【3月6日実施】システムメンテナンス実施のお知らせ

ICU卒で今年の春国立理系に院進した者です。同じようにICUから院進した方で同じような思いを持ってる方などもしいらっしゃったら励みになります。
また、心無い誹謗中傷はご遠慮願いたいです。
学部時代は、いろいろな授業をとるうちに生物学に興味が湧いてきてバイオメジャーで卒論を書き、卒論執筆が思いの外楽しかったため、その流れで外部の大学に院進しました。
しかし、入学したら、言い方はとても悪いのですが、今まで勉強しかしてこなかったような集団で、かなり視野狭窄な方ばかりで面くらいました。どうやらそれが日本の大学院では当たり前らしいのですが...。
大学では、幅広い視野を持って、かつ深くまで対話できるような人たちばかりだったので、ごく狭い分野しか考えていなさそうなうえに「話の通じない」ような方たちばかりで、環境に身を置いているだけでストレスです。
さらに、共同研究する流れになった方が、私の進捗状況も全く考慮せず勝手に関係者に報告会をアナウンスするなど、研究以前に人としてそれはどうなのかという今まで会ったことの無いタイプであることも大きなストレスです。
その他にも細々としたストレスが重なり、なんというか、ICUは「ひとりの人間」としてかなり尊重されていた、良い環境だったのだなぁと本当に強く感じています。
さらに、「研究は向いていない」ということを感じたことで、では本当に自分は何がやりたいのか?と考えたところ、今まで自分の人生において、呼吸のように当たり前に側にあった小説に関わる仕事がしたい、と強く思い、出版社への就職を目指し、就活をしているところです。やりたいことがはっきりしたことで、現在苦しめられている、大学院生活や研究の内容が全く希望の職種に関わりのないことからも、モチベーションが著しく下がり、いっそ大学院を辞めることも考えています。とはいえ、内定が決まるまでは行動に移すことは留めておこうと思いますが...。ちなみに、就職を考えている会社は4年生大学さえ卒業していれば問題ないとのことです。
ICUの環境はやっぱり素晴らしいですよね。環境が変わったことで感じるありがたみです...。中々環境変化のギャップが辛くて、もはや就活が息抜きみたいな感じです。
同じような方いらっしゃいましたら大変励みになります。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

若いころはいろいろチャレンジするのはいいことだ。


アカデミアの人たちは悪く言うと専門馬鹿だし、そんなもんですよ。
生活に困る毎日というわけでもなさそうなのでどんどん好きな道にチャレンジしていくのが後悔のない人生のために必要ですよ。
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>言い方はとても悪いのですが、今まで勉強しかしてこなかったような集団で、かなり視野狭窄な方ばかりで面くらいました。


お話聞いて、イソップ童話の狐と鶴のご馳走を思い出しました

質問者さんの知識が、
 キツネの平たい皿に入れたスープ型の知識、
進学先の大学院の集団の知識が
 細長い口の壷に入れた肉型の知識
だっただけの気がします。

>同じような方いらっしゃいましたら大変励みになります。
それぞれ一長一短あるので、自分の価値観でなく、飛び込んだ先の価値観を尊重する気持ちのゆとりを持つことが良い気がします

>さらに、共同研究する流れになった方が、私の進捗状況も全く考慮せず勝手に関係者に報告会をアナウンスするなど、
報告会は、質問者さんの都合で決まる ものではないのでは?
共同研究する方(上司)が決められた報告会の日程に合わせて、自分の研究の進捗を調整して報告するのが一般的とおもいますけど・・・

あえて長所を短所と言い換えてみると、相手の立場からすると、

言い方はとても悪いのですが、質問者さんは、今まで知識を吸収する勉強しかしてこなかったような方で、かなり視野は広いものの聞きかじりの浅い知識しかお持ちでなく、自分で物事を深く考え、問題解決する勉強はしてこなかった大学院生としては使えない人

となりませんか?
そうならないように心がけるのが良いかと思います。
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就活・就職先・退学については何もわからないので回答には含めません。

国立大工学研究科の元教員です。僕らは4年生以上の学生は研究室の研究スタッフの一員として扱います。そして,テーマは一人一人に別のものを与えますから,その研究上での話は極めて狭い分野での情報交換になります。もちろん輪講などで他の学生の興味のあるものに触れますが,それは二次的なものです。本質は,与えたテーマについて独自の研究をして,教員との共同作業で学会論文集に投稿できる成果を半年くらいかけて出すこと。卒論ではなかなかそこまでのレベルに達しないこともありますが,修論は必ず出版できるレベルを学生には要求します。だってスタッフですから,会社の同じ課員とか研究所の研究スタッフと同じ。そして,いつどんな打ち合わせをするか,共同研究者とどう接するかはテーマを提案した我々教員側で決めて,学生がそれに合わせて勉強・研究するのは当然のことです。僕が学生のときもそうでしたし,勤めていた大学での30年間もそうでした。
 また米国の大学院(あのランキングで39位の東大よりも上位の大学)の場合は,もう学生一人と指導教員との間の勉強・研究です。1年以内に論文が出版できるようでないと,指導してもらえなくなります。他の学生がどんな研究をしているのかに触れることはほとんどありませんし,友人とは研究の話なんかしません。友人・同僚と会うときくらいは研究から離れたいので,もっとソフトな話しかしません。月に一回くらいの講演会でも,世界中のプロの先生の発表を聴きますが,高度な内容ですから,専門がちょっとはずれていたら理解が浅くなります。当たり前のことですけどね。それに比べると日本の大学院はぬるま湯だと思っております。「どうやらそれが日本では当たり前」という誤解を解いて欲しいので加筆しました。
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古巣を懐かしく思うのはよくあることですし、その「古巣」が自分に合っていて心地よかった(学部時代の研究が楽しかった)のなら、なおさらだと思います。

それは古巣がICUであってもなくても、あることです。
学部の延長のつもりで院進学してから、院での教育や研究が学部時代のそれとは違うことに気づいて、「自分は研究に向いていない」と気づくのも、ときどきあることです。(そういうのは理系よりも文系の人に多い気もしますが)
国立大学同士であっても、他大学の院に進学して研究室が変わると、環境の変化にストレスを感じる人は普通にいます。私大から国立大ならば、些細なことでも、カルチャーショックが多いでしょう。教員でも、私大→国立大、国立大→私大に異動すると、異動直後は大学内の文化の違いにとまどい、ストレスを感じる人が結構いるようですから。

研究環境は、大学院というより、同じ大学・学部内でも、その研究室、指導教員によってかなり事情が違います。ICUが、国立大が、というよりも、質問者さんが運悪く「自分に合っていないという意味でのハズレ研究室」を引き当ててしまった、ということではないでしょうか。
自分の経験と聞きかじりだけで、「日本の大学院では」と主語を大きくして結論づけようとするのは、ちょっとどうかなと思います。
理系の院進学の場合、事前の研究室訪問などである程度のすりあわせをしておくものだと思いますが、その時点で、いま感じているような違和感や期待外れ感はなかったでしょうか。その研究室を希望する段階で、そこの研究室の研究成果や学生のレベルなどをリサーチする段階で、「視野狭窄」というのを感じませんでしたか。論文には研究者の性格が如実に出るものです。
それが不十分だったのならば、ある意味、リサーチ不足による失敗ですし、十分にやっていても「外から見たのと実際中に入ったのとでは違った」というなら、それは外部受験ゆえの不利ということで(内部進学者なら知っていた可能性が高い)、どうしようもなかったでしょう。

ICUの教育についての評価は置いておくとして、国立大のみならず他の私立大とも異なる独特の教育理念を持った大学であるのは間違いないでしょう。専任教員の条件として「キリスト者であること」という採用基準は他の私大では見かけません(キリスト教に理解がある、尊重する、程度。なのでミッション系大学でも非キリスト教徒の教員は結構いる)。ICUの教員はICUの教育理念に強く賛同するキリスト者で構成されていますので、いろんな考え方を持つ教員がいる他の大学(特に国立大学)とはだいぶ雰囲気が異なるでしょうね。
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