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勝てないのになぜ、抗ったのでしょうか?

全員逮捕されました

親たちまで出てきて、キャラメル配る親御さんも



東大生は上のほう、底辺で支える機動隊との戦い


と、永六輔さんが言う


併せてききたいです



安保は自動継続されてますが、発端は岸信介総理大臣でしたか?

A 回答 (3件)

そういうのは結果を知っている者だから言えること。


後に後藤田正晴は、「革命が起きるのではないかと不安だった」と回想しています。
岸信介も機動隊だけではデモ隊を抑えられないと恐怖し、自衛隊に治安出動命令を検討しましたが、閣僚たちからの猛反対で断念しています。下手すりゃ天安門事件みたいなことが日本で起きた可能性もありました。
これが前例となり、安田講堂籠城戦でも自衛隊を出動させることができなかったのです。
それに対してアメリカでは、反戦運動に州兵をバンバン投入して潰しています。

そもそも、この時期は怒れる若者と大人たちの衝突が世界中で起きています。世代間の対立が一種のムーブメントとして世界中で爆発したのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/06/06 06:22

勝てないのになぜ、抗ったのでしょうか?


 ↑
勝てる、と考えた人もいたのです。

キューバ革命です。

カストロは、わずが80人で
殴り込みをかけ、すったもんだの末
とうとう革命を成功させてしまいました。

当時は、ソ連が元気で
社会主義による国家が次々と誕生して
いた時代で

社会主義の力が強く、
日本の社会主義を目指す社会党という政党が
自民と勢力を二分していた時代だった
のです。

現代のような自民一強の時代とは
違ったのです。

憲法25条の最低生活の保障条項は、
マッカーサー草案には無く
社会党の圧力で
挿入されたモノです。

こういう状況下でキューバ革命
です。

頭でっかちの学生の血が沸いた
のです。



キューバ革命は、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラらが
中心となってアメリカ合衆国の影響が強かった
キューバのフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒するに
至った武装解放闘争。
1953年7月26日 – 1959年1月1日
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/06/06 06:23

1951年、吉田茂が署名:最初の安全保障条約。


1960年、岸信介が署名:改定した安全保障条約。
1968年、東京大学安田講堂占拠。
1970年、改定した安全保障条約の自動継続。

60年安保では、戦後時間が経っていないことから、「日本をアメリカの戦争に巻き込むもの」として反対。

労働者と学生(全学連)が一丸となって反対闘争。
市民の支持を得る。

70年安保では、安保の自動継続反対はあったが、それ以外の社会問題が噴出し、労働者と学生(全共闘)が反対闘争。

当初、市民の支持を得ていたが、闘争方針の違いから、新左翼の活動家グループができ、過激な行動や内ゲバなどから市民の支持は離れる。

混沌とした中で、ベトナム戦争反対運動、成田闘争へと続く。

「勝てるかどうか」ではなくて、正義を貫くためですよ。
「不正は許さない」ということです。

だから、市民の支持が得られていたのです。

それが、新左翼の過激派が誕生したことから、急速に市民の支持は得られなくなっていったのです。

その結果、様々な場面で管理が強化され、自由が奪われ、無気力になっていくのです。

で、暴動1つ起こらない、今です。

ジグザグデモ、投石、火焔瓶、放水車、催涙弾。

今の日本が健全かどうかは分からないですね。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/06/06 06:25

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