No.29
- 回答日時:
死線を三十年間、彷徨った、私からいわせれば、ね。
ブランジェさん
=
No.22
回答者: bragellone 回答日時:2023/01/24 17:13
小松製作所は頬に瑕のある大企業ですからね。
新人時代から、半殺しに私をしたのが直属上司で、社長命令だと思うけれどね。
コマツは、サイバーネット犯罪を元コマツ社員の住宅に働いて、家のインフラを滅茶苦茶にすることで、凍死を狙う大企業がコマツですよ。証拠隠滅のためには、私はお邪魔虫であることに相違にない。
コマツに入社したのは、1993年で、
コマツを退職したのは、33歳の時だ。
Jesusが絶命したとされた年を解雇にねらってね。
後は、大規模自然災害を狙ったわけね。
一応、ブラックジョークだけれど。最終画面がコマツの神だけだけどね。
コマツの本当の貌だけれど。↑
No.28
- 回答日時:
余談ですけれど。
享年六十才で没せられた、「漫画」の神さまだった、手塚治虫先生は、周囲から神さま扱いされすぎて、非常にプライドが高くなりすぎて、飽くまで、天声人語でのバックナンバーでの評価ですけれど、尊大になりすぎて、周囲を相当、困らせ為さったそうなのですね。天声人語(朝日新聞社)のバックナンバーをお探しになれれば、過去2年間は朝日新聞社の天声人語であれば、デジタル朝日にインターネット上で公開されている筈なので、読めます。デジタル朝日新聞は月極で、980円(税込み)ですけれど、現金でのお支払いは出来ず、クレジットカードのみの決算となっています。どうしても、お調べになりたいのであれば、お近くの市役所・区役所にある、図書館にも過去の新聞社のバックナンバーは恐らく、過去30年間以上は保存されていますので、恐らく、専用の機械か、昔の電話帳みたいになっていると思われます。それでお探しになるのは大変なので、一度、朝日新聞社に連絡を取ってみると、良いと思われます。電話での対応が宜しいと思われますが、お客様オフィスセンターへおかけになられるとオペレーターが対応すると推測されます。ところで、ブランジェさんとは私は二度と、対談できないのでしょうかね。
(;´д`)トホホ
No.27
- 回答日時:
お釈迦様は自分の最期に関しまして、加治工のチュンダの料理が切っ掛けで入滅なされるのですが、お釈迦様は自分の不条理な最期に際しまして、加治工のチュンダを励まし、功徳があるから私の最期の切っ掛けとなることを悔やんではいけないと、チュンダを励ますばかりが、お釈迦様の最期だと伝えられています。
ですから、自己の最大の不条理である、死に際して、「赦さない」ということがお釈迦様に起きないのは、悟りの開祖で、ニルヴァーナの境地に立たれたからなのですね。あの世に地獄があるはずがないのは、お釈迦様自身に赦さないというお心がないので、地獄があの世にあるのが嘘で、作り話だということです。
それは、Jesusも自己の不条理な最期に際して、なんのせいにもなされていらっしゃいません。
ですから、来世に地獄があるというのは作り話で、此の世の教訓であって、来世があるのであれば、極楽浄土か天国しかないのだと私は思いますが。
悪人こそ救われると説いた親鸞聖人も我々、庶民も宗教的には悪人の類なので・・・。
では。
No.24
- 回答日時:
作品として人間が書いたものですから。
その内容が正しいのか否かではなく、自分がどの様に感じたのか。また他の人がどの様に受け取るのかも思いを巡らせ作品全体を評価すると落ち着けるのだと思います。実は私も子供の頃にこれを読みまして、納得できずに腹をたてました。しかし大人になるにつれ考えが変わりました。
以下は長いので気が向いたら読んでみてください。
大人になって考えを変え始めたのは、
この作品出てくる蜘蛛と似たような嘆願を受けたことがあったからです。勿論、地獄やお釈迦様など出てきません。全てが人ですし身近な方々です。その中に(何か悪い事をしたのか分かりませんが)皆さんから嫌わている人がいた。話を聞くと確かにやってはいけない事をしたらしいです。しかし私には個人的に恨みが無いです。それらを鵜呑みにして決めつけるのはどうかなあと思っていました。そんなときに蜘蛛の様に彼を擁護する人がいました。この人は良い人でしたし人気があったので私も含めて周囲の人は心を打たれました。自らの行いを反省し恥ずかしいと思ったんです。
「声くらいかけてもいいよなあ」
そこから先はどうなったでしょうか? ご想像に任せますが。この時にハッと思い出したのが芥川龍之介の蜘蛛の糸です。不快な思いをしたんです。
ではこの不快な思いをした後はどうするのか?
今後は二度と情けをかけるべきではないのか?
そう思う人も居るでしょうし。そう思う事も在りましたが。これもある時に先輩(むかしの上司ですね)に諭されました。
「どうせ同じだと思っても。
次は違うかもしれないと思ってトライする人と。
やっても無駄だとする人に自分の未来が分かれている」
その時に上の様に気づきました。前者の人に自分が成れるかもしれない。そう思ったら、何だか自分に感動をしました(まだ早すぎますけどね)。
「他人について評価をしようとしているときこそ、
その自分の姿を他人が見ていると感じるべきだろう」
自分の未来はいまこのとき。他人を評価している瞬間に分岐していると言う事です。さてこの作品。糸を最初に見つけた罪人は後から気づいた他の罪人について評価をしましたよね。そしてその評価している姿を見て糸の持ち主たちが評価をしたということなわけです。
蜘蛛は自分の過去の経験で罪人を評価した。その評価が正しいか否かは別として、その行動は苦しんでいる人への救済を嘆願する事でした。これに対して「やっても無駄だ」と諭すお釈迦様の姿は想像できませんよ。え?と思っちゃいますよね。なので釈尊ですら聞き届けるしか無かったんでしょう。
では地獄はいつごろからあってどのくらいの罪人がおり、どのくらいの嘆願者が釈迦を訪れたのでしょうか?
「ごめん。既出なんだけど。ああ・・・分かったよ。
どうなるか見ないと気が済まないものだものね。
僕を恨まないでおくれ」
私たちが仕事で苦情受付窓口などをやったとします。すると似たような相談が多いんじゃないでしょうか。訴える人は自分の願いにばかり囚われ、相手の方が何度も同じ相談に付き合ったという事まで思い至りませんよね。
では何がこのお話から読み取れるのか?
「蜘蛛は二度と同じ嘆願をお釈迦様にしないだろう。
そして罪人は最初で最後のチャンスを自ら潰したことを知らず、
次のチャンスを夢見て天を仰ぎ続けるのだ」
冒頭に述べました作品全体の考察としては、今上に書いた話がとても重要であると思います。私たちが生きているなか。生活の中。人生の中で機会損失が起きているという示唆ではないでしょうか。
「もし・・・この糸がお釈迦様が垂らしたものだとガンタダが気
づいたら、良い子を演じたかも。
それなら助かったかもしれないよね?
だとしたら騙されるお釈迦様にもがっかりだな」
子供の頃でしたが。こう言う事も思い出しましたよ。
しかしそうはならないんですよね。
もっと深い部分で決まっているようです。
逆にお釈迦様が垂らしたものだと発想できる人は、地獄に置くほどの罪を持っておらず、いますぐにでも助けるべきなんです。
これも大分年を取ってから知った概念なんですが。
依他起性(えたきしょう)という考え方があるそうです。
これは主観的解釈(自分の見え方による因果関係)と対立する解釈です。目的意識を消す。全体がどう動いているのかだけを探り。そして小さなルール(確率論)が重なって、ある部分に事象が起きたという解釈する考え方です。かなり応用の幅があります。
これの説明として例がありました。
「電車を待っている人がいた。電車が到着したら運よく座席が
空いていた。急いで確保した。座席を確保できたのは自分が
誰よりも早く気づき、他の人との競争に勝ったからだ」
と言うのが主観的な感じ方です。しかし、これに対して。
「座席を確保できたのは、
席に座らずに立っている人が他にいたからである」
と捉えるのだそうです。
私はこの考え方は無理やりだと思って反発しました。どうしたって偽善的なもの。無理やりな人道主義の美化に思えたんです。しかしこの後にしっぺ返しをくらいます。あるとき電車待ちをしていたら、本当に座席が空いていた時がありまして。さささっと座席の確保に成功したんですよね。しかし次の瞬間お尻が冷たい。マジかと思いました。この時に座席が空いていた理由が分かったんです。
「立っている人がいるからである。マジそうです。
自分だけが努力をしていて、他の人は羊の様な脳死諸君ばかり
であり、誰も智慧を持っていないと決めつけていました。
彼らを馬鹿にしないで礼の心を持ち、
『彼らが席を空けるには何か理由がある』
と考える自分であったならこうはならなかった。
いやいや、空いている席しか見えておらず。
自分の競争者しか見えていなかった自分には無理だろう。
そもそも立っている人について思いを馳せない。
考える以前。その姿にすら気づかない」
つまりどんなに頭が良くても、検討の対象から除外をしているものについては考えるチャンスが得られない。知識も智慧も意味が無いんです。心が自分の努力にだけ向いてしまい、自分以外の全てを穫物とし、競争者にだけ注意を払っていては能力が活かせない訳です。その世界観で物事を考えている状態が人間には多々あり。自分では気づきづらいんです。
そしてこれは思っている以上に事故を招きやすく(不運の率が格段に跳ね上がる)、物事の解決が出来ない(全体を見渡して考えられない)です。
動物の殆どが依他起性をもちません。自分と獲物とライバルしかわからないんです。そして動物的な性質を持つ人間であっても訓練をしなければ無理だと思います。動物が罠にかかる理由は、私が濡れた座席に座ったのと同じですよ。動物からすれば運が悪いとか騙されたとなります。しかし人間からすれば動物が罠に掛るのは当たり前なわけです。動物側は人間が自信を持っている事を知らないんですよね。
動物が思っているほど助かる可能性はない。しかし依他起性が分からない物には人間が自信をもって罠を置いたと考えないのです。自分次第だと思ってチャレンジをするはずです。
では罪人の心に依他起性はあるのか?
途中で申し上げましたが、そんな稀有な能力を獲得している人は、大事にすべきであり地獄において苦しませるべきではないでしょう。
「じゃあ。ガンタダがお釈迦様の救済だと気づいて良い子を演じ
ても、お釈迦様は合格だと思う訳なのね?
逆に言うとそれが出来るくらいなら地獄にいないって事か。
そもそも罪人にならないのか。
そうだよね。何か罪人の思考って周囲全てを獲物として捉えて
いて、それを妨害する敵にどう対処するかしか考えていない。
彼らは自分の努力に対する正当な対価を欲しいと思っていて、
世界に対峙している気分を味わっているんだねえ。
依他起性は無理っぽい」
これは罪を犯す人には究極の弱点があり、必ず知性を持つ人間に負けるという示唆でもあります。
私はこの気付きを得てから、道徳や宗教について見直すことにしました。
「もしかしてこの人達。物凄く頭が良くて。
こうした人間の性質をどう利用するべきかを諭しただけかも?」
この様に解釈しなおしてみると、世の中に流布されている名言や格言、寓話などは二つの意味で解釈できることに気が付きます。作った人もそれらを意識(依他起性での解釈)しているというわけです。
では全ての人が真の意味を知らずに終わるのでしょうか?
そういわけがありません。一定の年齢に成ると「こういう意味だったのか」と気づくものです。
私が子供の頃にガンタダの方に感情移入したのは、私が子供であったからであり動物に近かったからです。大人になっても「濡れ座席」に座るような世界観を持っていたわけであり、意識して練習をしなければそのままです。しかし依他起性の練習を意識している人には、蜘蛛の糸は教科書の様に見えるというわけです。
「そうそう。そこなんだよなあ。機会損失。
自分と獲物とライバルという発想はダメなんだよ。
恩返しをしたいという良い子ちゃんでもダメ。
やっても無駄だと塩対応しても見え方が悪いからダメ。
結局、面倒だと思っても釈尊の通りするしかない。
世界はそういう構図何だよね。
物凄い数の意図が渦巻いている。
それこそ渦巻く雲の様な意図なんだ」
お釈迦さまが敵に見えるのもあり。
他の解釈もできますよ。
だから作品として後の世に伝える価値があるんでしょう。
以上、ご参考になれば。
No.22
- 回答日時:
1. 因果応報説が 曲者なんです。
2. ものごとのよしあしを主観的にまじえた倫理観としての因果関係です。ひとの主観をまじえない科学的な因果律とは別です。
3. 問題は 善とはそして悪とは何かが 一概には決まらないことと ひとつの善行または悪行を取り上げてそれによる結果を一概に決めることもやはり出来ないということ このふたつです。
4. 善行を見下す必要はないでしょうが 哲学の人間観としては 幸福ないし極楽往生をそのまま 善行のむくいであるとは見ないのです。
5. 取り引きではないのですから。
6. 《念仏は 非行非善なり》です。さとりを得るためになす修行ではなく 成仏するために行なう善行ではない。
7. ひとは 風の吹くままにさとりを得 人間が人間になり わたしがわたしであるわたしになります。(それに感謝して 念仏を言うことはありなのだと)。
8. 全能の神なら そういった風の吹き回しについて いっさいを人間に知らせないしさとらせないでしょう。
9.龍之介は このまなびの道にあったのでしょう。
No.20
- 回答日時:
蜘蛛の糸には釈迦が出てきます。
釈迦というのはブッダのことですから、この話は仏教の話をしているということがわかります。
この話は、悪人が生前蜘蛛を助けたという、一度だけした善行を元に、釈迦が蜘蛛の糸を垂らして助けようとするという話です。
しかし、これは仏教的にはおかしな話なのです。
仏教では五戒を守らなければ地獄へ落ちるとされています。
五戒とは
・生き物を殺さない(肉を食わないだけでなく虫も殺さない、スーパーの野菜も農薬使ってるのでNG)
・他人の物を盗まない
・浮気や不倫をしない
・嘘をつかない
・お酒を飲まない
です。
そうすると、たくさん良いことをしたけど地獄に落ちてしまったという人がたくさんいることがわかります。
釈迦は蜘蛛の糸のような完全な悪人なんか助けている場合ではありません。
ということで、これは仏教の地獄の話ではないと考えるべきです。
おそらくこの話は、キリスト教やイスラム教のような全知全能の神を元にしている話です。
しかし、それだと本が売れないので、日本人に馴染みが深い釈迦に当てはめて書かれたフィクションということになります。
以上のことから、釈迦が全知全能の神のように振舞っているように書かれていますが、釈迦は名前を勝手に使われただけの被害者です。
逆に言うと、元ネタは全知全能の神なのですから、全知全能の神のように振る舞うこと自体、何も問題ありません。
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