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NHKの大河ドラマの 「光る君へ」 を観ている小生ですが 花山天皇の従者が青森県 ある村を通って その村を驫木と命名したとかいうが その花山天皇それともその従者が 驫木へ行ったという話は何に記されているんでしょうか。

A 回答 (2件)

その手の伝承は、民俗学で「貴種流離譚」と呼ばれるカテゴリーの伝説ですね。


不遇の貴人が落ちぶれて地方を徘徊し、鄙人に文化を授けるというパターンです。
花山院自身、退位後に畿内近国を巡っていたようですが、それを基にした四国三十三ヶ所巡りなどの話が作られした。
当時の青森県は、まだ朝廷に完全服従していない蝦夷が住む「化外の地」なので、花山院が行くことは100%あり得ません。ただ、江戸時代初期に「花山院忠長」という藤原道長の子孫にあたる公家が弘前藩に配流になっているので、花山院忠長と花山院がゴッチャになった可能性があります。
また南北朝時代に、後に後村上天皇になる義良親王が東北地方に鎮守府将軍として下向していることから、南朝の貴種流離譚は結構あります。
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実際に花山天皇は退位後の一時期日本の各地を放浪?しているのは事実です



なので、各地にゆかりの伝承が残っています
すべての伝承地に実際におとずれているかは不明です
その辺は、弘法大師の伝承とか義経の伝承とかと同じで
事実の場合もあれば、そうであったら良いなという願望がいつしか事実のように語り継がれる場合も有るでしょうね
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