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大学受験の話です。

色々見た上で、自分の所感でしかありませんが『どこの大学に入ったかよりも大学で頑張れたかどうかの方が大切だ』という旨のことを頻繁に見るように感じます。

自分はまだ高校生の身分なのであまりよく分からないです。
将来大人になり視野が広がれば、やはりそう思うものなのでしょうか?

上記のような主張は実際のところ真偽はどうなんでしょうか?
皆さんの意見をお聞かせください。

よろしくお願い致します┏○ペコッ

質問者からの補足コメント

  • ある程度のレベルの大学の中で考えた場合です。

      補足日時:2025/03/04 19:13

A 回答 (7件)

大学でがんばった記憶はない。

ずっとバイトしてた。授業料免除だったけどぎりぎりぐらいの成績。卒業時には教授からもっと一緒にいたいなぁなんて言われる始末。就職の面接では志望理由を「家から近くて給料がいいから(本音でそう思ってた)」で世界シェア1位の会社に合格。人物は無関係で大学名だけで採用されたと思う。同期には国立大の院卒が多かったというかそればかり。院でてないのは少数、わたしもその一人。

>どこの大学に入ったかよりも大学で頑張れたかどうかの方が大切だ』

で、頑張ったことの何が大切で、大切だからどうなの? って逆に問いたい。
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「人は顔より性格」というのは本当か、話と似たようなものです。


顔は良くても性格が悪い人ならば、顔は普通でも性格の良い人のほうが良い。でも、顔も良くて性格も良い人がいるならば、そっちのほうがもっと良いですよね。
社会生活においても、ある程度の年齢や浅い付き合いのうちならば、「顔」だけで乗り切ることができるかもしれないけれど、年齢を重ねたり社会経験が深まっていくほど、性格が悪ければ「顔」のメッキが剥がれて、顔だけでは乗り切れなくなっていきます。

大学も同じようなもので、有名大学にいても遊んでばかりで何もしていない学生よりも、地味な大学でも目的意識を持ってしっかり学んでいる学生のほうが、「個人」としては評価されます。もちろん、有名大学でしっかり学んでいる学生のほうがなお良い、というのは当然のことです。
「どこの大学に入ったかよりも大学で頑張れたかどうかの方が大切だ」というのは、「トップ難関大学に入りさえずれば(遊んでいても)人生イージーモード」とか、逆に「トップ難関大学に入れなかったら人生終了モード」とか、そういう「顔」だけですべてが決まってしまう、という発想が短絡的であることを指摘するための考えです。
わかりやすく端的に表現した言葉について、その言葉の表面上の意味だけ受け取って「本当だろうか?」と考えるのは、やはり短絡的なことだと思います。
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半分はあってます。

社会人です。

ちな、中高一貫から慶應で友達とか親兄弟などは、
医者や弁護士、大手サラリーマンとか先生が多いです。
平たく言うとエリートになりますね。

「がんばれるか」というのは本当にそうで、僕らの時に「頑張ってる大学」だった理科大や、芝浦はそれぞれ明らかにマーチやニッコマより低い偏差値でした。
4年間勉強ばかりしてる、痛い大学みたいな印象だったけど、
今や偏差値10くらい?上げて、それぞれ早慶やマーチに並ぶレベルになってます。
国立やMARCH落ちた奴が行くところ、みたいでしたけど、今や人気大学です。
個人としてもそうで、評価なんて後からついてくるのだから、あなたなりに頑張れば良いんですよ。逆に親とか学歴の価値なんて永遠には使えなくて、メッキ剥がれた後キツくなるから努力し続けないときつくなるよな、てことです。



自分の先輩で凄く優しくて優秀な方で、部活バリバリやりつつ、MARCHいきましたが、微妙な地方のメーカーしか受からなかった人もいます。
けど、10年近くそこで頑張って転職したら、当時の好景気もあり、東京の名門メーカーに受かって年収が文字通り2倍になったらしいです。

実際は、大学のネームバリューとかは、もちろんあるとは思うんですが、人間は最終的には類は友を呼ぶ的な感じで住み分けていくのかなってのが僕の印象です。

医学部とかもそうで、当時は国立はいいけど、私立行くとか逃げやとか、肩身は狭いぞ、的な雰囲気はめちゃくちゃありましたね、難易度も違いましたし、あと学費も高いし。
けど、意思免許さえ取っちゃえば同じことですし、自分も医者にかかりますが、良い先生だなって感じた方が、後で調べてみると私立出てるとかはよくあることです。そもそも医者の学歴なんぞ調べることはほとんどないです。
また友人見てても、むしろ国立を出てる友人より私立出てる友人の方が医者として成功してるくない?って感じることは多いです。
国立でてるから明らかに出世してるとか、そんなものもないですし。そもそも中高一貫に通ってる子や、医学部受験の子の大半は家が裕福です、お金の心配するのはおかしいのです。

また、友人に銀行員や外資コンサルとかにもいますけど、聞けば聞くほど働きたくないw
彼らは難易度的には就活エリートにはなりますけどね、小金稼ぐのに、何でそんなことしなきゃならんの?
アホじゃない? 幸せになれてないやん。て感じますし、離職してしまってる友人も多いです。
そもそも自分自身を犠牲にして小金を稼がなきゃならないのなら麻薬の売人やった方がいいじゃないですか。
ロマネコンティをレストランで飲むために、その辺に漂ってる人たちは「痛い人たち」だと僕は感じます。
コンサルとか銀行に行くためには確かに特定の大学とが学部が必要です。だが「いや俺には関係ないし」と割り切れたら、多くの人にとっては音大や芸大に行く必要がないように、難関大学に行く必要もなくなります。
向き不向きで明らかに不向きなことを頑張るのは時間の無駄になりやすいとは思います。

では頑張ることに意味ないのか?というと、意味あるのかなと。
まず環境です。僕は慶應にいましたが、なんやかんや努力家で性格も良い人が多かったです、健康で前向きで、人の悪口を言ったり物を盗んだりもしない、差別もしない、留学や海外旅行でも、自分で調べたり、必要な資金をバイトとかで計画的に貯めていけるような人たち。ノアハウもあるし、それを後輩とか友達にシェアできる人たち。
当たり前かもですが、それらが無いと入学できないからです。それが有名大学では普通なんです。
でも「そうじゃないところ」にいくと、全くそうじゃ無いんです。ほんとうに。
ギャンブルや変な恋愛でトラブル起こしたり、時間を無駄にし続けてる。
そもそも成功体験が少ないし、それをシェアしたり、努力で乗り越える経験も希薄だから、クレクレくん、ちゃんになりやすく、常に被害者意識を持ってる、悪く言うと相手として付き合うメリット少ない人たちですね。
特定の大学や地域を上げるつもりはないですが「あそこで子育てはしたくないな」という地域の人は年収が低いとか以前の、倫理的にもよくないし、仲間に優しいとかオシャレみたいな部分でも欠けてるように思います。

僕なんかもやる気のないだめがくせいなほうでしたから、頑張る友人とかに励まされて、受験や恋愛や、語学や就活や勉強に頑張れた気がします。
確率論にしかならないけど「第一志望で入る人が多い大学」や有名大学ほど「周りに良い影響を与えるやつ」は多いと思う。
偏差値云々とかではなくて、広島大学や筑波大学の教育学部、帝京大学のラグビー部など、その分野での名門とされてるところはやる気や能力のある人が集うし、その人が成長できる環境がある気がする。
渋谷原宿が地元なら嫌でもおしゃれになる、足立区の公立に通って格闘技やってたら、嫌でもそれなりのヤンキーになれるみたいな。環境というのは大切です。
そこにいるメリットはあると思う。

最後に人は変わるということです。
実際は受験の合格の不合格で決まるわけでもない。
つまり過程が大切なんです。もちろん受かる方が絶対に良い。
ただ、その過程の何ヶ月とか何年という長い過程の中で人は良くも悪くも変わるのだし、そこを大切にすると良いと思います。

ただ、真摯に自分の人生と向き合ってる奴なら、受かった落ちたの前に、きちんと進路は調べると思うし「こんなはずではなかった」には中々ならないかなと思います。
例えば建築家になりたい奴なら建築学部ですよね。
関西なら国立の京大や繊維大学が、軸になる。けどそれがダメな人が多い、それなら事前に調べといて「大阪工大は偏差値だいぶ低いけど、有名建築家出してるよね」みたいなことはわかる。
そのような気持ちで大工大に行き、そこで6年間頑張れたやつは、就職や人生も上手くいく確率は高い。
それを
「とりま、誰でも受かる建築系の専門か大学」入っておきながら、環境が悪いとか、周りのレベル低いとか、やる気出ないとか、学費高いとか言い出すのはおかしくない?て話です。
でも、やっぱりそういうやつは多いわけですよ。
過程が大切と散々言ってるのに、過程を大切にしてないからそのような結果になる。そんで中退してフリーターとかなるんですかね。

落ちた時に泣ける、周りの物をぶっ壊すくらい怒る、それくらいなら落ちても勝ちだとおもいますよ。
それくらいやったんだ!  というのが価値になります。


さいごに。
偏差値や年収というのは、本来、多方向に伸びてる人間の思考や志向をひとまとめに簡単にしたものです。
マスコミやコンサルや東大早慶を「俺、私には関係ないし」と思えば、マジで関係ないんですよ。

あなたが将来したい仕事や生き方は何?
大学でしたいことは何?
そのために今日しなければならないことは何?
そう捉えていけばよいとおもう。
そこがしっかりしてたら、もし病気になるとか、コロナとか戦争や地震とかあってもきっと軌道修正はできると思う。
変に考え込まないで良いからね。

普通のサラリーマンや主婦になって家に住んで子育てを、するだけでもすごいことですからね。
普通に普通を頑張れ‼️

と思います。
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それは昔から言われることです。


しかし、それを真に受ける人が少ないから、みんな一流大学を目指すんです。

そもそもの話として、難関大学に入れるのは「頑張れたから」ですよね?そして頑張れた人の方が、大学に入ってからも頑張る可能性は高いですよね?
結局、高校までに頑張らなかった結果として志望大学に入れなかった人への慰めの言葉でしょう。もちろん、頑張ればそれなりの成果も出るでしょけど、同じがんばるなら大学に入る前に頑張った方がお得です。
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真偽で言います。

嘘です。苦笑


現実は【どこの大学を出たか】が重要視される世の中になってます。
頭の悪い事だとは思いますけども。

就職・転職・昇進・その他様々な機会において、それが必須になります。
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大企業に入社するには、一流大学を卒業している必要がありますから、それは必要条件です。


しかし、入社後に実力を発揮できるかは大学で学んだことを生かせるか否かにかかっていますから、大学で学ぶ事のほうが大切なんですよ。
私の部下には、旧帝大の大学院修了でも役立たずだったから、平社員の内から左遷させた者が何人も居ました。
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全体像としてとらえると、一流大学出たほうが良い会社に就職できるというのは常識です。

でも努力を否定することは誰にもできませんし、結果を保証することもできません。努力しないよりしたほうが良いという意味でミクロな視点的には正しいのかなと思います。

なので「そういう考え方もありよね」という話で、100%正しいかどうかを決められるようなことではないと思います。
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