電子書籍の厳選無料作品が豊富!

正論って、何がダメなの?
正しい論理だから正論なんだよね?
なのに、「正論ばっかり言うな」とか
「正論は時に人を傷つける」とか
そういう風に言って正当化する人ばっかり。
論理的に説明して、「だから○○なんだよ」と教えてあげても、
「人間には感情があるんだ!」なんて逃げて、
恥ずかしくないのかな。

正論って、何がダメなの?

A 回答 (42件中11~20件)

正論を振りかざしたり押し付けることがなぜダメかというと、正論そのものがかなり怪しく、人それぞれの正論があり曖昧だからだと思います。



間違ったことを「これは正論だ」と勘違いなさっているかたもたくさんいらっしゃる気がします。

正論自体その人その人により変わっちゃってるので、それの証明のし合いっこの口論はナンセンスだと思います。

正しい事が絶対!!と言い張るのではなく、臨機応変に柔軟性を持つ事もコミュニケーションを取るためには大切なことだと知ると良いかと思います。

例えば
コロナワクチンの賛否についても、意見が対立しました。

制限速度に対しても40キロだとして、ぴったりで40キロで走っている人はほぼほぼ居ません。
かえって迷惑にさえなります。

料理に関しても〇〇に△△を入れるのなんて邪道も良い所であって□□を入れて作るのが正論だ。
とか、言い張る人も。

順位を決めるのは不公平だから、徒競走やリレーは廃止するべきだ!!とか、いじめる方が悪いとか、いや、いじめられる方が悪いだの……etc

後正論を唱えたがる人に多いのですが、適材適所でたまに使うならともかく、しょっちゅう「べき」を使う人も正論を押し付ける人同様に嫌われたり、煙たがられる人が多い気がします。
価値観の押し付けや、自分の意見などを全否定され、その人が信じて疑いもせぬ正論とやらを断言されちゃうのが、一番嫌なのではないでしょうか。

正しい事より楽しい事や相手を尊重するのも潤滑に物事が運ぶコツのような気がしますよ。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

コロナワクチンの賛否→騙されているやつがいるってだけの話。ハッキリとした効果はないからああいう議論になる。

速度違反の話→制限速度ピッタリで走るほうが正しい。それで迷惑がかかるやつは一人残らず違反者。悪いのがどちらかは明白。

料理→「邪道」の逆は「正道」。正論とは違う言葉。

順位の話→どっちでもいいけど、この件に関しては「意見」であって、論理的な証明はできない。

いじめの話→いじめる側が悪いのは当然だが。

正しいことを尊重できる世の中になるといいね。

お礼日時:2024/02/29 07:31

長いものに巻かれよう!


世渡り上手になりたいな。
    • good
    • 1

絶対正しい人間なんて居ないからさ


絶対正しい人間なんて居ないのに、正しい論理なんて存在するわけ無いだろ
君が正しいと思っていることは君だけの正しいなんだ、君だけの正しいを押し付け、お前は間違っていると言われたら嫌な気分になるさ

世の中に正論なんか存在しない
    • good
    • 3
この回答へのお礼

正解か不正解かなんて、腐るほどあるけど、君の言う「世の中」って、どこの世界を指すの?

お礼日時:2024/02/29 07:32

本音と建前で言うと正論は建前なんです。

本音ではありません。結婚するまでは性行為はいかん.バージンロード歩けない。これ正論です。守る人いますかね。そもそも正論は見方やその時の情勢で変わるもんです。ダメとは言いませんが、そんなあやふやなもので物事割り切れないでしょ。正論吐いて白黒ハッキリさせたら世の中回らないと思いますよ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

結婚するまで性交渉をすべきではない→今の世の中から言えば、正論ではないよ?また、人間は快楽を求めたり、愛を確かめるという感情的な理由によって性交渉を行う生き物だから、婚前交渉が無い方がいいなんて、正論とは言わないね

お礼日時:2024/02/29 07:34

その「正論」は「理屈」と同じですね。

昔よく老人に「理屈を言うな」と言われました。まあ、適当にあしらってください。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

何の話してるの?

お礼日時:2024/02/29 07:35

正論の是非より、その「ゼロ100思考」の発想が終わっています



例として、他人を傷つけたり差別につながる発言は、正論であっても慎むのが常識ですが、だからと言ってそれらのリスクを排除するために「正論は全てNG」になってしまったらこの世の秩序が総崩れですよ

すぐ下の回答者の方もおっしゃる通り、用途次第なのだと思います
    • good
    • 3
この回答へのお礼

正論を言われて傷つくほうが間違っているよね。

差別そのものは禁忌だから、「正論」にはどう足掻いたってならないけど?

お礼日時:2024/02/29 07:37

正論自体がダメなんじゃなく


正論の使い方、使い所がダメなんだと思いますよ

正論とは「道理にかなった正しい意見や議論」です
自分が正しいと感じてる事を、相手の言い分にも耳を傾けながら論じてるなら良いのですが
相手をやり込めるために一方的に正論を振りかざすのは問題です

当人論理的と思い込んでても、側からは話の流れとして道理が通ってなかったりすることがあります
実際相手が不満を感じてるという事は道理が通ってないと思わせてるわけで、正論のように見えてその場での言葉運びが間違っていた可能性があります

議論は自分だけが正しいという一方通行では成り立ちません、相手の言葉や気持ちを考慮できるようになれば、もっと伝わる言葉を紡ぎ出せるのでは無いでしょうか
    • good
    • 3
この回答へのお礼

「道理にかなった」だから、自分が正しいと感じていることではなく、「誰がどう見ても正しいこと」だよね。

正論を言われて不満を感じる人は、その人自身に後ろめたさや反論できない理由があるからだよ。

お礼日時:2024/02/29 07:39

上手く活用できていない場合は「正論」では無かったのだと思いますよ。



結果として他人と揉める状況に自分が追い込まれる。そういう正しさがあるとは思えません。「その正しさ」は何の役に立つのでしょうか? 誰かを言い負かしても誰かに好かれるわけでは無いんです。嫌われ続けるための「正しさ」を使いすぎて自分の人生は大丈夫なんですか?

以下は長いので興味があればお読みください。

批判する側が「正論」の使い方を間違っているんでしょう。正論を使う場合は「道徳に沿って正しいか?」と考えなければいけません。道徳には「徳」と言う概念があり「仁義礼智信」と言う5つの要素が大事とされています。

この中には「仁(思いやり)」と言うのがあります。また合理的な解釈をしたり解決のアイデアを出す「智(智慧)」というものもあります。それぞれ長所がありますが「時と場合によっては」どれを使うのが正しいのか分かれます。正しさは徳の選び方にあります。

「道徳では思いやりを使うシーンであるのに理屈を説いて
 しまうと思いやりに欠けると批判されることがある。
 逆に合理性を考えなければ行けない時に思いやりで対応
 しようとすると批判(お花畑論)される場合がある。
 優しさや思いやり、愛情こそが至上とする主義も道徳に
 反しているのである」

つまり徳のうちの一つだけを用いて運用しようとしても正しく機能しません。主要な5つの徳を使い分けられないと道徳的とは言えないのです。正論とは「道徳に沿って正しい」というものであり「使うべき徳の選択も正しい」となっていないと行けないのです。

「道徳は他人から魅力的な人物とみられるための方法論で
 あって古代では王に成るための資質とされてきた。現代
 では他者に好かれたり、他者に支持されるためのノウハ
 ウと考えて良い」

つまり本当に正論を使っているのならば「相手の心を溶かす」はずなんです。結果としてそうなっていない場合はどこかで間違っていると成ります。

「思いやりが大事か、ルールが大事か、合理性が大事か、
 礼儀や伝統が大事か、他人を信じることが大事か・・・
 これらを選んで争うのは道徳的では無いのだ」

時と場合によって「対応の仕方を選べるセンス」こそが道徳の本質であり、個人の中に「選べない理由」があってはいけないとなります。例えば勉強が出来る事も徳の一つとされています。という事は学問に通じていないが故に「生きながら徳が欠け続ける状態」というのが存在してしまうのです。これは非常に不味いので国家が教育に力を注いでいます。

犯罪の取り締まりと教育は国家の責任となっているんです。

「徳の悪用を防ぐために反論がある」

正しい論法の流れには5つの要素が含まれていなければ行けません。ドレかが欠けると納得感が薄く成り(もやもやする)議論が終わっていない感じが残ります。正当なルート(誰かを助けたい時)では「共感を示す」「本来の守るべきルールを話す」「解決のアイデアを示す」「未来に向けて立ち直ると信じる」「話しかける態度には礼の心をもつ」となります。

これを正論としましょう。

「徳を使う順番が正しくないとやはり効果が無い」

悪用をしようとする相手には「合理性や解決のアイデアにより批判を示す」「本来の守るべきルールを示す」「関係者または第三者の共感を得る」「全体に礼の態度を崩さずに、関係者または第三者が納得すると信じる」という流れに成ります。これを反論としましょう。

「反論をする場合は周囲の人を意識する」

私も回答する時は相手の立っている側を見て論を変えています。助けを求めている相手に対しては助けなければ行けないです。そういう場合は正論を使います。しかし八つ当たりや嫌がらせのために質問をする人がいます。こういう人は「自分に負けた人」であって何を反論しても受け入れません。被害にあうのは「助けようとして集まった人達」となります。

「助けてくれと言う叫びがおとりであり、実は親切な人を
 傷つけようという罠であることもある」

助けるべきは「助けを求めた当人」ではなく「助けようとして集まった人達」の方になってしまいます。こういう場合は反論をしなければなりません。救うのは傷ついた周囲の人達です。何を反論しても当人は心を動かしません。そもそも計画だっての犯行だからです。この場合は正論(共感から始める)を使っても効果はなく、逆に周囲の人が救われずに苦しみます。

「相手の意図によって救うべき対象が(自称)被害
 者なのか別の人なのかも判別しないと行けない」

こうした質問サイトを私が重宝して使うのは「お礼」によって「質問者が本当に助けを求めているのか?」「嫌がらせの為の計画を持ってきたのか?」判別がつくからです。回答者を一人一人識別して「感情の動き」も読み取れます。これを見て救うべきは回答者であるとうい判断も時にはします。

また「言い方が拙い」ために回答者から攻撃されている質問者もいます。この場合は「質問者を救うべき」と判断しています。「本当に救いを求めている人」はお礼や補足に現れます。初めから「攻撃したい」と思ってくる方には違和感が伴います。しかし「一般の人は混乱して感情的に成る」でしょう。

「立派に思える人が感情むき出しにして怒り出す姿
 が痛快です。またその姿を世間に晒して世間の反
 応を見たいです。君らは間違っていると兎に角気
 づかせたいんです。分からせたいんです」

この様に思っているわけです。そういう狙いであるのですから(当人に対して)反論しても意味がありません。周囲の人に(相手の意図や狙いについて)気づいてもらうための反論が正しいでしょう(先ほど述べた反論の仕方)。これら嫌がらせに来る人達は「相手を怒らせたい」という(非常に小さな)望みを持っており、それが叶えば満足なのです。

「そんな小さな望み。普通の人は何時でも叶える事
 ができるんだよ。それが今の君の最大の望みだと
 したら先が長く無いと思わないと行けないよ。
 そこまで弱っていると気づかないと行けないよ」

また(相手の意図通り)被害を受けて怒りを覚えた人にも言いたいのです。

「この人はこのまま復活できず死ぬことになります。
 こういう悪意をバラまき続けて一生終わるんです。
 あなたは自分の人生と交換して上げますか?」

嫌がらせをしに来る人が本当に求めているのは「僕の人生と交換してください」という話なんですよ。そういう人に「その気はない」と言う態度を示せば「お前なんか要らない」と言われますよね。そういう話なんだと思えば近づくだけ危険だと思いませんか?

心が傷ついて自分に負けてしまい人生を踏み外した人は、

「お前らが自分で主張するほど優しいのならば、俺
 の人生と交換してくれよ。それが出来ないなら善
 人ぶるなよ? 結局は自分が可愛いんですって言
 えよ! 俺よりマシな人生を送っておきながら、
 善人のポジションまで独占しようとするのは、卑
 怯じゃないか?」

と言いたいんですよ。

しかし「どんなに優しくても人生を交換できる超能力や神霊力をもつ人間など居ない」と言うのは明らかです。なので「優しくないからやらない」のではなく「無理言っても仕方ない」というのが本当の所なのですよね。そうであるのに(知能が低下して、まともに物が考えられなくなるため)「そういう気持ち」を抑えきれなくなるんです。

ここまで来ている人は早く専門医(精神科など)を受診して「知能を回復させる」必要があります。医師が拘束しないと行けない程であれば入院となるでしょう。しかし中途半端な状態であれば「犯罪を犯して反省できない」ようになります。この時に罪として裁かれ罰を与えられてしまうんです。

「罪から逃れるために精神病を偽っても、殆どの病
 例が先天的なモノや一般的に稀有なものであった
 り、行動出来ない程悪化した場合の診断ばかりで
 ある。そのため、自分の心に負けて起こした異常
 行動については病気扱いされない場合が多い」

専門医の治療を受けられる程度に病気であっても、犯罪を擁護するほど病気では無いと言われるわけです。取り返しがつかない状況に成る前に医師の診察を受けるべきでしょう。

別の質問でも回答しましたが「正論(助けるための論法)」を使うか「反論(周囲の人を救う論法)」を使うかは相手次第です。

相手を見極めるとき一つだけ確実なチェック方法があります。

「自分の成長を諦めた人の言いそうな事」

と思ったら反論しましょう。

自分の成長を諦めないという事は「他の人が出来て自分に出来ない事が恥ずかしい」「自分の中にある治さないと行けない部分を知りたい」と常に考えているという事です。

「自分の成長により乗り越える気持ちを捨てた場合
 は、相手に譲歩させて快適に過ごすしか道が無い。
 常にそういう論法を展開し、自分より強い人が尊
 ぶ言葉を悪用する事ばかり考える」

なのでそういう物なのだと予想しましょう。

「しかし対応する人の感情が乱れれば同じように知
 能が低下するのでいい勝負になる」

ナントカの一つ覚えと言いますが「挑発すればいい勝負が出来る」と味を占めてしまった人がいます。こういう人は「やっと掴んだ方法論」を捨てる事は無いでしょう。反論の方法を学んでいないならば「助けを求めていない相手に関わらない」ことです。(誰かが犠牲になる必要はありますが)質問者の「お礼」等を読んでハンドル名を覚えて置く事を推奨します。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 2

人の自尊心を傷つけたのでしょう。

 相手に対して完全勝利してはいけませんよ! あなたの言ってることも分かりますが・・と言いながらに変えましょう。
    • good
    • 2

何もダメではありません。



日本社会が、正論を受け止め、それに賛成や反対を合理的に述べて、解を出す・・・とい当たり前なことをしない、できない社会なのです。

特定の政党が、80年、ほぼ権力を独占していることでもわかりますね。

・野党が反対しても、そうはなかなかうまく行かないとごまかす。
・そのうちに、責める野党を批判する。
・与党はなぜ反対かを言わない。
・その裏に、既得権や利益誘導にすがる人たちがいる。

なのに、野党は正論しか言わない・・・と多くの国民が思うわけです。多くの人は、このように、正論に対して、気持ちを察しろとか、正解は一つではないとか言いますが、自己矛盾に気づいていません。

そういう人がおかしいのは、既得権に甘んじたり、現状を変えたくないとごねる人の気持ちば察しろと言う一方で、正論に潜む、正しいことをやることで恩恵を受ける人のことは、考えない傾向が強いのです。無意識のうちに、議論が割れたら現状追認がいいという、潜在意識があるってことです。

だから、政治が幼稚になり、改革ができず、ITオンチ国家になり、既得権企業が税金を中ぬきし、地方だけが補助され、都市でまじめにはたらいたサラリーマンの税金が、無駄につかわれ、年金も健康保険も、莫大な社会保険料を払っているのに、崩壊寸前なのです。30年で、国際競争力は1位から30位。先進国で20年給与があがらないのは日本だけ。もはや、台湾や韓国より貧困な、後進国まっしぐらです。

正論を認め、それを賛成、反対で堂々と議論して結論を得る。
これができないと、日本は、世界で落ちぶれる一方です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A