人生のプチ美学を教えてください!!

江戸時代、幕府は鎖国なんかせずに、この辺一帯を日本の領土に組み入れて置くべきでしたね?

江戸時代が始まったのは、1603年。その当時なら、この地域には、白人は、ほとんど居なかったですから、幕府は容易に、この地域を領地に組み入れる事が出来て、そうなったら、今頃、少なくとも、町中が薬物中毒者だらけ、と言う事には成らなかったでしょう。
https://x.com/i/status/1829655188522827789

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    そもそも、秀吉がバカでした。何の利益も無かった朝鮮などではなく、船を東に向けて、バンクーバーに上陸するべきでした。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/08/31 14:02
  • HAPPY

    恐らく、信長が本能寺で暗殺されなかったら、信長は、朝鮮なんぞに出兵しなかったでしょう。出兵するなら、バンクーバーだったでしょう。もちろん、自分では出兵せず、秀吉と明智光秀、そして徳川家康、伊達政宗を、バンクーバーに行かせたでしょう。

    そしたら、日本で信長に反逆する者は居なくなるので、信長政権も安泰です。もし信長を裏切りそうな者が居たら、バンクーバーに行けと命じれば良いのです。

      補足日時:2024/08/31 14:21
  • HAPPY

    当時は、アメリカ西海岸だけでなく、オーストラリア、ニュージーランドも占領可能でした。島国の方が良いなら、ニュージーランドや、オーストラリアのタスマニア島を占領すれば良いでしょう。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/08/31 20:53

A 回答 (3件)

各地の大名が、我こそは天下人だと、内戦ばかり繰り返していた直後にですか。

秀吉の朝鮮出兵で、大失敗したのにですか。なかなかユニークな説ですね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

そもそも、秀吉がバカでした。何の利益も無かった朝鮮などではなく、船を東に向けて、バンクーバーに上陸するべきでした。

お礼日時:2024/08/31 14:01

領土に出来たら良かったけど


世界大戦以降も保持できるかは運ですね
弱い国は食われて終わりです

あと島国は守りに強いけど
逆を言うと攻めるのも弱いので
航海技術が弱かったので無理ですね
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

当時は、アメリカ西海岸だけでなく、オーストラリア、ニュージーランドも占領可能でした。島国の方が良いなら、ニュージーランドや、オーストラリアのタスマニア島を占領すれば良いでしょう。

お礼日時:2024/08/31 20:53

「領地に組み入れる」ということと、そこを維持し続けることは別問題ですよね。



白人勢力が増える時期の北米大陸で領土を維持するには火薬が必須でしょうが、それに使われる硝石を安定して生産する技術を日本国内で確立できたのは江戸時代中期以降です。
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この回答へのお礼

チリ硝石が有ります。

1809年。海岸から40~80キロほど内陸に入った砂漠に硝酸ナトリウムを平均30% (20~75%)含んだ岩塩の島が、南北750キロにわたって帯状に点在する。

地表から 1~6mの深さの砂礫層中に、 0.2~1m 厚さの鉱石層(カリーチェ)があり、ソーダ、カリ、マグネシウムの硝酸塩や硫酸塩、塩化物、及び少量のヨウ化物を交えて固結している。これを下層から発破をかけて採掘した。
チリ硝石は硝石ほどの爆発性を持たないので、硝石(硝酸カリウム)に変えて火薬原料とする。そのための硝石産業が南米に興った。

1830年になると米国やイギリス、フランスへ向けてチリ硝石が輸出された。これは火薬用ばかりでなく、肥料用にも重要な資源となってゆく。

その頃の主産地はペルーのタラパカ地方だったが、製品の多くは南方のチリのバルパライソ(極楽谷の意)港を経由して(ホーン岬を回って)ヨーロッパに向ったため、チリ硝石と呼ばれた。

クリミア戦争(1853~1856)が起こると出荷量が飛躍的に伸び、取引価格もまた高値を維持した。

お礼日時:2024/08/31 13:26

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