人生最悪の忘れ物

ほとんど各駅停車で意味ないですよね
梅ヶ丘から新宿までの通過運転になにか意味があるんでしょうか

質問者からの補足コメント

  • ん? そもそも日中の各停は毎時6本あったのに、あんな中途半端な列車をそこにプラスする必要はないですよね?
    設定したならどういう停車駅にするかではなく、そもそもなぜ設定することにしたのかを質問しているのです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/09/08 21:36
  • もともと各駅停車が8本だった?
    ということは区間準急ができるまえの小田急は7.5分サイクルだったんですか? 当時各停と優等列車の比率はどうなってたんですか?
    頭こんがらがって爆発しそうです

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/09/08 21:53

A 回答 (3件)

●長らく新宿に最も近い追い抜き駅だった東北沢が、工事で追い抜きができなくなった。


●最初の追い抜き駅が梅ヶ丘では急行や特急が追いついてしまってのろのろ走らなければならなくなる。
●複々線化工事に協力してくれた梅ヶ丘~和泉多摩川辺りまでの駅に対するわずかながらの見返り。


各停の本数ですが、昭和末期は日中6分間隔で10本ありました。
うち6本は向ヶ丘遊園行き。
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こんばんは、No.1です。



>そもそも日中の各停は毎時6本あったのに、あんな中途半端な列車をそこにプラスする必要はないですよね?

当時、各駅停車は毎時8本でした。
6本ではありません。

その8本のうち2本を区間準急にして、残り6本を各駅停車にしていました。
区間準急の2本は代々木上原駅で多摩急行と接続することで、急行の代替として機能するよう組み立てていました。

単純に8本→6本にしてしまうと、ただの減便になってしいます。

でも、まだ複々線区間が完全形態ではなかったので、各駅停車の頻度とダイヤの構成から妥協して出来た列車で、イチからスジを引いて設定した列車ではありません。
この回答への補足あり
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こんばんは。



当時、複々線区間が梅ヶ丘駅⇔登戸駅間でした。
そのまま各駅停車のままで梅ヶ丘駅⇔新宿駅間に入ってしまうと、後続の急行などに追いつかれてしまいダイヤが成立しないので、後続列車から逃げるためでした。

通過する駅数の問題では無かったのです。
この回答への補足あり
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