アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

下記の続きです。
【「いる」と「ある」の違いは、対象が生きているかどうかと聞きましたが、死んでいる幽霊はなぜ「いる」です】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13440824.html

 質問者の返信があったらコメントしようと思っていたのですが……。
 非常識な念仏コメントが入って、コメントする気がなくなりました。

 いろいろなコメントが入りましたが、
 原則的には「動く」ものは「いる」
「動かない」ものは「ある」ということでよろしいでしょうか。

 ただし、例外がいろいろありそうです。
●「妻子あり」「夫ある身」などといいます。
●ぬいぐるみなんかも「生きていない」し「動かない」けど「いる」
 ※愛着が強いほどその傾向が強くなるような。愛着のある植物の場合はどうなんでしょ。 
●例外としてあげられることが多いのが珊瑚
 ※動かない?動物?
●「珊瑚礁」になると「ある」でしょう

 さらに補助動詞の「〜ている」「〜てある」だと、さらにいろいろあって。
  山がそびえて【いる】
  太平洋が広がって【いる】
  大根が植えられて【いる】

 こういう例外はどう考えればよいのでしょう。
 例外はほかにどのようなものがありますか。

質問者からの補足コメント

  • 現段階の当方の考えは下記ぐらいです。
    【「いる」と「ある」の違い】
    https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984927290&owne …

     ちなみに、いま話題のChatGPT君の意見も訊いてみました。
    【#ChatGPT 君と遊ぼ〈12〉 「いる」と「ある」の使い分け】
    https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984979522&owne …

      補足日時:2023/05/09 18:13
  • 前問に張られているリンクがあります。
     今回も性懲りもなく同じリンクが張られているようです。
     何が書いてあるのかわからないのでChatGPT君に質問してみました。
    https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985024175&owne …

     ChatGPT君は「指摘や論点が不明瞭な場合、何が言いたいのか理解できず、意見を述べることが難しくなります」と言います。やはりわからないのは当方だけではないようです。
     なんと申しましょうか……。

      補足日時:2023/05/15 21:47

A 回答 (7件)

>手元の電子辞書ですと、【ある】の⑦以降があって、⑬に「〜てある」の説明があります。



失礼。途中で端折っていました。
最新の広辞苑第七版(印刷版)では⑦~⑯まであります(下記)。
旧版の⑬が⑬⑭に分かれ、以降の番号がずれています。

無料検索をうたうサイトの内容は、手もとの電子辞書(五版)と同じです。
六版の内容は未確認です(PC版を持っていましたが、OSをアップグレードしたときに検索ソフトが動かなくなって放棄しました)。


『広辞苑 第七版』 <用例略> …用例がないと分かりにくいですね。

あ・る【有る・在る】《自五》[文] あ・り(ラ変)
(ものごとの存在が認識される。もともとは、人・動物も含めてその存在を表したが、現代語では、動きを意識しないものの存在に用い、動きを意識しての「いる」と使い分ける。人でも、存在だけをいう時には「多くの賛成者がある」のように「ある」ともいう。⇔無い)
①そこに存在する。
②この世に存在する。生きている。
③住む。暮らす。
④目立つ存在として認識される。きわだつ。すぐれている。
⑤(「世にあり」の形で)多くの人に存在を知られる。栄える。時めく。
⑥実際に起こる。
⑦(…を)持っている。
⑧それによってきまる。
⑨(引用の助詞「と」を受け、「言う」「書く」の間接的表現。多くは敬意がこもる)言われる。書かれている。
⑩(動詞の連用形、漢語、尊敬の意を含んだ名詞を受けて、その動作をした人を示さない言い方で、敬意を表す)…なさる。
⑪時間が経つ。時を経る。
⑫(断定の助動詞「なり」「たり」「だ」の連用形「に」「と」「で」を受けて、指定を表わす。
⑬(動詞の連用形に助詞「て」の付いた形に続いて)動作・作用の完了、結果の存続の意を表す。
⑭(動詞の連用形に助詞「つつ」の付いた形に続いて)動作・作用の進行継続の意を表す。
⑮(形容詞やいわゆる形容動詞の連用形又は指示副詞などを受けて)状態の存在または存続を表す。間に係助詞の入ることが多く、打消の語が下に続くことが多い。
⑯(助詞「て」を受けて)そのままでいる。それですましている。
◇「有」は物事がある状態を保ったり物を所有したりする意味で使われ、「在」は物の存在を特に示す場合に使われる。
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます。

>旧版の⑬が⑬⑭に分かれ、以降の番号がずれています。
 そうなんですよね。
 こんな細かいところまで改訂するんですね。

 リンク先に書いた補助動詞の不規則性に関してはどのようにお考えですか。

 補助動詞に限れば「~て【いる】」が優勢なのはわかるが、下記あたりも法則性がナゾのまま。
  犬がつないである
  犬をつないである
  犬がつないでいる×
  犬をつないでいる
  犬がつながれている
  犬がつながれてある×

「○○を……てある」はレアとも思うが……。やっぱりわからない。
  酒を買ってある(物だから?)
  酒を買っている
  先生を呼んである
  先生を呼んでいる
  先生にも声をかけてある
  先生にも声をかけている
  子供を預けてある
  子供を預けている

 下記の記述だと、やはり例外がありそうで……。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/15899/meaning …

お礼日時:2023/05/11 21:08

>>しかもどこが噛み砕いてあるのかサッパリわかりません。



だから進歩がないということです。

まずは、当方の指摘がおぼろげながらでも理解できるようになりましょう!

ChatGPT君に教えを乞うしかないのもむべなるかな!

ということです。■
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>>何を言いたいのかわかりません。



確かに。
>>●例外としてあげられることが多いのが珊瑚

などと言っているようでは理解できないのが当然です。
先にも指摘の通り対象のありかたとして区別する誤りを克服できていないからです。

そして、「~ている」「~てある」の「いる」「ある」を<補助動詞>などと、機能の相違としてしか理解できない発想では意義の相違を捉えることができず、形式的に例外としか理解できない混乱、混迷に陥る他ありません。

この「いる」「ある」は抽象動詞です。
属性の運動が継続・進行するということは、属性のダイナミックな変化の一つのあり方なので、この継続・進行の側面だけを抽象して<抽象動詞>で表現し、これを他の動詞に付属させるという用法が「~ている」「~てある」という表現です。

  山がそびえて【いる】
  太平洋が広がって【いる】
  大根が植えられて【いる】

これらは、「そびえる」「ひろがる」「植えられ」という「山」「太平洋」「大根」などの具体的な属性を異なった側面から抽象的な属性表現で補足しています。「いる」は対象の継続・進行を運動というダイナミックな側面で捉え表現しています。これに対し、

  酒を買って【ある】
  先生を呼んで【ある】
  先生にも声をかけて【ある】
  子供を預けて【ある】

は、対象の属性の継続・進行を完了、変化しないというスタティックな完了相の側面で捉え「ある」と表現しています。

どこにも例外などはなく、対象の捉え方の相違としての論理的な一貫性があります。例外云々は対象のあり方と結び付けて考えるために生じた誤読、誤解に過ぎないということです。

此処まで嚙み砕いて説明しても、

「何を言いたいのかわかりません」

か????
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この回答へのお礼

わけのわからないものは、たとえ噛み砕いてもわからないでしょうね。
 しかもどこが噛み砕いてあるのかサッパリわかりません。
 
山がそびえて【いる】
太平洋が広がって【いる】

 は〈対象の継続・進行を運動というダイナミックな側面で捉え表現〉ですか。はぁ……。

お礼日時:2023/05/15 21:51

私見ですが。




人格的なもの、人格が感じられる場合が
「いる」。

しかし、その場合でも、一歩離れた場合は
人格性が弱まるので
「ある」。


幽霊は、人格が感じられるから「いる」

動くモノでも、電車は人格が感じられないので
「ある」

妻子、夫は、一歩離れた場合だから
「ある」

ぬいぐるみは、人格が感じられる時は
「いる」だが
一歩離れた場合は「ある」

珊瑚は、人格が感じられないので「ある」

植物も同じ。

動物だと、人間に近いので、それだけ
人格的なモノを感じるので「いる」
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

〈一歩離れた場合は人格性が弱まる〉が、よくわかりません。

>妻子、夫は、一歩離れた場合だから
>「ある」
 と考えるより、古い言い方が残っているような……。

お礼日時:2023/05/10 20:58

昔は人も「ある」と言っていたので、古い形でしょう。



時代劇で武士が大声で「たれかある(誰か居らぬか)」と呼んだりします。
伊勢物語の一節に「むかし男ありて人のむすめのかしづく」とあります。
紀州方言で「人がある」と言うのは古い形が残っているのだと思っていました(私見)。

現代語では、
「ある」は動かないものがそこに存在する。動くものにも言うことがある。
「いる」は動くものがそこに存在する。
という程度の認識でよいのではないでしょうか。

「私には妻子がある」と言います。
「居間に妻子がいる」とも言います。
「ビルにエレベーター(の設備)がある」と言います。
「1階にエレベーター(のカゴ)がいる」とも言います。

ふつうはほとんど無意識に使い分けていると思います。

個人的には「いる」は「をる(おる)」の新しい言い方のようなイメージがあります。「ありをりはべりいまそかり」とか急に思い出した…。

----------

『広辞苑 第七版』 <用例略>

あ・る【有る・在る】《自五》[文] あ・り(ラ変)
(ものごとの存在が認識される。もともとは、人・動物も含めてその存在を表したが、現代語では、動きを意識しないものの存在に用い、動きを意識しての「いる」と使い分ける。人でも、存在だけをいう時には「多くの賛成者がある」のように「ある」ともいう。⇔無い)
①そこに存在する。
②この世に存在する。生きている。
③住む。暮らす。
④目立つ存在として認識される。きわだつ。すぐれている。
⑤(「世にあり」の形で)多くの人に存在を知られる。栄える。時めく。
⑥実際に起こる。

い・る【居る】《自上一》
(動くものが一つの場所に存在する意。現代語では動くと意識したものが存在する意の「ある」と使い分ける)
①一つの場所を、動かないでいる。とどまる。とまる。
②すわる。
③動くものが存在する。人、動物に用いる。
④出来てある時間そこにある。生じる。
⑤草などが、生える。
⑥ある地位につく。
⑦居住する。住み着く。
⑧動揺した気がおさまる。
⑨(動詞の連用形、またはそれに助詞「て」の付いたものなどに接続して)
(ア)動作・事象の継続・進行の意を表す。…し続ける。ずっと…する。
(イ)動作・事象の変化した状態の存続の意を表す。
(ウ)過去の経験の意を表す。…したことがある。

お・る【居る】《自五》[文] を・り(ラ変)
 本来は動きを止めじっとした状態を長い間続けている意。人の場合に多く用いられるが、古くは人以外にも用いた。意味的に下の立場の人が上の人に向かっては使いにくく、上から下への場合が多いため、それをする人を低める語と解釈されることがある。「いる」より使われる場が減った結果、「いる」の改まってた感じの語としても使われる。ただし西日本方言では「いる」に対応する語として普通に用いられる。四段活用の例は中世以後の文献に見える。
①その場を動かずにいいる。じっとしている。座り続ける。
②(動詞・助動詞の連用形、またはそれに助詞「て」の付いたものに付く。「ます」を伴わずにいえば、他人について軽侮・罵詈の意味を含むことがある)
(ア)動作・状態の継続を表す。…ている。
(イ)既にあったことを示す。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
『広辞苑』の記述がいい感じですね。
〈もともとは、人・動物も含めてその存在を表したが、現代語では、動きを意識しないものの存在に用い、動きを意識しての「いる」と使い分ける。〉
 ただ、例外がけっこうあるようです。

 手元の電子辞書ですと、【ある】の⑦以降があって、⑬に「〜てある」の説明があります。
 一部の不心得者が愛用する海賊版とはかなり違っているようです。

「〜ている」「〜てある」の話を考えはじめると、泥沼にはまりそうです。

お礼日時:2023/05/10 20:54

>>原則的には「動く」ものは「いる」、「動かない」ものは「ある」ということでよろしいでしょうか。



いいえ。
言語事実に相違します。
同じ対象でありながら「いる」と「ある」とを使い分けていることがしばしばであって、この違いを吟味する必要があります。

庭に母が【いる】から呼んできてくれ!
私には慈愛深い母が【ある】。

家の前に【いる】トラクターをどけてくれ。
その車はいま車庫において【ある】。

上空に【いる】ヘリコプターからの中継です。
屋上の展示場にヘリコプターが【あり】ます。

ひかり1号は今横浜のちかくに【いる】はずだ。
TBSの中継車はマラソンの折り返し地点に【い】ますので、そこへカメラを映します。
新型車両は展示場に【あり】ます。

満員のバスの車掌は、
「お降りの方は【あり】ませんか。」
客は車掌と違って、
「降りるもの者が【いる】よ、通してくれ。」
車掌は、
「あ、【いらっしゃい】ましたか!」
と応えます。

このように見てくると、我々は「ある」「いる」を特に意識して使い分けているわけではないが、そこにやはり一貫性があることがわかります。

>> 動く」ものは「いる」、「動かない」ものは「ある」ということ 

ではなく、対象のあり方とは関係なしに、【対象を動きまわるものと把握したときには「いる」を、たとえ同じ対象でも【動かないときや動きを捨象して静止的に把握したとき】には「ある」を使い分けています。

但し、古典では、若干事情が異なります。

昔小野の篁といふ人【あり】けり。
三好清海入道ここに【あり】。

謡曲の中では平宗盛その他が、

「いかに誰か【ある】」
とよんでいますし、狂言の中でも大名が、

「太郎冠者【あるか】。」

と呼んでいるように現代語とは異なります。しかし、

「私には慈愛深い母が【ある】。」
「今日はお客が三人も【あった】ので疲れた。」
「報告によると幸い負傷者はまったく【ありません】。

と言い共通点もあります。

これは、動きまわる対象でも抽象的に取り上げることでその把握が静止的になり、そこから「ある」を使用しています。

現実的な対象が存在するということは、そこに具体的な属性が存在するということでもあります。けれども我々はその属性を具体的に扱わなければならない理由はありません。この具体的な属性を超えた、あらゆる実体に普遍的な属性を抽象して取り上げることもできます。それは【存在する】という属性です。とは言え、その時にもその実体の持つ具体的な属性はそれなりに変化するという意識や、存在するということも絶対的に不変なものではなく発生し消滅するダイナミックなものだという意識は、その抽象的な背後に隠し持っています。古典語における「あり」は、あらゆる実体に普遍的な属性を抽象して把握し表現したものとして、実体それ自体が動いているか否かをも超えて使われたものです。これが現代語では、実体それ自体が動かない場合に限って使われるようになったとしても、それは属性を不変化のものとして把握し表現する<形容詞>とは異質です。実体それ自体が動いているいるか否かということと、その属性が変化するか否かということとは、別のことであって、自動車が運転中かそれとも車庫においてあるかという違いは、車体の色が変わったり形態が変ったりエンジンやタイヤが変わったりしてその属性が変化するという違いとは両立します。「ある」を実体それ自体が動かない場合に使っても、具体的な属性がそれなりに変化するという意識は、これと両立してその背後に隠し持っているのです。

 語彙の辞書的な意味は、表現の場合の認識のあり方と同じではありません。「ある」の辞書的な意味は、抽象によって観念的に分離された対象の認識だけにかかわるもので、その背後に隠し持っているものとは無関係です。俗流唯物論で、言語は対象を指示すると解釈し、認識の検討を抜き取って表現と対象とを直結して扱うと、抽象によって観念的に分離された対象のあり方がそのまま対象それ自体のあり方にされてしまいます。質問者の発想が正にそれです。 「ある」が具体的な属性を超えてもっとも普遍的な属性を抽象し把握しているのも、対象それ自体のあり方に押し付けられて、存在する状態のみを扱っているのだと解釈されてしまいます。「いる」は、はじめから実体として動くものに使われていて、この場合の対象認識は古典語の「あり」に比べてヨリ具体的です。歴史的に見るなら、「ある」と「いる」とはその出発において【抽象のレベルを異にしていた】のであって、このことは現代語における両者の使い方の違いにもそれなりに表れています。「いる」にしても「ある」と同じように、具体的な属性がそれなりに変化するという意識は、その背後に隠し持っているのですが、そのような意識を持つことなく、単に継続・進行を抽象的に把握し表現するために用いられるのを、「実質的な意味を失う」と解釈され補助動詞などと呼ばれています。

「ある」と「いる」とが、その出発点において抽象のレベルを異にしていると理解できれば、上記古典語と現代語の相違も明らかになります。「あり」のときには、生物であろうと無生物であろうと動こうと動かなかろうと、それらの特殊性を超えた存在表現として使われたもので、それが「いる」を実体として動くものに使ったことから、【「ある」の使われる分野も普遍的ではなく狭いものになっていった】という訳です。

ともあれ、「いる」「ある」の相違を対象自体のあり方と結びつけてしか理解できずに、あれは例外、これも例外などと言い分けばかりしていては、「現段階の当方の考えは下記ぐらいです。」と永遠に言い訳を続ける他ありません。

まず、ここに述べた本質的、基本的なことを正しく理解しましょう。

詳しくは、
  「いる」と「ある」の使い分けについて
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=1000 …

を参照下さい。■
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専門的なことはわかりませんが、


>「いる」と「ある」の違いは、対象が生きているかどうかと聞きました
などという分類自体に多少の問題があるのではないですか?

>こういう例外はどう考えればよいのでしょう
例外で挙げられているように、たくさん例外が挙げられるのは
『「いる」と「ある」の違いは、対象が生きているかどうか』で分類しようとするからじゃないのかなぁ。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
〈対象が生きているかどうか〉よりも、〈動き〉が重要な気がします。
 No.3のかたのコメントをご確認ください。

お礼日時:2023/05/10 20:56

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