
質問です。
第一次世界大戦中にイギリスが行った三枚舌外交ですが、当時のイギリス政府内において、その外交に異を唱える者は一人もいなかったのでしょうか?
「いや~それはさすがに、変な誤解を招いて後々対立になったりしませんかね……もう少し話し合いを重ねるべきでは?」
といった風に、いくら戦時中だったとはいえ、もっとうまいやり方を見いだせなかったのですかね?
交渉のテーブルに着いて、これらの提案を示した外交官もどういう気持ちだったんでしょうかね。
内心、「この外交、ユダヤ人やアラブ人にとっては何の得もないんだけどなあ……」とか思っていたりして。
A 回答 (3件)
- 最新から表示
- 回答順に表示
No.3
- 回答日時:
パレスチナ地域に関しては矛盾は無いので、そもそも問題にはならなかったのではないかと。
フサイン=マクマホン協定は、オスマン帝国の支配下にあったアラブ地域の独立と、【アラブ人のパレスチナでの居住を認めた】協定。つまり、パレスチナは、アラブ人国家の範囲外。フサイン・イブン・アリーも、エルサレム市の施政権以外は地中海側のパレスチナへの関心は無かった。
バルフォア宣言は、パレスチナにおける「ユダヤ人居住地」と解釈されるパレスチナ先住民における権利を確保したもの。
つまり、パレスチナはアラブ人のものとも、ユダヤ人のものとも約束していない。両方に居住を認めただけで、片方だけの居住を保証したものでもない。
揉めるかもしれないなとは思ったとは思うが、イギリスはシリアの扱い以外では矛盾の無く処理している。シリアはフランスと取極めることで、戦後特に揉めることなく、シリアになっている。
No.1
- 回答日時:
戦争中ですよ。
勝つためならなんでもOKですよ。
負ければ、イギリスという国がなくなる危機ですからね。
ユダヤには金を出させ、勝ったときにはユダヤの国を保証する。
アラブには敵国内で反乱を起こさせて、勝ったときにはアラブの国を保証する。
フランスとロシアには、勝ったときには敵国の山分けを約束する。
勝ったときどうするかはその時考えれば良いのです。
ユダヤもアラブもフランスもロシアも、話に乗ったのですよ。
その当時はイギリスは信用されていたのですね。
だから、このような卑怯なやり方も出来たのです。
ま、戦争には勝ちましたが、後のことは国連に丸投げしてイギリスは逃げましたけどね。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
神聖同盟でイギリス、ローマの...
-
東インド会社の名前の由来 何...
-
近藤長次郎はどうしてイギリスへ
-
この絵はなんですか?? この右...
-
イギリスが18世紀以降、急速に...
-
西洋列強って何??
-
産業革命期イギリスの機械輸出...
-
20世紀イギリスの階級社会
-
大陸封鎖令とその影響
-
近世ヨーロッパについて
-
イギリスとアメリカ
-
何故「帝国主義」が終わったん...
-
「今日も世に事は無し」って誰...
-
なぜ中国にカレーは伝わらなか...
-
19世紀後半、イギリスは植民...
-
「イギリス」と「イングランド...
-
外人の髪の毛の色でルーツがあ...
-
なんでイギリスは急に凋落した...
-
中東情勢とイギリス人の歴史認識
-
第一次世界大戦のころの質問 ...
おすすめ情報