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A. 深山「の」花吹雪を浴びる、 B. 深山「に」花吹雪を浴びる。 A.の「の」とB.の「に」は意味的、ニュアンス的、文法的にどのような違いがありますか?

A 回答 (4件)

うーん。

意味は同じようなものだけど、「ノ」と「ニ」の働きは「全然違う」とも言える。
 回答コメントを見る。
 コメントNo.1。〈大きな差異は無いと感じました〉でしょうね。あとはあまりにも情緒的すぎて……。
 コメントNo.2。当方には難解。
 コメントNo.3。この回答者のいつものホニャララ。当方には理解できない。

 ノは下記の〈㋒所在。…にある。…にいる。「大阪―友人」〉でよいのでは。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AE/#jn- …
 ニは下記の〈1 動作・作用の行われる時・場所を表す。「三時―間に合わせる」「紙上―発表する」〉の「場所」のほうでよいのでは。 
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%AB/#jn- …

 一般には、この場所を表わすニはデと比較することが多い。
【助詞の話──場所を示す「に」と「で」】〈1〉〜〈4〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1210. …
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用開始
 根本的な問題として、「デ」と比較される「ニ」の働きは「動きの場所を表わす」。そりゃそうだろう。
「ニ」の解説を見ると、以下のとおり。
================================
【3】「に」は、ものの存在する場所を表わす。「に」と結びつく動詞は、「ある」「いる」「住む」「勤める」「座る」「立つ」「泊まる」「止まる」など。
================================
 
 そうか。「存在」に関しても「存在するという動作が行なわれる場所」と考えればいいのか。微妙だけど、そのほうが分類が少なくなるからそうしておこう。
 この用法で結びつく動詞は、「ある」「いる」が典型。このほかに「住む」「勤める」「座る」「立つ」「泊まる」「止まる」などがあるらしい。たしかにそのあたりの動詞だと「存在」のイメージがあるかもしれない。じゃあ「ここニ書く」「皿ニ盛る」あたりはどう考えるの?
「書いたもの」も「盛ったもの」も「存在する」と言えなくはないってことなのかな。
 じゃあ、2つを合わせて考えよう。「ニ」は「動作・作用の行われる時・場所」を表わし、「存在」に関係する動詞と結びつくことが多い。「ある」「いる」「住む」「勤める」「座る」「立つ」「泊まる」「止まる」などのほか、「書く」「盛る」などとも結びつく。その程度で許してもらえないかな。
 〈1〉~〈3〉で「デ」と「ニ」は〈どちらも「動作・作用の行われる時・場所」を表わすが、「デ」は比較的広い範囲を指す傾向があり、「ニ」は比較的狭い範囲を指す傾向がある〉などと書いた。この点について『goo類語辞書』は下記のように書いている。まあ、そういうことだろう。
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【5】「で」は、「に」あるいは「を」とも組み合わせて用いることができる。この場合、「で」の方がより広い範囲の場所を表わす。「東京でホテルに泊まった」「高速道路で追い抜き車線を走った」
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 さすがに辞書はムチャなことは書かずに無難にまとめているけど、[対比表]の部分はいただけない。
「校庭ニ遊ぶ」って×? 古風だけど間違いではないだろ。せめて△にしてもらえないかな(後述)。
「椅子デ座る」って×? せめて△にしてもらえないかな。これが「公園のベンチ( )座る」だと相当微妙になる。椅子よりもベンチのほうが広いからだろうか。「喫煙席( )座る」だと「デ」もOKだろ。もっと広くなるから? 「芝生( )座る」だとどちらもアリだろうな。理由はわかりません。これが「寝転がる」「寝る」「横になる」あたりだと「デ」のほうが自然な気さえしてくる。理由はわかりません。
 ついでにインネンをつけると、例文の「新製品に欠陥が見つかった」って例文としてちょっと不適切じゃないかな。「新製品に欠陥があるのが見つかった」の略ってこと? 「新製品の欠陥が見つかった」のほうが素直な日本語って気がする。通常「○○に見つかる」は別の意味で、○○に入るのは人物とかだろ。もう少しフツーの例文にすればいいのに。

 辞書の話は別として、気になっているのは「停める」と「停まる」のニュアンスの違い。
  あそこ{ニ/ヘ/デ}停める
  あそこ{ニ/ヘ/デ}停まる
 個人的な語感だと、イヤな感じがするのは「あそこニ停まる」「あそこヘ停まる」。理由はわかりません。

 さてとこむずかしい話に飽きたんでヨタ話に走る。
「校庭ニ遊ぶ」の類いは昔の文章ではよく見た気がする。そのせいか、文語調と相性がいい。
『阿寒に果つ』って渡辺淳一の作品があった。これはフツーの言葉にすると、「阿寒で果てる」だよな(マヌケだな)。
 西部警察の最終回は「大門死す! 男達よ永遠に…」──。あれ? 「大門、暁に死す!」だとばかり思い込んでいたけど違ったorz。相当にヨタってるな。
「暁に 死す」で検索するとゾロゾロ引っかかってくる。精密機器のような記憶力が狂ったのはそのせいか……うるさいわ。
 余計なことだけど、「阿寒ニ」の「ニ」と、「暁ニ」の「ニ」は意味合いが違う。
「阿寒ニ」の「ニ」は古風なニュアンスのある「ニ」。現代の日本語なら「阿寒デ」がフツーだろう。「阿寒ニ行く」の場合は到達点だからまた別の話。このあたりをちゃんと説明するのはとってもむずかしいのでパス。うんと乱暴に書くと、「ヘ」と互換性があるのが帰着点の「ニ」の可能性が高い。「動作が行なわれる場所」を表わす「ニ」は、「デ」と互換性がある場合とない場合がある。↑で見たとおり、「あそこ{ニ/ヘ/デ}停める」のように、3つが使える場合もある。
 一方「暁ニ」の「ニ」はいまでもフツーに使う。かと言って「夕刻ニ死す」「午後3時ニ死す」だと相当珍妙。どこかで「阿寒ニ」の「ニ」と混用されたのだろうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用終了

 場所を表わす「ニ」は、セットになる動詞が限られる。「浴びる」はどうなんだろう。
 〈B. 深山「に」花吹雪を浴びる〉は誤用ではないだろう。でも「阿寒ニ果つ」に近いニュアンスがある。要は古臭い。素直な日本語は「深山デ花吹雪を浴びる」だろう。「古臭い」というと否定的だが、その分趣きがあるとも言える。「文学的」という意味不明の表現をしておこうか。元々の文が文学臭が強いから、「ニ」でもおかしくない。
 これが「浴室ニ水を浴びる」だとかなり珍妙。
「浴室ニいる」「浴室ニある」あたりだと、ごくフツーだろう。やはり「セットになる動詞が限られる」のだろう。
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格助詞「の」と「に」の相違です。



「の」は所属/所有の認識を表し、「に」は空間的な位置づけの認識を表します。

A. 深山「の」
は深山に属するという意味になります。

B. 深山「に」
は深山という場所でという意味になります。
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「の」は連体格を表す格助詞ですから、 「深山の花/花吹雪」という風に密接に結びつきますし、外山の桜ではなく深山の桜に限られます。


意味は二通り考えられ、深山の花が吹雪を浴びる、また恐らく作者が深山の花吹雪を浴びる、という事になります。

他方、深山に、は場所を示しており文節としては連用修飾格となり、意味は、上記「の」の場合と同様のふたつの出来事が置きたのはたまたま深山でのことである、という意味になります。
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俳句にしてみました。



「深山の花吹雪」を浴びる○○かな。

深山に「花吹雪を浴びる○○」かな。

それぞれ括弧で括って見ましたが大きな差異は無いと感じました。

絵的には深山と有るので川面に落ちた桜の花びらの下に岩魚など映り込む様子が浮かびますね。
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