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一つのことで頭がいっぱいになるとか、何らかの考えが頭から離れない、考えることを繰り返すみたいな
自分もそれなのですが、同じような方はいますか。

心療内科などの受診も考えたのですが、時間や費用面で挫折しています。

補足
自分の場合、出かける前に、鍵をかけた、エアコン(を消した)、テレビ(を消した)と3回も4回も確認したり、
あそこに行きたいとか、何を食べたいとか、つまらないことが常に頭に浮かびます。
仕事や何か集中できる時間は忘れられますが、一人の時間に頭に浮かびます。

A 回答 (2件)

日常生活に支障がなければ、そしてあなた自身が苦痛でなければ正常ですよ。


問題ありません。
私の母がそんな感じで家族にも確認を強要するので参りましたが、歳をとるとそういうことも減りましたよ。
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一つのことで頭がいっぱいになるとか、何らかの考えが頭から離れない、(同じ事を)考えることを繰り返すみたいな自分もそれなのですが、同じような方はいますか。



との事ですが、一つの事に集中してしまう現象は、神経症とかノイローゼと云います。こう云った現象は『心の停滞、或いは心が流れなくなる』とも云って良いものと思います。

言い方を替えるなら『意識地獄』を意味します。意識した時には『心に圧迫を感じてしまう状態』と言う訳です。

こういった世界に入る事を釈迦は『一切皆苦』と呼んだようです。

こういった現象が起きる原因と、解消の仕方を書いてみたいと思いますので参考にして下さい。

神経症の症状には様々なものが在ります、少し書いてみます。吃音、書痙、反芻思考、強迫行為、強迫思考、各種の不安症とか、恐怖症とか、その他にも沢山あります。

処がこういった神経症とかノイローゼに対しての治療方法はそれぞれに適した治療方法が在る訳ではありません。原因が一つだけですので、一つの治療方法が存在するだけかもしれません。

では原因は何かと云いますと、拘りと云ったものです。それは『心の中に湧き上った事柄を嫌ってしまう事に拠っての拘り』と云ったものです。

心に感じたものとか、心が受けたもののイメージとか、要するに『自分が嫌いと思った事に対して、心から排除したい』と云った拘りと云ったものです。

神経症とかノイローゼの症状は『自分が感じたく無い事柄、或いは心の中に在ってはならないもの』と云った結論を自分が出す事によって、それ以外には関心が無くなってしまって、その症状の改善だけに、心の興味が向いてしまう現象と言ったら分かり易いかも知れません。

こう云ったものに対して、日本には大変な治療方法が存在しています。それは神経症に対しては森田療法というものですが、もう一つはもっと大きな範囲を含めたものもあります。それは釈迦の悟りを経典以外で教えているものですが、『教外別伝』或いは『不立文字・直指人心・見性成仏』と云ったものですが、釈迦の悟りを知識では無くて、身体で教えると云った体得を旨とする教え方と云った体系です。

私も森田療法を鈴木知準先生から2か月間ではありましたが受けた事がありました。講話と云った時間が在って、悟りを開くなどと云った事柄とか、剣術などでの免許皆伝の話等、多くの話を聞かせて頂く事がありました。

処が27歳頃でしたが、そう云った話には全く歯が立たなかった事を思い出します。ところが先生は時々『ノイローゼは悟りを開かないと治らない』と云っていました。

森田療法の治療の本質を書いてみます。はっきりと云いますと、『神経症の症状は治らない』と云った事が森田療法の原点にはあります。処が治ってみた場合では、症状は依然としては存在していますが、全く気にならなくなってしまう現象が存在しています。

症状は依然と知って存在していながら、全く症状が気にならなくなっています。是が症状の消滅を意味します。

神経症が何なのかを説明すると分かり易いと思います。

その為には人間の脳の機能の説明が必要となります。人間の脳の簡単な説明です。ウイキペデアからの転載です。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代に、沢山の脳梁の切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この記事を補完するために、脳卒中になってしまった脳科学者の講演の様子の動画も載せてみます。

脳科学者である女史が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験として語っているものを載せてみます。



この動画の中で、右脳の自分として感じている者は『自分の無意識の意識です。』仏性は無意識を司っている意識ですので、絶えず切り替わっていると云った処で、出会う事はほとんど不可能に近い事です。

禅の本を読むと、自意識と仏性は『没交渉』の間柄と書いてありますが、出会った感想は『今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった。』とも書いています。

神経症とかノイローゼと云った現象は、自我意識が右脳の意識(自分の無意識からの情報)からの様々な生きて行くための情報を送って貰っていながら、その情報に違和感を抱いてしまって嫌ってしまう現象と言ったら良いのかも知れません。

高所恐怖症とか先端恐怖症とか様々です。

次に森田療法というものの、治療における本質を書いてみます。森田療法の本質とは『症状を受け入れる事』ですが、この事が大変に難しい問題です。

今の精神医療の問題では、症状を悪いものとして排除する事にやっきになっていますが、本当の意味では『症状は無くなる事が無い事は事実です。』高い処に上がった時に高い処に上がった感覚は右脳が送っている情報だからです。

従って神経症の治療の本質とは、症状が在りながら、症状では無いものに変化をさせる必要がある事を意味します。

その為に森田療法では『症状に対しては不問』と云った態度を取らせる事を徹底しています。難しい事ではありません『症状を感じたとしても不問です。』『症状が無くなったとしても不問です、』

こういった不問を徹底する事によって、症状の在り無しを云う事が無くなっています。是は詰まる処症状を受け入れる事を促せているという意味が在ります。

何時しか症状が在ったとしても、無くなったとしても何も感じなくなっています。つまり症状が消滅した事を意味しています。

時間が無くなりましたので結論です。私の場合では『死に対する恐怖症』とそれに付随する『離人症』と云ったノイローゼで17年間苦しんだ事がありました。

処が死が恐くなくなると云った事が可能だとは思えませんでしたもので、症状が無くなると云った事は望んではいなかったと思っています。

鈴木診療所から退院して数年経った頃、自我意識が『自分の無意識の意識』と出会うと云った体験をした事がありました。その日を境に『ノイローゼだった事も治った事も』すっかり忘れ果てて今に至っています。

32歳での体験でしたが今は76歳になりました。『





ノイローゼは悟りを開かないと治らない』との、鈴木先生の言葉は名言だったと感じています・
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