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自分が間違っているとは寸分思わず、全知全能の神のように振舞ってませんか?

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    このQuoraというのは初見です。誰か私の質問をパクッテますね。

    No.34の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/01/26 08:56

A 回答 (35件中21~30件)

★ 尊大


☆ とも謙虚とも思わないですね。思想としても くだらないと感じられます。

と例によって ゴータマ・ブッダをけなすお話です。かえるさん 失礼します。



1. すでに人びとの間に《善》とは何か《悪》とはどういうことかが決まっているとしているのが 気にくわない。

2. その決まった善行と悪行とを天秤にかけて 極楽行きか地獄行きかを決めるという。ばかたれ。

3. ところが ブッダのオシへというのは――好意的に受け留めて本来のあり方を考えるに―― 地獄行きの状態をどうするかという哲学であり時に信仰であると考えられる。


4. ゆとりを持つことはいいのですが ここでお釈迦さんは あまりにもおっとりとしていて何も考えていない。

5. 糸が切れて落ちて行ったあとのカンダタなり他の人びとなりに対してどう接するか これがどうして抜け落ちているのか。

6. こんな子供だましの物語に惹かれたこともあったのだなぁと思う。





7. 善悪の規定による人間評価をやめてほしい。善人悪人ではなく・つまり存在についての善悪規定ではなく ひとの思想と行為についての是非や妥当性を問うという主題に完全に切り替えてほしい。

8. 言いかえると 天国地獄あるいは極楽地獄の思想は 哲学からは省こう。

9. 因果応報は 哲学にとって(《ひとが生きる》にとって) どうでもよい。――と思っていて 自省をおこたらないならば ちょうどよいかと。
 
10. その自由こそが もし言うとすれば ふるくさいような勧善懲悪すらを含むことになる。自由とはそういうものだ。
 
11. すなわち 蓮の池のほとりを歩くお釈迦さんは要らない。
 
12. ちなみに十字架上のひとは 罪の贖いのためではなく(つまりそれは どうでもよく) ひとにとって自然の生物学的誕生のあとさらに新しい生があるということを言おうとしている。(むろんこれは論証し得ぬドグマでしょうが)。


13. ▲ (芥川:蜘蛛の糸) ~~~~~~~~~~~~
御釈迦様は・・・このかん陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。

そうしてそれだけの善い事をした報(むくい)には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

14. これは 尊大なのではなく ボンクラなんです。このような善悪観と因果応報説にもとづく観念の像としての《お釈迦様》をお釈迦にすることが 敢えて言うとすればブディズムの真髄ではないだろうか。


15. 龍之介は こういった意味で作品のさらに向こうを目指していたかも知れない。
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この回答へのお礼

いや、この釈迦が地上かその地下世界かに降りて循環していないとだめです。

お礼日時:2023/01/24 21:35

これは暗に、人が集団になると地獄になると説いているのだと思います。


戦争、宗教、群衆津波、不動産や株価の暴落、貧困、などなどです。
お釈迦様は神様ではなかったので、例え話しだと思いますよ。
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この回答へのお礼

いや、威張ってます。

お礼日時:2023/01/24 21:32

尊大と云うよりは愚かと思います。


この話は、子供向けの仏教説話ですが、説話というのは人間の残酷さや愚かさを描いた物語が多いですよね。所詮、ここに登場する釈迦も人間の創作物ですしね。
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この回答へのお礼

だからこそ謙虚さが必要です。

お礼日時:2023/01/23 20:07

自分の伝えたいことを伝えるために作家などは、色々と苦労をするものです。



それを、言葉通りに理解し、「おかしいぞ」なんて言うのは、「野暮」というもの。
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この回答へのお礼

いや、芥川龍之介という作家に精神的欠陥があります。

お礼日時:2023/01/23 20:06

蓮は無関心だったと言うストーリーですね


物語最初と最後に出て来る植物です
”釈迦は悲しんだ、カンダタはしまったと思った・・”
つまり釈迦もカンダタも人間だったと

そりゃ蓮ですからね慈悲も無慈悲も、両刀使いです
心を和ませてくれるけど、助けてはくれません
ただ咲いているだけです凛として

人は何時でも善だ悪だとしつこいけど
レンコンでも食って散歩しろとか言う教え
by芥川

蓮の花は凄く綺麗で不思議な気分になりますね。
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この回答へのお礼

釈迦の弾劾裁判が必要です。

お礼日時:2023/01/23 20:06

お釈迦様が全知全能ならカンダタが地獄に再度落ちることはわかっていたはずです。

つまり全知全能ではなく人間の可能性にかけたという判断がただしいでしょう。芥川の宗教観なのか皮肉なのかどちらとも言えません。
選択肢という意味ではむしろ杜子春のほうがひどいと子供の頃おもってましたけどね。
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この回答へのお礼

というか、この釈迦は尊大すぎるのです。

お礼日時:2023/01/23 20:05

ホントのお釈迦様は極楽にいますが、そのことを心苦しく思っているのです。


だから地獄で苦しんでいる人たちを救いたいのですが、できないのです。

無能だから。

お釈迦様は、手に手を取って一緒に苦しみを受けてあげる事しか出来ません。それ故に、慈悲の涙を流しているのです。
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この回答へのお礼

いや、この釈迦はそんな親切じゃないです。

お礼日時:2023/01/23 19:52

>>で、それに反発を感じないあなたは、暖かい人ですか?



このあたりは、なかなか信仰者として問われるところでしょう。

たとえば、過去において、キリスト教徒たちは、競技場でライオンに食い殺されても、逆さ十字の刑で殺されても、火あぶりの刑になっても、信仰を捨てませんでした。
日本においても、隠れキリシタンをあぶりだすための「踏み絵」ってのがありましたね。単純に絵を踏めば、命は助かるのに、踏まないで死んでいった・・。

信仰とは、神を信じるとは、ここまで要求しますし、されます。
それが理解出来ないのであれば、まだまだ未熟ってことだと思っています。

ま、ある意味で、「冷たい人」っていう評価もあるでしょうね。
釈迦の小説を見ていると、釈迦の言動に対して「冷たい」という記載も目にすることがありました。
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全知全能の立ち位置でしょ

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この回答へのお礼

雲の上です。

お礼日時:2023/01/23 11:26

>>それにしても人が悪いねこの釈迦は。



地上に生まれている時は、「人」ですけど、あの世においては、「人」という存在ではありませんからね。
そもそも、創造主としてのエネルギー体のほんの一部、分身をこの世に送り出して「釈迦」という名前で存在していたのです。
妻の霊視?によると、あの世でのお釈迦様は、とても巨大な存在(エネルギー体)だったといいます。
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この回答へのお礼

で、それに反発を感じないあなたは、暖かい人ですか?

お礼日時:2023/01/23 11:18

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