人生のプチ美学を教えてください!!

意識は実は虚であり、無いものを在ると勘違いしていることになる。
在ると思っていても、無いという事がどういう事なのか、真実を見抜けないと在るものとして錯覚する。

そうなのでしょうか?

A 回答 (3件)

この人生は二つの要素で成り立っていると主張している人が居ます、一つは真実の世界です。

もう一つは虚の世界です。

処がこの世界はこの二つの世界が重なり合って出来ているとも云っています。

真実の世界は、何処から見ても真実で出来ていますが、虚の世界はその虚に包まれている間だけ真実として疑う事が無いように仕組まれているようです。

真実の世界は信仰の世界、或いは永遠の世界、或いは霊性と云ったものが支配する世界、と云った世界です。

(霊性という意味は、この世の中の現象に付いて表に現れる現象に付いて詳しいという意味の他に、形になっていなことにも通じている、或いは自身が永遠からやって来て、死んだとしても、又永遠に帰って行く事を確信出来る事かも知れません。生にも死にも執着する必要が無い事を体得出来たと云った意味があるのかも知れません。)

また虚の世界を示すなら、お金の多いとか少ないとかを問題にしている世界観、又有名か否かとか、美人か否かとか、力があるかとか無いか(世間的な影響力が在るのかとか)いわゆる今の生活が他の人に羨ましがられているのか否かと云った事などです。

こういった世界観が支配している世界では、人間に幸と不幸を同時に見せています。こう云った世界には現代の精密機器では測る事が出来ない現象も見せています。

一つは心を病むと云って現象です、又難治性の疾患なども含まれています。

一つは神経症(ノイローゼ)等になった場合での心模様です。身体も心も異常無しと云った検査結果ですが、本人の認識だけが異常感を訴えています。

その症状は神経症の症状そのものです、話す事が出来ない(吃音)字を書く事が出来ない(それが医師であるなら当然オペなどが出来ない)、人に会う事も出来ない、人と食事も出来ない、数え上げたら数限りない事柄を上げる事が出来るという事が言えます。

こういった不幸と云うか、苦しみを仏教ではこう表現しています。『無明の故』ですがこの意味は、全ての不幸の原因はその不幸を感じているその本人の頭の中に原因がある事を当の本人が知らない事に拠っていると云っています。

自分が自分自身を知らない事が原因と云っています。

人間の脳の事を解明して、ノーベル賞を受賞した研究成果です、かなり古いものです、ウイキぺデアからです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時期に、沢山の脳梁の切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

自我意識は左脳に存在している意識です。右脳の意識は思春期頃『無意識の底』に隠れてしまって、自意識の前に現れる事が無くなる様です。

思春期頃、此の左右の脳の機能は、別別に働く事になりますが、聖書の中でのアダムとイヴが知恵の実を食べたと云われる頃の話です。神の言葉に背いたと云われる所以が此処に在ります。

右脳の働きは、当の本人の命を身体的生命維持機能の働きが全てですが、他にもあります、それは心的にも本人の命を支る、生命維持機能の働きも備えています。又身体的と書きましたが、この中にも二つに機能は分かれています。

身体的な機能の一つは生命を維持する機能の事ですが、体としての生命維持機能を云います、例えるなら自律神経失調症と云ったものに代表されるものです。ホルモンから胃や腸や心臓などに関係しているものです。

身体的な機能のもう一つは、眠ると云った事柄に関するものと云った類型に関してのものです。眠る時に自我意識は無意識の自分と切り替わっています。是が深い睡眠と云われているものですが、眠れない時はこの切り替わりが出来ていない時です。

ついでに書いて置きたいのですが、吃音や書痙にも関係します。上手に話が出来ている場合では、自意識が口を動かしていません、交替をして右脳に任せています。

こう言った交替劇が大変にうまくいっていて、切り替わりに気が付かない人達を『健常者』と云っています。

その反対に交替時にギクシャクしてしまって、右脳と左脳の意識同士が矛盾や対立を起こしてしまう場合があります。この場合を神経症と云っています。

身体的な機能の一つ、聖書では失楽園と書いています。”禅”ではこの状態を『没交渉』今の言葉では(ぼつこうしょう)ですが、当時の読み方は(もっきょうしょう)、と云う様です。

右脳は永遠を理解している永遠の存在です。左脳は言葉の良き理解者ですが、言葉は全てのものを割って見て言葉にする機能から出来ています。従って左脳の機能には永遠を理解する機能は入っていません。

この事から分かる事は、左脳と右脳は絶対に折り合う事が出来ない機能から成り立っている事が理解出来ます。

西田幾多郎博士が永遠と有限の絶対に折り合えない者同士が、折り合えたことを言葉にしたものが、『絶対矛盾の自己同一』です。

死ぬ時に、にこやかに又安らかに旅立つ事が出来る場合では、左脳と右脳がお互いに和解して、共同歩調が出来ているからです。有限の自意識が永遠の存在である自身の右脳に永遠の世界を見せられているからです。

その反対に生きながら『死が恐い』と感じている場合がありますが、それは自らが右脳(仏性)の助け舟を拒否をして退けているからです。

虚の世界は自我意識だけを認めて、左脳だけで生きていると勘違いしている世界かも知れません。それに引き替えお互いを認め合った心の世界は『涅槃』とも呼ばれる世界です。心の中が静まり返っている世界観ですが、生にも死にも右往左往する事が無くなった世界観です。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/07/21 20:08

その通りです。



だから例えば、ヒトは幽霊を見たと錯覚し、幽霊は存在しないのに存在していると勘違いしていることになる。

幽霊が存在すると思っても、無いという事がどういう事なのか、真実を見抜けないと在るものとして錯覚する。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/07/21 20:09

何を言ってるんだ?

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この回答へのお礼

Thank you

お礼日時:2024/07/20 21:06

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