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最近、母を亡くしたのですが、初七日法要は葬儀後に行い、

その後、二・三・四・五・六と法要を行い そして四十九日、 

さらに百か日、一周忌、三回忌、その後百回忌、まで何度も続きますが、

何故、こんなに法要を重ねるのでしょうか。

お詳しい方、是非ご教示いただきたいのですが。

A 回答 (12件中1~10件)

四十九日までの七日ごとの法要に関して、二通りの説をききました。



 一つは皆さんがお答えしていらっしゃるように、亡くなられてから七日ごとに裁判が行われ、それが7回あるとの説。これは、どんなに善人であっても生前におかした罪、たとえばささいな嘘をついてしまったとか小さな虫を殺してしまったとかがあるので、それに対して行われている裁判。それをこの世に残った者(つまり遺族など)がお経を唱えることによりこちらから応援してあげる。ちなみに三十五日にあたる五七日の裁判官は閻魔大王だとか。(実際にお会いしたわけではないので本当のところはわかりませんが)
 その結果で極楽浄土か地獄に行くかが決定する。

 もう一つは、亡くなられてから極楽浄土に行くまでには大きな7つの階段があり、一段昇るのに7日かかる。それをこの世から応援し支えてあげるためにお経をあげる。

 どちらの説もお寺に聞いた話ですが、宗派によって多少解釈が違うのかもしれません。

 七日ごとの法要にしても年忌法要にしても、大事なのは忌明け法要の四十九日(三十五日で切り上げでもOK)と一周忌、三回忌なので親戚をよびます。あとはその家の方針などがおありでしょうから、その都度決めればいいでしょう。法事が多い家は発展するとも聞いたことがあります。

 
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この回答へのお礼

非常にわかりやすい解説ありがとうございます。

私の乏しい知識だと、

四十九日の法要は、七七日忌とも言われ、

葬儀の後の最初の大きな法要で、特に「四十九日」が重要視されるのは、

仏教で、亡き人はこの日、閻魔大王に最後の審判を受け、

極楽往生できるか地獄へ落ちるかが決まると言う信心があるらしいのです。

死後49日間は死者の霊は家を漂い、四十九日目に行く先が決まり家を離れるとされているらしく、

葬儀後、家に飾った祭壇(中陰飾り)という祭壇に霊が祭られ、

四十九日が終わると霊は祭壇から仏壇に入ると教えられました。

諸説あるようですが、とにかく葬儀が終わって法事に関心が出てまいりまして、今色々と調べているところです。

私は長男と言う立場上、少しは法事に関する知識を身につけようと思い、今は必死なのです。

最近は○○会館、○○殿などの葬儀屋で通夜告別式を行う事が多いようですが、

田舎と違い厳しいしきたりや妙な拘りを気にしなくてよく、

親切丁寧で簡素化しているので、正直言って色々と気が楽で、非常に助かりました。

さすがに火葬場でのお骨拾いで亡き母の変わり果てた姿には驚きましたが、

母を苦しませた病魔も焼き尽くされたと解釈すればほっとします。

とにかく葬儀屋さんには色々と面倒を見ていただき感謝したくなりますね。

また、ここではさらに具体的な事を学ばせていただいてありがたく存じます。

お礼日時:2005/06/12 00:03

 インドの死生観では「antara<長音>-dhava」という考えがあります。

これを訳して「中有(ちゅうう」あるいは「中陰(ちゅういん)」ともいいます。これは来世に転生するまでの期間であり、この間に儀式を行い善処へ転生することを祈っていたようです。
 このような思想が仏教にも取り入れられ、特に『倶舎論(くしゃろん)』という論書では、中有は七日を一区切りとしてどこかに転生する、それでも転生できなければ最大7回、中有を繰り返して必ずどこかに転生すると、ですから7×7ですから四十九日を「満中陰」といいます。ですから、四十九日までの間に、仏事作善を執り行い、浄土への往生を祈るのが中陰法事です。
(インド思想・仏教に基づく説)

 一周忌・三年忌・三十三回忌などは、支那の儒教における「祖先祭祀」の影響を受けて、日本の仏事でも行われるようになりました。また道教では死後、冥官による裁きをうけるとして、仏教による中有思想と融合し(7×7)、さらには百ヶ日・一年忌・三年忌のこの期間に十王(閻魔王もその一つ)による裁きを受けるとします。
この影響を受け日本では、十王の本当の姿は仏であるとの説が生まれます。
(支那思想・儒教、道教に基づく説)

日本では、死者は定期的な祭りを行うことにより、生前の罪・穢れが清められ、災いをもたらす「荒魂(あらみたま)」から、幸いをもたらす「和魂(にぎみたま)」へと鎮められ、子孫を守る「神」へと昇華すると考えます。そして定期的な祭りにより、その力は強められると考えました。特に死んで間もない死者は、「穢れ」が大きいためより丁重なる鎮魂儀礼が必要とされ、仏教が日本に伝来すると当時の日本人は、仏教に対して「個人の救済」よりも「死者の鎮魂・滅罪」の力に期待を寄せました。そのため、日本では鎮魂儀礼に仏教が積極的にかかわるようになります。それは仏教は「罪を滅ぼしてくれる教え」だと、そしてその力によって「死者の魂が静まる」と理解したのでしょう。葬儀において、死者に法名を授け、出家得度の儀式を行うのも、出家による滅罪の力を求めたことによるものでしょう。そのような「鎮魂のための定期的な祭り」が仏教化したものが「法事」でしょう。
 このあたりが仏教教義の建前の部分と、信者の求める本音の部分に矛盾が生じるので、ただ単に「経典にないことだから無意味」というわけではありません。
(日本思想・神道、民俗仏教、民間信仰に基づく説)

以上は概説ですのでこれ以外にもさまざまな死生観・信仰観にもよります
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この回答へのお礼

非常に専門的で興味深い解説をいただきありがとうございました。

各々が亡くなった者に対して供養し、

無事現世で生きていられることに感謝するいい機会でもあると思います。

母の遺影を見て、その後、手を合わせ明日の無事を祈り、いつもすぐに寝ることにしています。

お礼日時:2005/06/13 23:42

 7日ごとに違った仏様・菩薩様の裁判を受けるので,遺された者が亡くなった者に追善するというのが通説のようですが,浄土真宗の場合は,亡くなられてすぐに阿弥陀様のおられる極楽浄土に往生されますから,追善など必要ないのですが,7日ごとに法要をすることによって,残された者が仏法との縁を結ぶという聞法の機会と捉えているようです。


 亡くなった日を1日目と数え,7日目の前日(逮夜)に法要を行うようで,例えば,月曜日に亡くなった方の逮夜法要は土曜日になります。
 
 私の住んでいる地域では古くは,昼間にお坊さんがお経を上げに来て,夜に近所の方々が来て,西国三十三箇所の御詠歌を上げるということがされていましたが,昨今はそのような家を見なくなりました。
 
 通夜・葬儀ではバタバタしていて,お参りくださった方々に十分なことができませんから,初七日には親族,二七日にはご近所さん,三七日は故人が仕事上でお世話になった方々・・・・というように人を招いて法要をし,ささやかな食事を提供してお礼を申し上げる丁寧な家もあり,招かれたこともありました。
 
 私の父が亡くなった時も,初七日・三七日といった奇数の折には親族を招き,偶数の折は家族だけで法要を行いました。
 
 「法事が多い家は発展する」と似た言葉は,聞いた事があります。本当は,発展した家だからこそ法事が行える訳です。生活に困窮している家が,7日ごとの法要や百箇日,一周忌・三回忌などの年忌法要といった経費のかかる法事を行える筈がありません。
 法事を重ねられるというのは,幸せである証拠のようなものですし,そのような状況にあることを感謝する機会でもあると思うのです。
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この回答へのお礼

>浄土真宗の場合は,
>亡くなられてすぐに阿弥陀様のおられる極楽浄土に往生されますから,
>追善など必要ないのですが,
>7日ごとに法要をすることによって,
>残された者が仏法との縁を結ぶという聞法の機会と捉えているようです。

亡くなってからすぐに極楽往生できるとは知りませんでした。母はとっくに往生しているのですね。

昨日法要があり阿弥陀経を詠いましたが長いし早いしついて行けませんでした。

しかしまあ、最近の坊さんはビジネスという色彩が強くなりましたね、携帯持参で軽自動車で来て、読経を読んでいただいた後、誰でもが話題にする世間話の後、後一件ございますので失礼させていただきますとの調子、

しかし、あちこちから葬儀や法要でお布施をいただき尚且つ非課税というわけですから、随分と儲かる商売ですね。

ああ、不謹慎な発言でした。お許しください。

お礼日時:2005/06/13 23:34

浄土真宗でしたら、



なくなった方は、「49日」をまたずに「往生」されているわけですから、「7日ごとの裁判云々」は意味がありません。

遺族としたらいきなり家族を失って新しい生活をはじめるための心づもりをつける期間なんだ、ぐらいに思っていればいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/13 23:21

うちは関西の古い田舎ですが、質問者さんと同じようにやります。

2年前に父を亡くしましたが、6日目の夜に初七日をとり行ったあとは同じでした。66日(むなのか)と49日(77日・なななのか)の間に忌明けがありました。49日まで近所の方もお参りするようになっています。
最近ではそんなにするところは珍しいんでしょうね。
宗派は浄土真宗です。
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この回答へのお礼

うちは冠婚葬祭の業者に葬儀を頼んでいただきました。

初七日も一気に葬儀後に執り行われ散開となりました。

お布施の相場、香典の相場、などこれから学ぶべき点が多々あるので大変ですが、

うちは初七日を葬儀会館で終え、

その後の法要は三七日と五七日法要のみを自宅で行います。

四十九日法要は再び葬儀会館で行うつもりです。

お礼日時:2005/06/12 00:15

“法要”の意味はみなさんがお答えされているように“御霊”をおまつりし極楽浄土に導くためです。

先祖を思う気持ちを大切にする事です。(宗派・地域によって法要の日取りは変わっています)
下記サイトは冠婚葬祭全般が掲載されてますので、ご参考に☆★☆

参考URL:http://allabout.co.jp/family/ceremony/subject/ms …
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この回答へのお礼

サイトを紹介していただきありがとうございました。

それにしても葬儀や法事とは大変ですね。

香典返しもこれまた大変な作業です。

お礼日時:2005/06/11 18:16

#1のお方が戸惑われているのは少しご質問の書き方に省略があったからでしょう。

仏教の世界においては、一般的に、人は死ぬと七日七日ごとに極楽浄土に至る審判を受けて、めでたく四九日目を経て、七七日(なななぬか)または満中陰(まんちゅういん)と言いますがこのようにして成仏するというふうに考えられています。そのために生きているものは霊を慰め極楽浄土に行けるよう七日ごとに祭るのです。したがつて二・三・四・五・六でなく初七日から始まりニ七日(になぬか)三七日(みなぬか)四七日(よなぬか)五七日(ごなぬか)六七日(むなぬか)七七日(なななぬかいわゆる49日)になるのですが、現在は殆ど省略されています。又最近では五七日(ごなぬか)で満中陰とすることが多いです。それだけ生活が忙しいのでしょうか。
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この回答へのお礼

非常に明解なお答えありがとうございます。

生活が忙しいと言うよりも、
マンション住まいで親戚は高齢者が多く
遠方の田舎の人が多く、
狭い部屋に親戚全員に座っていただくことは
事実上不可能だからです。
相手に気を使うのも大変なので
だから法要を省略して行う事にしました。

お礼日時:2005/06/11 18:11

初七日の次で


二・三・四・五・六の後に
49日ですから
2×7日、3×7日、4×7日・・・
という意味なのでは?
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#3です



 今 思い出しました


 「二・三・四・五・六と法要を行」うというのは
命日と同じ曜日に 毎週 その夜に お帯夜とかいうので 行うのですよね

 住職さんというか僧侶は 初七日の次は 四十九日まで 来ないけれど 家族と ごく近い親戚が 集まって 霊前で 供養の お経を あげるのですよね

 なぜ そんなに 法要を重ねるかどうかは 故人を
残された 家族が いかに 追悼しているかに かかっているのでは ないでしょうか
 
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この回答へのお礼

>なぜ そんなに 法要を重ねるかどうかは 
>故人を残された 家族が いかに 追悼しているかに
>かかっているのでは ないでしょうか
 
そういえば父も私も初七日後から四十九日までは、
朝晩は手を合わせ拝まないといけないと思い込んで毎日拝んでおります。

この間を「中陰」と言うのでしょうね。

部屋の祭壇「中陰飾り」は四十九日で取り払われるらしいです。

わかりやすくお答えいただいてありがとうございました。

お礼日時:2005/06/11 18:04

こちらの地方も#1さんと同じパターンですね


「二・三・四・五・六と法要」の意味が理解できませんでした

 法要を重ねるのは,住職さんも収入がないと困るからですかね(^^;と言ったら不謹慎かも(^^;

 世間の目が気にならないなら適当に省いて行えばと思います

 参考URLを見られたら法要の由来が一部載っていますので,転記しました

●中陰供養の始まり

 人が死んで次の生を受けるまでの49日間を中陰といい、この間7日ごとに供養を行う。この供養は仏典の『梵網経』『地蔵菩薩本願経』などにある。『梵網経』には「父母兄弟 …亡滅の日、及び37日ないし77日には、また本乗経律を読誦講説すべし」とある。日本では10世紀項から49日の法要が盛んとなった。

●法事の始まり

 ◇百ケ日法要
 「百ケ日」法要はもともと儒教の「卒哭忌」を仏教で採用したもの。『礼記』(BC402~ 221)に「士は三月にして葬る。この月や卒哭す」これまでは喪祭であったが、卒哭忌をもって吉祭とする。日本では687年9月9日に崩御された天武天皇の百ケ日法要が12月 19日に行なわれた。
 ◇一周忌・三回忌
 一周忌は中国で行なわれた小祥忌が、仏教に取り入れられたものである。また大祥忌は仏式の3回忌に当たり、死亡より25ケ月目に行なう祭儀である。一周忌は757年の聖式天皇のものが始めで「僧千五百余人を東大寺に議して、斎を設ける」とある。3回忌は鎌倉時代に入ってからで、286年の平重衡の3回忌が始めである。

参考URL:http://www.sousai.com/hp/institut/minzoku/minzok …
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この回答へのお礼

人が死んで次の生を受けるまでの49日間を中陰といい、この間7日ごとに供養を行う。この供養は仏典の『梵網経』『地蔵菩薩本願経』などにある。『梵網経』には「父母兄弟 …亡滅の日、及び37日ないし77日には、また本乗経律を読誦講説すべし」とある。日本では10世紀項から49日の法要が盛んとなった。
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つまり、死亡しても初七日から四十九日までは、
霊が極楽浄土か地獄へ行くかの閻魔様の裁判期間と言う解釈でよろしいのでしょうね。

だから審判の日である四十九日は重要な法要なのでしょうね。

貴重な資料を提示していただきありがとうございました。

お礼日時:2005/06/11 17:55

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