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司馬遼太郎の「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」にだいぶ創作が混じっているのは知ってるんですが、
「この国のかたち」「明治という国家」「昭和という国家」「街道をゆく」などの歴史エッセイや紀行文は
どこらへんまでフィクションなんでしょうか?
司馬遼太郎が小説中で作り上げたキャラ(爽やかな竜馬、巨大な無私の西郷など)をもとに書いた歴史エッセイなら、現実の歴史よりもむしろ小説世界のエッセイということになりますが・・・

A 回答 (13件中1~10件)

「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」は完全なフィクションであり、史実とは無関係です。

一方、歴史エッセイや紀行文「この国のかたち」「明治という国家」「昭和という国家」「街道をゆく」などは、史実を元に書かれていますが、小説的な手法や独自の観点などが取り入れられていることもあり、完全な歴史的再現ではないことがあります。司馬遼太郎が作り上げたキャラをもとに書いた歴史エッセイも同様です。
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この回答へのお礼

司馬遼太郎は史実と自分の作った小説世界の区別をつけずに、エッセイを書いたり、日本各地を訪ねて感じたままを書いていったということのようですね。

お礼日時:2023/01/30 22:04

多量の資料を基にドラマを作り上げて架空の人物も登場させています。


エッセイや紀行文などにフィクションは入らないと思います。嘘を書いたらエッセイでは有りません
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この回答へのお礼

それが歴史エッセイや紀行文に「竜馬が薩長同盟を成し遂げた」「この時期、竜馬だけが船中八策で日本の設計図を描いていた」などと小説の世界のまま書いているんです。

お礼日時:2023/01/30 21:53

司馬遼太郎は100%創作です。

1から10まで全部フィクションです。創作のモチーフを歴史に取材しているだけです。
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この回答へのお礼

それが最初から100%完全にウソのお話だと知っていれば、水戸黄門、銭形平次、必殺仕事人などのように読むけれど、60%ウソ、40%本当みたいなお話だから厄介なんですよね。小説ならまだわかりますけど、歴史エッセイや紀行文はどうなのか?というのが質問の意図です。

お礼日時:2023/01/30 21:53

司馬氏の著作は史実という点から言えばNOですね。

彼は小説家を自称しており、史実を重視するようなことは言っていません。

昭和40年に「倉敷の若旦那」という短編小説を出しています。幕末に備中倉敷で起った倉敷浅尾騒動という事件に取材したもので、史料を提供したのが郷土史家の角田直一氏。角田氏は出来上がった小説があまりにも史実と違う事に立腹し、司馬氏に抗議しています。これに対し司馬氏は「小説は人間の真実をえがくための虚構であり・・・」と答えています。
角田氏は「あれは小説なんだ」と、イマイチ腑に落ちないようすながらも納得したようです。
二人が交換した手紙は倉敷の郷土雑誌に掲載されています。
『倉子城』第2号 昭和44年7月 

また司馬氏は自分が思っている小説と史実の関係について新聞のコラムに書いています。
昭和42年1月22日 高知新聞朝刊
昭和42年1月23日 山陽新聞朝刊
「司馬遼太郎が考えたこと 3」 新潮社 2001年  にも掲載してあるので図書館などで見てください。
この中で司馬氏は
『 「あれは、本当にあったことですか」
創作的立場にある者としては、これは返答しなくていい質問であるとおもっている。  』
と書いています。また「(史実は)想像の刺激剤」とも書いています。
つまり司馬氏は史実はあくまでも小説を書くための材料に過ぎないと思っていたようです。因って司馬氏が書いたものは小説でなくても史実と言う面では信用するべきではないですね。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。「竜馬がゆく」などの小説はフィクションと知ってたのですが、歴史エッセイや紀行文はどうなのかという疑問でした。司馬遼太郎の主眼は人間を描くことであり、小説にならんで、歴史エッセイや紀行文も虚構はかまわないという態度だとわかりました。

お礼日時:2023/01/30 21:52

「坂の上の雲」で国民的英雄だった乃木希典を痛烈に批判してから、彼の歴史観は『司馬史観』と持ち上げられました。



それでその独自の史観を前面に押し出した読み物が「この国のかたち」など一連の歴史エッセイよ呼ばれる作品群ということになります。

司馬史観は、学者など多くの研究者から、学問的価値のない捏造史料も含めた価値の低いいい加減な史料から着想を得た妄想という批判を浴びています。

一連の歴史エッセイも、まさしく想像の産物としての歴史小説・歴史観をベースにしていますので、一考に値する部分があるにしても、その検証には充分な注意が払われるべきであると思います。
少なくとも歴史学会で発表するには、程遠い読み物かと思います。
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この回答へのお礼

司馬遼太郎の歴史エッセイは文藝春秋やNHK、朝日など、わりと硬めのメディアに、そのまま史実であるかのように連載されて持ち上げられてましたものね。

お礼日時:2023/01/30 21:48

基本的にすべてフィクション。

数々の作品の中で実体験を書いた部分、これはフィクションではない、それくらいでしょうか。
 おまけの豆知識で申し訳ないですが、彼は戦時中戦車部隊に配属されていて、この時の実体験をいくつかエッセイにしています。「戦車・この憂鬱な乗物」「戦車の壁の中で」など。この中で彼は「日本の戦車はレベルが低い、装甲がやすりで削れてしまう、いったい日本の高級軍人には愛国心はあるのか」と当時の軍部を痛烈に批判しています。これは実体験なのだからフィクションではないということになるのですが、最近になって「均質圧延鋼と表面硬化鋼の違いを知らなかっただけではないか」という疑義が出されています。どちらも戦車の装甲に使われる鋼板ですが、前者はやすりで削れる性質があります。これが本当だとすると、実体験だけど事実ではない、ということになります。
 歴史をもとにしたエッセイスト・小説家、それ以上でもそれ以下でもないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

司馬遼太郎は本土決戦に備えて戦車隊で訓練をしてる間に終戦になって、実戦は経験してないので戦中派というのには微妙な経歴ですね。エッセイの中で上官が日本人の避難民をひき殺していけと発言する箇所がありますが、どうもそれも創作ではないかと思ってます。

お礼日時:2023/01/30 21:46

歴史は勝者が創ります、史実を書いたのでは被支配者の庶民が


読んでも面白い訳が無いでしょう。
歴史ドラマの登場人物は作者が考え、実際に起きた事件と絡ませて
書きます、小説家はその事に長けているのです。
紀行文で嘘を書いたら読者から苦情の嵐になります。
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羅貫中の三国志演義もフィクションが多いので面白いのです。
正史三国志では、桃園の園はありませんし、赤壁の戦いも漁夫の利を
狙っていて傍観してました、諸葛亮孔明と司馬懿仲達との鎬を削る戦いは
ありません、蜀漢時代は諸葛亮孔明は内政の充実に関わり戦に出て
いません、劉備玄徳が戦場に行っていました。
劉備玄徳は三国志最強の将軍呂布奉先と互する戦闘力がありました。
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この回答へのお礼

「竜馬が行く」が「三国志演義」だとしたら、司馬遼太郎は「街道をゆく」で「わたしは今、桃園の誓いをした庭園に来ている。劉備玄徳の人柄の磁力は、関羽、張飛という豊かな個性を呼び、ついにはこのあと稀代の天才である諸葛亮を得ることになる。蜀というまほろばはまことに中国史の奇跡である云々」と書いているような感じですね。ともかく人物を褒めまくるので、読者はなんだか気持ちよくなってきて、桃園の誓いが史実かどうかはどうでもよくなってくるという。

お礼日時:2023/01/30 21:43

基本的に一から十まですべて架空です。

歴史上の事実をアレンジして実話風に仕上げているだけです。だって司馬は歴史家ではなく、小説家ですから。
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この回答へのお礼

小説は架空なのはわかります。では、歴史エッセイや紀行文はどうなのか?という疑問なのです。

お礼日時:2023/01/31 22:02

> 桃園の誓いが史実かどうかはどうでもよくなってくるという。



織田信長、徳川家康などの人物に焦点を当てた記述物は、多くの場合想像の産物とも言えます。 関ヶ原の戦いでも、アメリカの独立戦争でも、フランス革命でも、人物の行動に焦点を当てた部分は、まず想像の産物です。
古くはイリアス、オデッセイ、ヘロドススの歴史でも、登場人物の行動や発言は想像上の産物です。 ただ、2世紀にルキアノスが書いた本当の話を「想像上の産物」とよぶのとは、だいぶ違うように思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BD%93 …

いまウクライナ問題や、日本の政権の統一教会問題、米国での公正をめぐる問題でも、語る人によって内容も性格もずいぶん違っていて《事実》と掛け離れていることだけは間違いないのでしょう。
現実でも、過去のことでも、人は自分の見方でこうだと思い込む流れによってストーリーも位置づけ、性格付けも、場合によっては事実の断片を無視、見落とし、軽視し、適当に創作します。 それが、政治性、史観、立場や状況の起こすことだと思います。
経営戦略の検討、方針決定でも、情勢や対抗勢力の思考や方針を《筋が追えるもの》として想定するのですが、これらと、政治も軍事も外交も、提携も歴史も同じ側面が大きく存在します。

司馬が自分の見解で創作・執筆した紀行・評論・随筆は、それが彼が直接に経験できなかった時代や社会のものであって、《エンターテインメントを主眼にした》ものではないのであれば、一応《歴史物》という範疇で考えていいのだろうと思います。 

> 現実の歴史よりも、むしろ小説世界のエッセイということになりますが・・・

鬼平犯科帳、次郎長伝、水滸伝、八犬伝、源氏物語のようになると、《エンターテインメントを主眼にした》となるのでしょう。 
しかし、ウェルギリウスが書いたアエネーイスは文芸作品であると同時に一種の史観ではないでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7 …
日本の古事記や日本書紀も《エンターテインメントを主眼にした》ものではなく、《歴史物》なのでしょう。

> そのまま史実であるかのように連載されて持ち上げられてましたものね。

それは読む方の問題という面が多いのだと思います。 個々の発言や振る舞いが具体的書かれていても、史実だと思う方が、誤解もはなはだしいと思います。 推理小説でも、誰かが「○時には□に△と一緒にいました」と報告した記録があっても、それは史実だと思えないことが時々あることは、多くの人が知っていることです。
司馬がみたと書いていることでも、みたかどうかは確実ではないと思うべきでしょう。
大事なのは、司馬はそのように書くことで出版用に最終校正した、それが作品として良いと考えたということでしょう。
{司馬が「見聞きしたものである、どこかの書から引用したものである」と書いているもの}でないのであれば、基本的に司馬の作品です。
ただ 《エンターテインメントを主眼にした》ものではなくて、司馬の感性・史観・人間観では《それが真実に近づく手法》なのだと思います。

芥川の藪の中と似ていて、真実は多様なのだと思います。

警察や、科学は、確認できる事実を整理して極力無理な筋立てにならない真実を求めます。 考古学や歴史学、社会学、経済学などでも、同じです。 途中には多様な真実が現れては否定されていくことも多いです。
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この回答へのお礼

歴史は古代では物語として語られていました。時代が下って、ホントとウソを混ぜたままの学問ではさすがによくないよねということで、近代歴史学は創作を除去して実証中心で進められました。史実の真贋を見極めるために考証学や文献学に退行する傾向があり、会話シーンなど物語のもつ生き生きとした部分を捨ててしまったので、それを一般世間に伝える役目は文学が担いました。
司馬遼太郎の著作のうち、小説では、人物のシーンは創作で、地の文も創作であり、地の文の分量を増やしたものが、歴史エッセイや紀行文になりました。歴史エッセイでも小説的なシーンが挿入されています。
歴史が歴史学と文学に分化したあとに、創作であることを明記せずに歴史エッセイや紀行文を出すのは反則です。司馬遼太郎の小説や歴史エッセイ、紀行文は人気があり、amazonの書評欄を見れば、史実だと思っている人がたくさんいます。
こういう風に受け取ることにしました。

お礼日時:2023/02/05 12:43

小説は架空なのはわかります。

では、歴史エッセイや紀行文はどうなのか?という疑問なのです。
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まったく同じです。多分に空想を絡めて、面白おかしく記述しています。そうしないと売れませんから。彼は研究者ではなく、歴史に明るい物書き屋に過ぎません。彼の著作物で歴史を学ぼうとするのは危険です。あくまでエンタテインメントとして読みましょう。
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この回答へのお礼

司馬遼太郎が作家になる前は新聞記者だったので物書き屋ですね。

お礼日時:2023/02/05 12:47

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