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こちらの問題がわからなくて、教えて欲しいです、、、、

ナポレオン 1 世の死により,皇位継承権は〔 1 〕に移った。この〔1〕は,ナポレオンと 2 番目の正妻である〔 2 〕との子であり,生まれたときの名前を〔 3 〕といい,のちのウ ィーン滞在中には〔 4 〕と改名した。〔1〕が死亡すると,家長は〔 5 〕(人名)になった。
ナポレオンの遺骸がフランスに帰還した年には,皇位継承権は〔 6 〕にあった。そのとき, のちに皇帝となる〔 7 〕の継承順位は〔 8 〕位であった。この〔7〕が〔 9 〕という 名で皇帝となった年に,皇位継承権は〔 10 〕に移った。

A 回答 (2件)

「週刊○○」的なプライベートかつ愛人・嫡出子/私生児、相続争いの世界ですね。


フランス革命後の「帝政」の明確な皇帝継承権があったのかどうか不明だし、あったとしても「王政復古」や「共和制」で「皇帝廃止」になっていたはずなので、単なる「ボナパルト家の家系」の話、あるいは帝政復活をもくろむ「ボナパルティズム」の信奉者の主張に過ぎないでしょう。

こんなものは「調べればわかる」ので、覚える必要も知っている必要もありません。
単なる「無駄知識」、一昔前の言葉でいえば「トリビア」というやつです。


1. フランソワ・シャルル・ジョセフ・ボナパルト(1811~1832)

2. マリー・ルイーズ(1791~1847)オーストリア皇帝フランツ1世の娘

3. 通称「ローマ王」、愛称「レグロン」

4. ライヒシュタット侯爵(祖父フランツ1世により叙任)

5. ジョゼフ・ボナパルト(1768~1844) ナポレオンの兄、イタリア王、後にスペイン王。


ナポレオンの遺骸が変換されたのは1840年。
この動きに合わせてルイ・ボナパルト(後のナポレオン3世)は武装蜂起(ブローニュ一揆」を企てるが失敗、終身刑に処せられる。
しかしこれが「ナポレオン人気」を引き起こすことになる。


6. 1840年時点での帝位請求者はジョゼフ・ボナパルトのはず。

7. シャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルト(1808~1873)

8. ???

1840年時点での親族は
・ジョゼフ・ボナパルト(1768~1844) ナポレオンの兄
・リュシアン・ボナパルト(1775~1840) ナポレオンの次の弟
・ルイ・ボナパルト(1778~1846)(ナポレオンの2番目の弟、シャルルの父親)
・ジェローム・ボナパルト(1784~1860)(ナポレオンの末弟)
以下、それぞれの息子たちや「娘婿」たちがいたでしょう。

ナポレオン3世となる「シャルル・ルイ」はルイ・ボナパルトの3男です。
継承順位など分かりません。
こんな「正式」ではないもの(ボナパルティストたちが勝手にそうみなしただけでしょう)はよくわかりません。

9. ナポレオン3世
 この「3世」は通称として勝手にそう呼んだだけで、正式なものではありません。

10. ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(1856~1879)ナポレオン3世の皇太子
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