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秀吉は征夷大将軍はならなかったのではなくなれなかったのでしょうか?
今でも論争がありますよね。
源氏も平氏も元は宮家でしたから氏族でいうと天皇の子孫ですよね。将軍は足利義満の代の時に神格化されましたが。近年、朝廷からの将軍任官を断ったという説もでてきてますよね。天皇=治天、将軍=
武家の棟梁。秀吉=下人の象徴ですからムリだったから関白とう役職に目をつけたのかな。

A 回答 (5件)

最近の研究で「秀吉の朝鮮は、南蛮人のキリスト教化と植民地化に対抗するためだった」という説がでています。



実際、秀吉は当時スペイン領だったフィリピン総督に対しても降伏勧告状を送っています。

日本国の「国書」としてこのような文章を送れるのは、朝廷だけです。秀吉は関白になることで「朝廷を代表して書簡を送る」ことができたのです。

これは幕末も「幕府が条約を勝手に結んだ」として大問題になっています。将軍が国書を送ったり条約を結ぶ判断をすることはできましたが、必ず天皇に報告しなければならず、それを受ける役目が関白です。

もちろん将軍などに「天皇の方針や決定事項」を伝えるのも関白の役目で、関白の地位は将軍より上ですから、関白になれたのに将軍になれなかった、というのはありえないでしょう。
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朝廷の最高位は関白です、天皇に代わり政治を行う立場です。


征夷大将軍など、何時でも解任出来る立場に有ります。

朝廷が源氏の系統でなければ征夷大将軍に任命出来ないと、小細工を
してきたので、大金で藤原姓を賜り関白職に就きました。
朝廷最高位を得た秀吉は、内政、外交、軍事の全てを握ったので、
日本には豊臣秀吉に逆らう者は誰も居なく無くなったのです。
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当時の秀吉にできないことなど何もない。


征夷大将軍を狙って室町幕府15代将軍足利義昭に養子縁組を頼み、断られたのは事実かもしれないが、征夷大将軍になる方法なら他にいくらでもある。

秀吉としては、摂関家の猶子になったり、藤原氏と同格の姓である「豊臣」の姓を手に入れることが可能で、それによって自分が天皇に次ぐ№2で、人臣最高位である「関白」の座に就けることができると分かった瞬間に、そちらに方針を切り替えた。そういうことでしょう。

朝廷の単なる一武将でしかない征夷大将軍ではなく、人臣最高位の関白になれたからこそ、恋焦がれていたお市の方の娘でプライドの高そうな茶々殿を、正室ではなく、側室でも迎えることも出来た。それほどに茶々殿の心を掴むことが出来たのは、それだけ関白という地位の威力が凄まじかったということでしょう。
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征夷大将軍は、源氏の血筋しかなれません。

だから、平氏の血筋の織田信長も征夷大将軍になれませんでした。ましてや平民の出の秀吉にはなれません。だから、秀吉は公家の家に養子に入り関白を目指します。
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征夷大将軍より関白の方が上なので。


武家の頭領より天皇の補佐を選んだってこと。
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