的に重要なことは、善も悪も互いに(善ならば悪を、悪ならば善を)「他者」として、その関係性の上に「自己」を成り立たせているということであります
それに対して、無関心やシニシズムの世界における「自己」とは
ユングのいう「自我=エゴ」と同じく、表層次元を浮遊する閉塞的な自意識でしかありません。
そうした「自己」は「他者」が不在であり、「他者」の痛みや悩み、苦しみへの不感症に陥っているがゆえに、自分の世界に引きこもってしまったり、ささいなことでキレて暴力的な直接行動に走ったり、あるいは素知らぬ顔で傍観者であったりする。
こうした「他者」の不在という精神病理こそ、ファシズムやボリシェビズムなどの20世紀を席巻した狂信的イデオロギーを生み出す格好の土壌であったのです。
「自己」の内に「他者」が欠落していれば、対話は成立しません
形は対話のように見えても、一方的な言い合いに終始してしまう。コミュニケーションは不全に陥るのです。

長くなるので、結論します
エベルハルトの次のような逆説的な言葉を引用します
「敵を恐れるな、最悪の場合でも敵は汝を殺すぐらいだろう。友人を恐れるな、最悪の場合でも、友人は汝を裏切るぐらいだろう。無関心なやからを恐れよ、やつらは、汝を殺しもしないし、裏切りもしないが、やつらの沈黙の合意のせいで、地上には裏切りと、殺人が存在するのだ」

大善については又後で、
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