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日本の就活について

なぜ、日本は実力主義ではなく、新卒者をまとめて採用すると言う方法を取ってるんでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

日本で長く続いてきた「就社」制度の名残です。



高度成長期(昭和30年前~昭和の終わり)は景気がよくて人手不足(いまの状況とは違う人手不足)でしたので、会社は新人を卒業と同時に採用し、採用できた社員は大事にしっかりと育てて、退社しないように囲い込みをしたんです。

囲い込みの代表的な方法は、長く勤めるほど給料を上げる、長く勤めるほど役職を上げる、長く勤めるほど(とくに定年退職者には)退職金を多く出す、などです。
これは別の言い方をすると、年功序列です。

また当時は転職なんてのは落ちこぼれがやるもので、ふつうはなかったんです(ですから中途採用してもいいような、まともな人はいなかったわけ)。

そういう事情でいままでの会社は、新卒をこぞって採用し、効率よくいっせいに社員教育し、勤続年数がそれなりになると足並みそろえて昇級・昇格させたわけ。
昭和の時代では、課長に昇進する時期は早い人でも遅い人でも1年か2年くらいの違いしかありませんでした(よほどダメな人は別ですが)。

日本には横並びが好まれ、誰かが成功すると嫉妬して足を引っ張るという嫉妬の文化が昔からあって、みんな一緒が安心で安泰だったんです。

そんな経緯が引き継がれています。
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No.7 です。



私はプロファイルに記したような在米の者です。

なので、『当地』は『アメリカ』です。

その中でも一部の『当地』は『アメリカ東部の私が暮す田舎町』だったりもします。

どちらの意味かは文脈からご想像ください。
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日本は終身雇用が多いので、若い


まっさらな間に採用して、その会社の
色に染めてしまえ。
その方が会社に対する忠誠心が強くなる。

そういう理由だと思います。


尚、チャットAIは以下のような
回答をしています。


日本の学校教育は、学生たちが集団で同じカリキュラムを
学ぶことが一般的です。
このため、企業は新卒者をまとめて採用することで、
同じ教育を受けた人材を一括りにして効率的に管理し、
自社の独自の教育・トレーニングプログラムに
組み込みやすくなります。

日本の労働市場では、一度入社したら長期的な雇用が
期待される傾向があります。
新卒者をまとめて採用することで、企業は若い人材を
長期的に雇用し、
組織にとっての一体感や忠誠心を築くことができます。

新卒者をまとめて採用することで、企業は独自の研修・
教育プログラムを効果的に実施することができます。
一括採用によって、新入社員同士が互いに助け合いながら
学び、結束力を高めることができるとされています。

日本では、大学や短期大学などを卒業した学生たちが、
特定の時期に集中して企業の採用活動に参加します。
このような習慣があるため、企業側も新卒者をまとめて
採用することで、大量の応募者を一度に面接・
選考することができ、
採用プロセスを効率化することができます。
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普通の仕事では資格はほぼ役に立ちません。


新人はそれなりに教育する必要があるので、新卒をまとめて採用してまとめて研修した方が効率が良いです。
会社は集団で金儲けをする組織です。必ずしも個人の突出した能力を必要とはしません。特に日本はその傾向が強いです。
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いや実力主義だと思うが。


文句言う奴は実力もない採用されない非正規の無能が多いんだけどな。笑
以上 参考になれば
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ふたつ理由があると思います。



ひとつ目は、日本の大卒者は、自分の『知恵・技術・技能・人脈』などについて、以下のことを実績を示して証明できないこと、でしょう。

 ・他の人に無いものがある
 ・他の人が出来ないことが出来る
 ・他の人より優れている

つまり、日本の大卒者は、実績で証明できる実力を示せないのです。

もうひとつは、日本の採用者側が、その実力を適切に評価できる目(=能力)も、評価する手段も持っていないことです。

では、実力主義とはどんなものか。

私はプロファイルに紹介しているような隠居爺です。
日本のそれなりの大学を出て、日本の大企業に入り、業種の違う別の大企業への転職を経て、考えるところがあって若いころにカミさんとともに当地に渡って来ました。

幸い、早い時期に仕事と生活を安定にすることが出来ました。
それが出来たのは、上記三点に当たる『知恵・技術・技能』を認めてもらえたからです。

日本でも当地でも、先端技術分野の研究開発の仕事をしてきて、そこでは日本やアメリカ、その他の先進国の多くの企業や公的機関や大学などの研究開発組織と付き合ってきました。
カミさんや当地で生まれ育った子供たちはともに当地の大学を出ています。
それらの経験から、当地の実力主義の中身を紹介します。

当地の大学には日本に比べてとんでもなく厳しい世界があります。
お金です。

当地の大学は、それなりのレベルだとかかる学費が半端でありません。
優れれば優れるほど高いと言ってもいいと思います。

たとえば、日本では国公立の大学の学費は大学のレベルに関係なくほぼ一緒で、私立に比べれば安いです。
しかし、当地は国公立に相当する州立や市立も私立と同じように高いです。

ウチのカミさんと子どもたちはウチの州の州立大を出ました。
世界的にも優れたと言われるレベルです。
そこの学費は、他州から来る人の場合で、1年分が約500万円です。

それに生活費が高い。
この地では暮すのに様々な保険が必要なうえ、住宅をはじめとする諸物価が高いからです。
我々が住む田舎でさえ、1年間の生活にはだいたい300万円はかかります。

つまり、大学に通うとは1年で800万円、4年だと優に3,000万円を超えるお金がかかるんです。
東京の郊外に新築の家が買えそうな金額です。

当地の子どもたちにはもうひとつ大事なことがあります。
そのお金を自分で調達しなければならないのです。

当地では高校までが義務教育です。
そこから、一般に、子どもは高校卒業で自立するもの、親はそこまでは面倒を見るが、社会に出ようが大学に進学しようが、それは子どもが自身で選択し、その選択は自分の力で実現する、と考えているのです。

つまり、大学に行くための高額の費用は子ども自身が自分で何とか調達するんです。

親から借りる子も少なくありません。
しかし、親にとっても家が買えるような金額のお金を簡単に出せるわけではありません。
子どもが何人も居ればなおさらです。
なので、多くの子どもは金融機関や奨学金の提供団体から借りてまかないます。

借りるのですから、将来は返さなければなりません。
それは社会に出てから得る報酬で返すので、出来るだけいい報酬を得たいと考えるのは当然です。

いい報酬を得るには、それだけいい仕事に就かなければなりません。
そのためには、出来るだけいい、他の人にはない、他の人より優れた『チエ・ウデ・ワザ・人脈』を手に入れたい。

当地の子どもたちが大学に行く目的はこれです。
大学へは『大学に行かないと手に入らない、他の人にはない、他の人より優れたチエ・ウデ・ワザ・人脈を手に入れるため』に通うのです。

いい大学であればあるほど、そこでないと手に入らないチエ・ウデ・ワザ・人脈のレベルが上がります。
だから、当地の子どもたちは出来るだけいい大学へ進もうとします。

日本の大学生の方々は、サークル活動を楽しみ、飲み会を楽しみ、旅行を楽しみます。
そう言ったことに必要なお小遣いを手に入れるためや、学費や生活を助けるため、よくバイトもします。
それは悪いことではありません。
しかし、当地の子はそれをしません。

そのような楽しみは、いい報酬、いい地位、名声を得てからゆっくりしようと言うのです。
そして、バイト後と気で稼げる少額のお金のために大事な時間を使うぐらいなら、その金は借りてでも時間を勉強に充てるんです。
だから、それなりのレベル以上の大学に通う当地の学生はよく勉強するんです。

勉強と言っても机に向かうばかりが勉強ではありません。
当地の子どもたちは、大学を出た時には即戦力としてバリバリ働くことを考えています。
つまり最初からいい報酬を得ようと言うのです。

そのために何をするか。
それは、勉強で覚えた『チエ』をすぐに使ってみて、教科書には書いてない実際に使う時に必要なスキルがなにかを考え、それをひとつひとつ自分のものにする、つまり『ウデ・ワザ・人脈』を作り、磨き上げるんです。

それをするのがインターンシップです。
日本でも最近はインターンシップと言う言葉が使われるようになってきましたが、聞けばそれはまだまだ幼稚です。

1~2日、長くてもせいぜい1週間という時間で『体験学習』するんだとか。
それも企業の用意した上げ膳下げ膳を受け身でやるだけですから、自分のチエを使うことも無ければ、必要なスキルを考える材料にもなりません。
ましてや1週間で磨けるスキルなんてあるわけありません。
当地ではそんな『体験学習』なんてインターンシップなんて呼びません。

当地のインターンシップは、自分のやりたいことをやってる企業や機関や大学の研究室なんかを自分で見つけ、就活よろしく自分で売り込みに行って受け入れてもらう交渉をします。
そして、そこでの仕事や研究などの活動に混ぜてもらい、与えられた仕事の中で自分が出来ることを考えて出来る協力をしていくんです。

その活動は少なくとも2~3か月は掛けます。
ウチの家族の場合、カミさんは3年生と4年生の時にそれぞれ半年ぐらいずつ、子どもたちは1年生に入るとすぐに始めて4年間ずっとやってました。

このインターシップで大事なことを、日本の人も企業もわかっていません。
そこで一番大事なのは『実績』なんです。

日本では大学は机の上で勉強するばかりです。
『実習』や『研究』を経験してくる人も居ますが、日本の大学で学生ごときがする研究なんて企業は嬉しくも何ともありません。
勉強だけでは実務経験のない頭でっかちなだけですし、研究してきたと言っても企業の実務に直結するわけでもなく、趣味のお遊びレベルで、先進性も高度なレベルも含まれていない、その業界の人なら知られてる陳腐なものだからです。

それに対して当地の子たちのインターンシップの結果は迫力満点です。
なにしろ、実際の現場の最前線で戦ってきているので、自分には他の人に無い何が出来るか、他の人よりどれだけ優れているかを具体的に実際の結果で示せるんですから。
それが『実績』です。

就活生の願書の自己主張を見るとその差は歴然です。
日本の子たちのそれは、美辞麗句を並べて口先だけで『意欲』を表明する『青年の主張』にすぎません。
それに対し、当地の子のそれは『私はこの実績がある』、だから『御社のこの仕事に貢献できる』とはっきり言いきれるのです。

雇う側がどっちを採用したくなるかを考えてもみてください。

日本:雇って研修で訓練してみたけど、口先ばっかで・・・
当地:ほんとだ、この仕事はこの人に任せればいいんだ・・・

この違い、雇う方にとってどれだけ違うか、わかりますか?
それが報酬の違いになって現れるんです。

このように、当地の学生は就職するとすぐに戦力になります。
だから、就職の時から報酬の交渉では強気に出ることが出来、最初からいい報酬が手に入るんです。

当地では、借金のリスクを減らすため、高校を出てすぐには大学に入らず、社会で働いてお金を貯めてから大学に入ると言う人も少なくありません。
ウチのカミさんがそれです。
アラフォーになって入りましたから。

いずれにせよ、大学は自力で行くもの。
それは、そこでないと手に入らない能力が手に入り、その後の生活のレベルを上げれるから行くのです。
そのために、本来の目的である勉強に専念します。
小金を稼いだり、遊びで時間を無駄にするより、勉強やインターンシップに専念してチエ・ウデ・ワザ・人脈を磨いて実績をあげることを大事にします。

当地の実力主義、わかっていただけますでしょうか。

他の方は、『まっさらだから』『職業訓練校じゃない』などと言ってますが、『まっさら』って実力がないことではないのでしょうか?
職業訓練だって必要ならしないといけないんじゃないでしょうか?
要するに、大学も企業も、実力主義の『実力』が何かがわかっておらず、それを得ようとも、得させようともしておらず、その評価能力もなく、大学をなかばお遊びの場にして、大事な若い時期の『時間』を無駄にしちゃってると私は思います。

世界のビジネスや政治など様々な分野で日本の地盤沈下が実際に顕著ですが、若者が勉強しない、若者が実力をつけようとしていない、という長年続いている現実がそれを作り出してると思います。

この質問は『文句を言ってる』という種類の主張のように思いますが、私には何か違うように思いますがいかがでしょう?
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この回答へのお礼

助かりました

回答ありがとうございます。当地とは何ですか?

お礼日時:2023/06/10 21:30

確かに実用的なスキルを持っている人材は即戦力です。

しかし歯車になるかブレーンになるかはその後の能力と伸び代に投資出来るか否かによって重要な焦点になるのかもしれません。
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企業が自分色に染めたいからでは?

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使いにくいからですよ。

まっさらの人のほうが教えやすい。
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>なぜ、スキルや資格を学生の期間に取得しないんでしょうかね?


大学は勉学をする場所だからだと思います。
職業訓練校ではありません。
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