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この2つの戦乱って、なぜこんな名前がついたのですか?何かの9年前?何かの3年後?なにか意味があれば教えてください。

A 回答 (4件)

前と後は、この2つの戦いのお互いのそれに対してです。


前のほうの戦争は9年間で、後のほうの戦争は3年間だったことからこの名前になっています。
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役という意味だけ説明します。

日本史でいくつか出てくる役という言葉は、必ず対外戦争のことをいいます。
つまり、前九年の役と後三年役は、昔は対外戦争だと考えられていたのです。
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この回答へのお礼

みなさんありがとうございました。そういうことだったんですね~。

お礼日時:2005/07/02 15:30

1051年~1962年の12年間を9年・3年に分けてるみたいですね



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E4%B9%9D% …
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Q「前九年・後三年の役」の呼び名の由来は?

日本史に詳しい方、どうか教えてください。
平安時代後期の「前九年・後三年の役」ってありますよね。
鎌倉時代初期までは、前九年の役は「康平の十二年合戦」と呼ばれていたと古今著聞集にあるのですが、ではいつ頃からどういう由来で「前九年の役」と呼ばれるようになったのでしょうか。
同じように、後三年の役も、後白河法皇が後三年合戦絵詞をつくったことからそう呼ばれるようになったことまでは分かっているのですが、その後三年という言葉がどこから出てきたのか分かりません。
やっぱり、「前・後」というからには何かから起算して9年だったり3年だったりするんでしょうか?
学校の先生に聞いても「知らん」と言われてしまいます。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

源頼義と安倍氏の戦いは、古くは、「奥州合戦」とか、「奥州十二年合戦」と呼ばれていました。それが、「前九年の役」と呼称されるようになったのは、鎌倉時代からです。ところが、この九年という年数がどこから出されたものかは甚だあいまいで、恐らくは十二年合戦というのを源義家の「後三年の戦い」を合わせたものと錯覚し、十二年から後三年を差し引いて出された年数と考えられます。もっとも、十二年合戦という呼称は、頼義が陸奥守となって赴任した永承六年から、安倍氏との戦いの終結する康平五年まで足かけ十二年に及んだことに基ずくのですが、実際に十二年の間戦闘が行われたわけではなく、こうしたことも後に誤解を生む原因の1つにもなりました。


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