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英語で「形容詞+名詞」からなる表現を複合語と判断するのか、それとも単なる句と判断するのかを区別する基準は何なのでしょうか?

たとえば、『ジーニアス英和辞典』(第3版、大修館書店)、『ウィズダム英和辞典』(三省堂)、『レクシス英和辞典』(旺文社)及び『カレッジライトハウス英和辞典』(研究社)でeconomicの見出し語から economic sanction(s)を調べてみると『ジ』では複合語、『ウ』及び『レ』では単なる句として載っています。『カ』ではsanctionの見出しの下で例文中に句として取り上げています。

「形容詞と名詞の間の親密度」が大きく「出現頻度」が高い場合に複合語と判断されるのかな、という気が個人的にはしますが、

《質問》
(1)以上の2つは基準であると考えてよいのでしょうか?
(2)ほかに何か基準はあるのでしょうか?

A 回答 (2件)

Gです。

 こんにちは。 お久しぶりですね。

最近このカテで同じような「単語・語句の分類方法の多様」ないし「分類基準の不明」への質問が多く見られますね。

これは英語への関心・理解が深くなり分類作業に疑惑を感じることが出来るようになった人が多くなった、と言うことだと思います。

つまり、分類すること自体に一貫性を持たせることができなくなってきたと言うことでもあるし基準そのものの存在がないという証明でもあるわけです。 さらに、分類する必要性自体の存在価値が本当はないのではないかという疑惑さえ感じる人が多くなってきたのではないかと思います。 (私はご存知のようにそれらの人たちの一員です)

7色の存在させ分かればいい虹のお話から何万色を考える衣装デザイナーまで、分類の価値観が違いますね。

つまり、ひとつの辞書がこうだからといっても(それがいかに「威厳のある・あったものであっても)もうそれを鵜呑みに信じる時代ではなくなったと言うことでもあります。 また、試験のためではなく、また、大学院で英語学を研究しているのではなければ、結局ある語句が複合語であるかどうかは「雑学的知識」に成り下がっていると言うことになります。

と言うことは、これは複合語であるといっても、一人・一社・一辞典の意見であるだけのことの可能性が大きいと言うことになります。 economic sanctionを複合語である、と言えなくなった時代である、と言う事なんです。 

これは現在分詞・過去分詞とされるものを形容詞であると分類するかどうかと全く同じことです。 私のように分類することが単なる(教育・学習上で)便宜以上のものはないとする者にとっては「複合語の分類に入れると決めることの価値」が全く見えません。 

どの複合語をとってもその二つの単語のつながりや関係を見ても違いますね。

例えばonelook.comで * age と検索してみてください。*とageの間にスペースを入れることで複合語や頻繁に使われる表現、イディオム的語句がずらっと出てきますね。

それらを更に分類して、名詞が形容詞的になっているもの、形容詞と一緒になりひとつの単語になったようなもの、など、複合語専門家の分類学を使って「解釈」しても結局「だからどうなんだ」「しかしこういう解釈のある」ということになってしまうのではないでしょうか。 また、xxx-yyyの形に移りつつある語句も見えますね。 また、さらにxxxyyyとなったものもあるわけです。 (sorta,kindaが何であるか分からなかった頃をふと思い出してしまいました)

日本語を習う人に「第二次世界大戦」は複合語である、いや、単なる順番にしたものである、などと教えるでしょうか。 WWIIだよ、と教えた方が無駄な時間を持たずに日本語を使えるようになるのではないでしょうか。 

これは日本語の漢字の語句の解釈をあえてするということと同じなのではないでしょうか。 漢字、すなわち「漢=中国」から来た表記方法である「字」と言うものを複合したものである。 田中さんの祖先はたぶん田んぼがあるところの中ほどに住んでいたのであろう、山田さんは、、、、、、と文字群を解釈するみたいにですね。

こんなにもばらばらに英語用語の定義を変えたり分類の種類が多くなったり「勝手に分類したり」するのではなく、その分類に一貫性をもたらすことで理解が伸びると言うのであれば、文部省あたりが、3年ごとに変化を公表しそれに基づいて試験や辞書を作ることを強制すれば楽でしょうね。

でも、この文章を読んで、Gはなんて馬鹿なことをいうんだろう、と思った方がいるとしたら、もう一度「複合語」と言う分類をする必要が本当にあるのか考えてみてください。 絶対的な信頼性があった辞書そのものが今では一貫性に乏しくなっているのです。

上に書いたことをまとめると、fwkk8769さんがどの語句が複合語であるがどうかを決めればいいのです。 私の知っている限り、「これは複合語でしょうか」と言う試験問題はないと思いますので、結局は個人的判断と言うことになると思いますし、ほかの人が違う意見を持っていても間違いとはいえないと信じています。 つまり、個人の意見を尊重するに値する解釈だ、と言うことになると思います。 (dogは副詞だ、と言う解釈とはレベルが違うと言うことです)

>「形容詞と名詞の間の親密度」が大きく「出現頻度」が高い場合に複合語と判断されるのかな、という気が個人的にはしますが、

私もそう思います。 そして、先生がそう言うから、私の辞書がそう言うから、と言う理由も「あり」と思います。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

この回答への補足

皆さま、ご回答ありがとうございます。アドヴァイスがありましたら引き続きよろしくお願いいたします。

この質問はあと1日程度で閉じさせていただこうと思います。

補足日時:2005/06/04 15:57
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この回答へのお礼

ちょっと急がしくてお礼が遅くなって申し訳ありませんでした。

いくつかの語が形式的に・意味的にまとまったものとして独立して1つの塊をなし、1語として認識されるとはどういうことなのか、という点から句と複合語を区別してみようというアプローチに今の私は興味をそそられます。特に今回お尋ねしている「形容詞+名詞」のまとまりが面白そうです。

どうも、複合語を広く捉えようとする立場と逆に狭く捉えようとする立場がありそうですね。辞書としては複合語として捉える場合には見出し語として項をたてる、という了解があるために私のような疑問が湧くのかもしれません。

Gさんがおっしゃる趣旨に添うならば、辞書ユーザーにとっては、「形容詞+名詞」からなる「チャンクとして使われる」ようにみえるものの意味などを調べたいときに、実際の問題点は、phrase扱いの可能性を重視して名詞から引いていく方が早く意味にたどり着けるのか、それとも複合名詞の可能性に賭けて形容詞の方から引いていくのか、という問題だけかもしれませんね。ただ、この点も電子辞書の普及で問題は解決するのかもしれません。

お礼日時:2005/06/04 15:54

英語に限らず言語学のようなものに対しては全然知識がありませんので、感覚的な回答ですが、露払いとして・・・



英語の場合「複合語」という基準があいまいだと思うのです。
おおむね基準としてはお考えのとおりでよいと思いますが、もう一つ大切な要素に、「個々の意味からある程度はなれた特別な意味を持つこと」があるのでは?と思います。

(a) green tea
(b) green thumb / green hand
(a)は、まあ複合語としての意味を知らなくても「緑茶」としてそれぞれの意味から大きく外れませんが、
(b)になると、これが「園芸の才能(センス)」を表わすというのは少し飛躍がありますね。これは複合語と考えるしかないですね。
(a)でも「緑色の紅茶(ちょっと意味不明ですが)」ではなく「緑茶という別のもの」を指しているという点では、単なる形容詞+名詞とは違うといえるので複合語でよいとも思います。

辞書により採用の範囲が異なるのも単語同士の組み合わせを言えば際限がないので、その中で見出し語とするかどうかは編纂者の裁量によるのではないでしょうか?

余談
ドイツ語だと複合語かどうかは簡単にわかるのですがねぇ…日本語と同様単語になってしまいますから
世界選手権(日本語は複合語でしょうか)
world championship(複合語とも形容詞+名詞とも取れる)
Weldmeisterschaft(どう見ても複合語ですね)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「個々の意味からある程度はなれた特別な意味を持つこと」があるというご指摘。確かに大前提ですね。「編纂者の裁量」という点のご指摘も確かにそうなんでしょうね。

お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

お礼日時:2005/06/04 15:24

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