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よろしくお願いします。

父が脳梗塞を患い、10年経ち、ずっと家におります。
毎日、1日中TVを見、ずっとパジャマ姿で過ごしています。
母は、口うるさい人で、何かにつけ父が気に入らない様子で
まるで、刑務官のようで、「監視」に近い状態です。
父は穏やかで優しく、母がどんなに自己中心的に振舞っても
「言ってもしょうがない」という感じです。

後遺症と、加齢のせいで、どんどんと、症状は悪くなる一方で、
本当に最近は顔から生気が抜けてしまっています。

何の楽しみも無く(あるのですが、パチンコ、酒、タバコですが全て母に禁止されています。【失禁もありますので仕方ないのですが。。。】)本当に、ただ、
母の管理下のもと、生きているだけです。

私も母とそのことでよく、口論しますが、「ずっと一緒にいないからわからない」
とか、「口出しされる覚えはない」と逆切れ状態です。
私も、実家にお世話になっている状態なので、強くは言えないところもあると、
引いているのですが、たまりかねて、爆発してしまいます。。

今日父が、「死ぬのを待ってるだけ」と言う言葉を発し、私としては
「親なら、そんな言葉は子供の前で言ってはダメ!」と言い、
「生きているということは、何かまだ、使命が残っている証拠」と言ったのですが、本人には、届いていないようです。

幼いときから、父がいないと、生きていくことさえ、やばかったときもあります。
今まで、私達のために頑張り、せっかくの老後が「病」で自由を奪われてしまった
父に、これから私ができることは何でしょうか?

A 回答 (21件中1~10件)

お久しぶりです。


気功法でも指一本から出来るものもありますが、後遺症はどの程度のものなんでしょうか?
http://www.issizenko.jp/

脳梗塞のリハビリにも気功法は効果ありますし、体験者の方々の話などを伺っているだけでも、勇気と希望が湧いてきます。気功法でガンと闘っている人達もいるんです。で、本当に自然治癒してしまう例だってあるんです。
昔は脳細胞は一度死んだらお終いだと言われていましたが、今は、神経幹細胞というのが見つかってます。
http://www.med-doctor.info/brain/

神経幹細胞と脳梗塞の回復の実際は、正直、わかりませんが、少なくとも「生きる希望」「意欲」を掻き立てる話であることは間違い無いと想います。

私だって「この心を治してみせるんだ!」という希望を与えてくれた本というのがあるんです。一冊だけ!、希望に満ち溢れた肯定的な内容の本との出会いがあったんです。あの本との出会いから始まって、紆余曲折して、今日に至っているんです。希望なんて何処に落ちているか判らないものです。



で、ちょっと違った角度からも回答させていただきます。

もし、この世が楽園だったら・・・・
生まれたばかりの赤ん坊を放置しておいても誰かが育ててくれますから、安心して捨てられます。
何の心配も不安も恐れも無い世界だと、人と人との繋がりも希薄になるんです。

ところがこの世は不安定極まりない世界ですから、逆に、つながりが強固になるんです。
「心配」ってやつですね。

ACも、「安全な場所」が無かったからですよね。
いつも、不安定な環境におかれ、感情を揺さぶられてきたから、
セルフコントロールが出来ずに、生き辛くなるんです。
「心配」ばかりした結果、「平常心」が欠如するんでしょうね。

で、私たちが、いつだって肝に銘じてなければいけないのは自分の幸福なんです。

ところが、大半の人は< 自分は環境の犠牲者だ! >と信じているんです。
自分が不幸なのは環境のせいで、自分が悪いわけではない。
逆に言えば、環境が変われば自分も変われると信じているんです。

確かに不安定な環境の影響で不安定になってしまったんですが、
本当は、私たちは環境の奴隷ではなく、支配者なんです。

「自分で想ったとおりの自分になっている」・・・ただ、それだけなんです。

本当です!
試しに、今日一日の自分の行動を振り返ってみてください。
想ったことしかやっていないハズです。
逆にいうと、想わなかったことは、絶対(!)にやっていないハズです。

人間は想ったとおりの自分になるんです。
つまり、私たちは、いつだって自分で自分を変えることが出来るんです。
私たちは、環境の犠牲者ではなく支配者なんです。
「私が笑えば、鏡が笑う」んです。(ミラーの法則)
これは永遠にして絶対普遍の自然法則です。

だから、お父さんのことを心配するのは、もう止めたほうが良いんです。
私も散々闘ってきたんですが「環境を変えたい」という願いは捨てたほうが良いんです。

自分が幸福になるためには、環境も変えなくてはいけないとの想いを抱いていると、【完ぺき主義者】になってしまうんです。「心配」という感情が「完璧」を目指すんですから、全てが狂ってしまうんです。(これだって苦悩・うつ病の一因だと想います)

こちらを一読してみてください。
成功者は”完ぺき主義はいけないよ”と教えてくれてます。
http://www.ginzamarukan.jp/special31.htm


  幸福へのキーワードは「環境と闘うな」です。

  環境闘争するのは奴隷だけです。
  私たちは環境の支配者なんですから、もう闘わなくていいんです。
  もう、頑張らなくて良いんです。

環境を変えるのではなく、今、此処で、自分が変わってしまえば良いんです。
そうすれば、ミラーの法則(原因と結果の法則)に基づいて、環境も変わるんです。



はっきり言って、みんな死にますから、お父さんが正解なんです。
悪いのは完璧を目指している「心だけ」なのかも知れません。
なぜ完璧を目指すのか?というと「完璧に環境が変わらなければ、幸福にはなれ無い」と信じているからだと想います。

少なくとも私はそうでした。
長い間、環境に依存して、責任転嫁してました。
独りで闘ってきたつもりなんですが、空しい闘いでした。

でも、そのお陰で<< 信念 >>だけは強固になりました!
きっと、tr4さんも、<< 強固な信念 >>の持ち主ではないかと想います。
長い時間かけて心の奥で育てられた信念は、絶大なパワーになるんです。

  楽になりたい。
  良い想いがしたい。
  気持ち良いことがしたい。
  快適な暮らしがしたい。
  幸福になりたい。・・と、

こんな単純な信念が、今日まで、心の中で育てられてきているハズだと想います。

・・と、ちょっと長文になりすぎますので、こちらの本を図書館で借りてみてください。
「ポイっぽい仙人の「いいこと」が起こり始める不思議なじゅ文」
http://www.niji.jp/home/poippoi/index.html

この本はちょっと簡単に書きすぎていますが、言ってることは真理だと想います。
あと「原因と結果の法則」(ジェームズアレン)もお薦めです。

両方とも仏教にも通じている考え方といえると想います。

まだまだ伝えたりないような気もしましすが・・・こんな感じです。
一方的な長蛇乱文失礼しました。

参考URL:http://www.issizenko.jp/,http://www.med-doctor.info/brain/
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、お久しぶりです。
こちらへのご回答ありがとうございました。
Syo-yaさんのご回答はいつも拝見し、参考とさせていただいております。
あれから、実践し、過去ログのその他のことも実践しております。
>気功法でも指一本から出来るものもありますが
>昔は脳細胞は一度死んだらお終いだと言われていましたが、今は、神経幹細胞というのが見つかってます。
存じませんでした。参照HPをじっくり読ませていただきます。
>きっと、tr4さんも、<< 強固な信念 >>の持ち主ではないかと想います。周りはそういいますが、私は自覚ナシです^^

Syo-yaさんの投稿を読んでいて思うことはただ、読んでいるだけなのに「気」が整う感じがします。一時しのぎの「頑張ろう!」ではなく、自然に「やろう」と思えるやる気です。最近漠然と「何がきっかけで治癒に取り組まれたのだろう?」と思っていました。
>私だって「この心を治してみせるんだ!」という希望を与えてくれた本というのがあるんです。一冊だけ!、希望に満ち溢れた肯定的な内容の本との出会いがあったんです。あの本との出会いから始まって、紆余曲折して、今日に至っているんです このご回答は、タイムリーで、驚いています。
私は、Syo-yaさんとの出会いですね。(勝手に『師匠』と思っています^^)
もっと広く言えばこのサイトとの出会いということになると思います。
私も色々まだ言い足りないのですが、先ほど投稿したら消えましたので短め(?)にここで失礼します。本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/06/24 00:19

#33です。



>もし、よろしければ、教えて下さい!

親子でヘコんだ時、テレビゲームやオセロ・黒ひげ危機一髪などなどです。
「勝ち続けるぞ!」と思うと鬱モードや育児で悩んだ時に、イヤな事が忘れられて「前に進むぞ!」と、正気を取り戻せます。

得点表をつけて永遠に勝負し続ける、というのはどうですか?
テレビゲームでクイズものなどはリハビリにもいいそうです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
オセロ・黒ひげ危機一髪、懐かしいですね!

>イヤな事が忘れられて「前に進むぞ!」と、正気を取り戻せます。
今パズルをしていますが、どうも合わないようです。

ゲームに切り替えてみます。ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2005/07/17 06:31

30代後半・女です。

夫&子持ちです。
自分がお父様の立場だったら、子供に何をしてほしいか、と考えました。
特別な事はせず、病気前と同じように生活して見送ってほしいです。

「もし余命○ヶ月、と告げられたらどうするか?」と自分に問いかけました。
やはり親として子供といたいです。他には必要ありません。
ただ、気をお気を落とされないように。病気を告げられてから何年も生きて治療をする人もいれば、健康なのに不慮の事故・自殺で亡くなる人もいます。

楽しみが見つからなければ、ゲーム等で親子勝負というのはどうでしょう?
なんだかやる気がない気持ちの時に「勝たなければ・・・」という発想に変えていけるのではないでしょうか?私はよく利用します。
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この回答へのお礼

あたたかいご回答、ありがとうございます。m(_ _)m
親子勝負ですか?面白そうですね。
どういうのがいいですかね?
もし、よろしければ、教えて下さい!
(おすすめでも可です^^)

>やはり親として子供といたいです。他には必要ありません。

日々生気が抜けている感じです。私にできることはしたいと思っています。
ただ、いろんなものを抱え、荷物が重すぎると感じることも多いですが。。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/15 20:54

パソコン自然復活しました。


やはりこちらのサイトの智慧は凄いですね!

HDDのクラッシュでは無いので、修理先での個人情報の漏洩を心配していたんですが、なんとかなりました。修理に携わる人達も、あまり信用できませんからね。。。(以前、ちょっとしたことをやられています)tr4さんも日頃のバックアップはもちろん、不測の事態に備えて、あまり情報をPC内に残しておかないことをお薦めします。


で、久しぶりに「インナーチャイルド」を読んでみました(笑)
懐かしかったです。本当にこの本が全てのキッカケだったんです。

よく読むと、素晴らしいことが沢山書いてあるんですね。
特にP181-P182辺りに、

「問題の原因を相手に見ようとせず、自分の深い感情に注意を向け、よく感じてみてください」

「人は、自分の中の感情を相手に映し出しているにも関わらず、その感情を自分自身では感じたくがないために、相手のこととして扱ってしまいがちです」

「目の前の問題を相手のことにせず、自分の中で起きている心の動きとして感じとらえていくことで絡み合った心の糸がほぐれてきます」

・・・・と。

「原因と結果」にも私たちは環境の奴隷ではなく、支配者なんだとありました。
我々は、自分の想ったとおりの人間になっているんだと。だから心が大切なんだと。
「じゅ文」の本も、中野裕弓さんの本も言っていることはみんな同じなんです。
もちろん、その大御所は「仏教」です。

で、やっぱり「インナーチャイルド」も、いろいろなワークが載ってますが、私はヴィパッサナーに勝るものはないと確信してます。

例えば、同ページに、「今、どんな感情を味わっているのか、同様な感情を今までに繰り返し感じたことはなかったか、あったとしたら、それを最初に感じたのは何時だったのか、思い出してみてください」とありますが、こんなことはしないほうが良いと想うんです。

それが、また執着となり、心が原因追求という電車に乗って、何処かに行ってしまうからです。

ですから、ワークは必要ないと想います。
ヴィパッサナー瞑想だけやっていれば、完璧だと想います。
これには、太極拳の要素も、心理療法の要素も、全てが含まれていると想います。

中野裕弓さんの本にありましたが、瞑想(彼女はTM瞑想)により、自分の心に気づくことを始めるようになってから、脊椎側湾症の痛みがなくなり、薬も不要になったんだそうです。

これは、私が勉強してきた中にも西洋心理学のPOP心理学やフォーカシングというものでも、やはり身体意識からのメッセージを感じること(気づくこと)で、癌が自然治癒したとか、病気が治ったというケースが多々あるんだそうです。不思議なんですが「ラベリング(感じる、気づく)」という作業をすると、解放されるという事実があるんです。 構造を理解する(悟る)と機能してしまうのが人間という生き物なんでしょう・・・?


身体意識、自分の状態をラベリングするということは、注意深く、自己観察するということです。
つまり「考える」から「感じる」にスイッチが切り替わったときなんです。
観察、洞察は<感じる作業>なんですね。

ブルス・リーも「考えるな、感じろ」と言ってました。

<感じる>と人間は、未知の力を発揮するんでしょう。
<気づく>と同義だと想ってください。
気づくは「サティ(念)」というんです。
<念じる>とも言うんです。
つまり、みんな同じで、思考の枠外の作業なんです。
この作業が心(脳)に効くんです。

だから太極拳もいいんです。
ヴィパッサナーの歩く瞑想も、ようは太極拳です。
禅の世界でも、ユックリ歩くという修業があります。

普段の2~3倍の遅さで、動くんです。

トイレに行くときも、立ち上がるところから始まって、つま先の向きを変える時も、上体の体重移動するときも、ユックリ確認しながら(感じながら、気づきながら、念じながら)ユックリと丁寧に歩くんです。入浴中も出来るだけユックリ体を洗うんです。気づきながら、感じながら。
普段の動きのままではダメです。
普段どおりの速さだとそれは脳の活性化にならないからです。
太極拳と一緒で、ユックリ、丁寧に感じながら暮らすんです。
なにも難しいことはありません。
気功的生活、禅的生活といえると想います。

そうすると、ある日、「今、此処の自分」を強烈に感じられるときがくると想います。
子供のころのような感覚が戻ってくると想います。


頑張ってください。
私も頑張ってます。
本当はお父さんにも一指禅でもお薦めしたいですけどね。

この回答への補足

電車ですが、昨日は恐ろしいことを体験(発見)してしまいました。電車は決して自分だけのいろんな電車に乗るだけではなく、他人の電車に拉致られて、中で「ぼこぼこ」にされてしまうのではないか?ということです。私は女性達の「嫉妬・妬み」の電車に拉致られ、怖い思いをしました。(解釈が間違っていたら、訂正願います)自ら乗ったのかもしれませんが、彼女達の”激しい嫉妬”の電車に強制乗車させられた感が抜けないのです。(原因と結果の本とは全く解釈が違うので、やはり”己”が招いたことだと思うのですが。。是非この辺をお聞かせいただけたら助かります)怖くて眠れなかったのです。(思えば幼い頃からです。)
じゅ文。。読みました^^すっごく簡単でしたがおしゃっていたように”深かった”です。。。私にはまだ、不可解なことが山ほどあり、それらが”点在”しています。それらは全て”線”で結ばれると思う”点”なのでひとつひとつ丁寧に納得しながら自分の中に落としていきたいと思います。「インナーチャイルド」届きました。きっと「アマゾンで検索・・」と言ったから購入しているとご心配おかけしたようです^^;補足ですが検索後、図書館の在庫を検索します^^ですのでご安心下さい。では、また。。

補足日時:2005/07/11 00:52
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この回答へのお礼

復活されたみたいで、おめでとうございます(*^-^*)このサイトでの伝授からの伝授みたいですがやはり、結果が早く出ましたね^^Syo-yaさんの、日頃の心の原因→結果なのでしょうね。私へのご提案もありがとうございます。いつ、何時、不測の事態が発生するかわかりませんし、私もちょっと点検したいと思います。私はまだ、「考える」が主になっていますね。。でも焦っていません。きっといつかは思考→感じるにシフトチェンジできると思っていますし^^お風呂の中では昔から副交感神経が優位になるためか、「ひらめき」が多かったです。ですのでお風呂での実況中継はなかなかいいなと思っています。ちなみにナレーションはなぜか「トリビアの泉」の男性の声なのです^^機械的でいい感じです。淡々と中継するには、最高です^^瞑想をやっているときだけは、変ですが「あ、私ここにいるんだ」と思うときが多いです。それ以外はここにいても存在していることを生々しく感じることが希薄になりますが瞑想はその感じを”濃く”してくれる。。頭もすっきりクリアで、本当に最初はやり方もよく分からなかったですが^^;Syo-yaさんのお陰でここまで来ました。。私が行ってる太極拳ですが、超早いです^^;Syo-yaさんの今日の投稿を拝見して「あれ?」と思いました。まず、初心者は完全についてはいけません^^;以前気功を習っていたのですが気功の5倍くらいの速さで「簡化二十四式(字あってますか?)」が過ぎていきます。。補足へ続きます。

お礼日時:2005/07/11 00:52

確保

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この回答へのお礼

今日は、いつも以上にヴィパッサナーをしたつもりです。
理由は→http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1509893です。
信じていた人に裏切られる、というのは、私の宿命みたいです(;;)
Syo-yaさんからのご回答拝見し、涙が止まりませんでした。
(私はセンチな自分を最大限許しているようです)
原因と結果、因果応報、いろんなことを考え言い聞かせましたが、
どうも、ダメのようでした。
Syo-yaさんの回答で思うところはたくさんありました。
その回答は、今日はできず、結局、センチな自分に振り回されてしまった今日でした。(今日は意識し積極的に瞑想、唯物論を駆使したのですが。。)
上記は先ほど、質問したばかりですので、また、素晴らしい知恵を授かれたら
ありがたいです。
(気が向かれたときで構いませんので^^)
”同志”として、扱ってもらったこと、本当に心から嬉しかったです。ありがとうございます。

お礼日時:2005/07/13 01:36

tr4さん、こんばんは。


また来てしまいました…^^;
その後、お父様のご様子はいかがでしょうか?

私のほうはというと、まだ猫が帰ってきません…もうそろそろ1ヶ月になろうとしています。

不思議なもので、精神的に波があるものなんですね。
わりと平気でいられるときもあれば、急に涙が止まらなくなり、また以前のように苦しくてどうしようもなくなる時もあります。

でも、私がしっかりしなくちゃダメですよね。3ヶ月後、半年後に帰ってきた、という経験談を心の支えに…

私のことはさておき、tr4さんのお父様やお母様、そしてtr4さんご自身のお体の具合はいかがですか?

tr4さんやSyo-yaさんのお話はとても難しい感じがして、バカな私にとっては理解の範囲を超えている感じもしますが(笑)、きっとものすごく為になる話なんだろうな、というのだけは伝わってきます…^^;


ここに書いてあるいろいろな回答を読んでいると、やはり人間は精神的なものに左右される部分が大きいのかな、という気がしてなりません。

お父様には、やはり『死』を前提にではなく、『生きること』を前提に、物事を考えて欲しいな、という気がものすごくします。

私としては、お父様が見事にご病気を克服なされて、tr4さんご一家がみな笑顔で過ごせるようになれればいいなと願っています。

'アドバイス'を選びながらも、何のアドバイスにもなっていませんが…^^;
陰ながら応援しています。
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この回答へのお礼

ihsuoshtuaynrさん、お久しぶりです!来ていただいてありがとうございます。
そうですか。。きっと何らかの良いご報告があるだろうと、お待ちしておりました。>不思議なもので、精神的に波があるものなんですね=私も1日ずっと穏やかでいられないです。波だらけでさらわれてばかりです。>でも、私がしっかりしなくちゃダメですよね。=あまり、ご自分を追い詰められないように。。私なら、もし長い間帰って来なかったら、ihsuoshtuaynrさんのように強くはいられないかもしれません。本当にこちらが勇気をもらっています。ありがとうございます。
大変な中、うちの家族のご心配までしていただいて。。恐縮です。もし、こちらの質疑でihsuoshtuaynrさんのご参考になれれば私もですがきっとSyo-yaさんも喜んでいただけると思います。>お父様には、やはり『死』を前提にではなく、『生きること』を前提に、物事を考えて欲しいな、という気がものすごくします。=私自身どうして良いか時々考えることがあります。おっしゃるとおりです。闇夜に灯った優しい灯火のようでした。ありがとうございます。何かあればまた、いつでも来てください。私も引き続きお祈り致します。。。

お礼日時:2005/07/05 05:13

しつこくすいません。



自分がどの電車に乗っているかは、
「今、心の車窓にどんな景色が映っているか?」で判ります。

これは私が実感したことなんですが、
本当に些細なことがキッカケで、車窓に最初の景色が映ります。
そうすると、それに関連した景色がドンドンと映り出されていくんです。
まるでコマ送りの映画のフィルムのように、次々と車窓の景色が変わっていくんです。

で、気が付くと、電車が走り出しているんです(笑)

どっちかというと、「電車が走っている」というか、
「車窓の景色が流れていく」と、言ったほうが、より正確かも知れません。

経典にも「心のプロセス(心行)に気づきましょう」とありましたが、たぶん、この電車のことだと想います。


思考って不思議で、関連性のあるものばかりチョイスして持ってきてしまうんですよね。。。
だから、違和感が無いんです!

違和感がないから、気が付いたら、車窓の景色として流れ出していくんです。
で、気がつくと、遠い、遠い世界に拉致られてしまうんです。

そうなると自分の身体感覚にも鈍感になって、「心、此処に在らず」になるんですね。。。。。
(上手く出来てますね、心って)


だから、自然な呼吸(身体意識)に気が付きながら、さらに心が電車に乗らないように観察し続けるんでしょうね。
「今、此処の自分」にいることが大切なんです。

瞑想は進んでますか?
歩行瞑想のときは歩行の感覚、
坐っているときは、呼吸の感覚
立っているときは、立っている感覚
何か動いているときは、動いている感覚・・・と、
「今、此処の自分」に気づき続けながら、さらに、心が何処にもいかないように見張っているんです。

焦りや苛立ち、孤独、劣等感、絶望感・・・が車窓に景色を映し出しても、それに騙されて、その電車に乗らないようにするんです。
これらは、みんな悪魔の手先の工作員による拉致ですから、注意するんです。

これを体得していけば、いつでも善い景色を心に映すことも出来るようになってくるんです。
こんな記事を見つけました。
http://www.mypress.jp/v2_writers/miyu_desu/story …


もし、私たちが、「心」の管理が上手に出来るようになってくれば、お父さんの心さえもコントロールできるようになるのでは?と想うんです。
普通だった、相手の気持ちに感化されてしまって、自分も辛くなってしまうんですが、「平常心」を保つことにより、冷静に対処できるようになってくると、相手の心の電車さえも「今、此処に」戻して上げられるのではないかと想うんです。

どうか、この瞑想は一生続けるつもりで頑張ってみてください。

私も、まだまだなんですが、自動車の教習と一緒で、最初は出来なくても、なんだか知らないうちに、出来なかったこと、判らなかった感覚がわかるようになってしまいます。出来なかった頃の自分と、できるようになった自分では、何処がどう変わったか、自覚がないんですが、確かに変わってしまうものなんです。
ですから、決して諦めずに、「雪山のひとかき」のつもりで、お互いに頑張っていきましょう。
雪山のひとかき(いい話ですね・・・)


あと、お薦め本です「ミャンマーの瞑想」マハーシ長老

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877310 …

この回答への補足

Syo-yaさんがおしゃっていたように、欲望は人を破滅に向かわせるということが最近ほんの少しですがわかるようになってきました。何も持っていない方がはるかに身軽です。少欲知足、多財餓鬼、今これを実感しています。アリ地獄にいる自分に気付けるのはアリ地獄にい自分がいることがわからないといけない。今、そう思います。私は元々ブランド主義でも、いわゆるトレンドとはほど遠い人間ですが、街に出ると気後れを感じていて、なんだか意にそぐわなくても”朱に交わっていた方が安心”とせっつかれた感覚に陥ることが多々ありました。でもそれが、悪の商戦に参戦することなんだなぁとぼんやりわかり始めました。”初めに気付きありき”ですね。今までの心理療法にかけたお金、もったいないです(笑)私は自分で「気付く」ことでこんなに大きく進歩できるなど、思ってもいませんでした。以前「師匠ではないのですよ」とおしゃっていましたが、「恩人」であることはこれ、間違いありませんので^^だって私本当に潰れかけていたんです。このまま私どこ行くんだろう?って。「生きてることが辛い」これの毎日だったんです。挙句のさんぱち、親のことも背負ってますから^^;ご存知かも知れませんが、最近良いサイトを発見しましたので、貼り付けておきますね^^では、また、是非お話聞かせて下さい。私も日々頑張って生きます。
http://sugano.web.infoseek.co.jp/

補足日時:2005/06/30 23:58
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、また来ていただいて嬉しいです^^
>しつこくすいません。いいえ!「確保」の欄が欲しいくらいです^^
瞑想はやっています。身体意識など考えたこともなかった私ですが、今日初めて断酒会に出席したのですが、意識を丹田に落とし「緊張している・・」となだめ、ちゃんと発表できました。いろんなことに気がつき始め私は変わり始めました。昨日はACの自助会、今日は断酒会と初めて参加しました。これはすべてSyo-yaさんのお陰です。それまでは、そういう会があることも知りませんでした。本当にお礼が言いたいなと思っていたときに、こちらに来ていただいて良かったです。Syo-yaさんからご紹介いただいた「無名の南軍兵士の祈り」。もしかして、先日おしゃっていたきっかけはこの本かな?と思ったのです。私は「雪山のひとかき」です。今まで死なずにすんだのは、何度もこの詩に支えられ救われたのです。いつもお世話になりっぱなしでSyo-yaさんのお力にはなれませんが、少しでもこの詩がお役にたてば幸いです。補足に続きます。。

お礼日時:2005/06/30 23:58

お返事ありがとうございます。



中途半端の原因も、途中で心が電車に乗って行ってしまうからだと想います(^^)
心はアッという間に、ヒョィ!って、何処にでも行っちゃうんですね・・・

私も食事をしながら書き込みをする癖があるんですが、これもダメなんですね。
食事をしているのに、心が着いてきてないんですね。

本を読んでいるときも「自己考察」という名の電車に乗っていったり、
「思い出」という名の電車に乗って、すぐにどこかに行ってしまうんです。
あっち行ったり、こっち行ったり、すぐに電車に乗りたがるんですね。。。。
こうやってすぐに何処にでも行ってしまう心が「獣性」なんだと想います。

これは、鍛えなおすしかないと想っています。
瞑想で実際に鍛えられるんですから、問題無しです。

子供の躾と一緒ですね。
自分を躾直すんですね。。。



「成功するには成功するまでやめない事だ」
「成功のコツは自分で言い訳を見つけないことだ」
という言葉があるんです。

もし、失敗して、あきらめて、みんな捨てて、10年のブランクが空いたとしても、
そこから、また継続すれば、成功への道なんです。

自覚はなくとも、心の奥深い場所で成長している「信念」が、そこに導いてくれるんです。


だから継続する心が「無い」なんてことは、それこそ無いんです^^

心が途中でどこかに行ってしまっただけなんです。
でも今はもう心を躾ける唯一の方法を知っているんですから、もう、進むだけです。
この道に絶対!に間違いなしです。
私がよく知ってます。
本気で勉強していきましょう。

>>こういう回答をするのは今まで「認められたい」と思っていたので「頑張っているフリ」をしてる自分に気付けたからだと思います。それが苦しかったけど、そこから脱皮できなかったのです。。

人間は本当に不思議なんですが、ものごとの「理(メカニズム)」を理解してしまうと、ちゃんと機能してしまう生き物なんです。

脱皮できなかった理由も、心がXXという名の電車に乗っていたからなんだと想いますよ。
その電車名に気が付いて、下車すれば良いんです。

そして、<< 今、此処の自分 >>に帰ってくれば良いんです。

ただ、それの繰り返しです。
頑張りましょう。


あと、お父さんですが、死を恐れるのと、死を覚悟するのでは、死を覚悟するほうが勝っているんです。
それは、ある意味では、ものごとを正しく認識できている証拠なんです。

では、また。
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この回答へのお礼

>自覚はなくとも、心の奥深い場所で成長している「信念」が、そこに導いてくれるんです。
力強いお言葉ありがとうございました。「これ」だけは自信があります!
諦めない勇気をいただけました。教えていただいた瞑想だけは、かろうじて細々と、続けているつもりです。おそらく混乱しているのかもしれません。
>そして、<< 今、此処の自分 >>に帰ってくれば良いんです。
ただ、それの繰り返しです。
頑張りましょう。
常に「今、此処」が定位置だということ、それの繰り返し、本当にシンプルです。
なのに、すぐ複雑になるのはやはり乗車中の電車に気がつくこと、それに気がつくことですね。。
父のことも色々ご心配、アドバイス、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/26 15:31

じゃあ、お言葉に甘えて・・・(苦笑)


と、その前に、下のリンクは「回想法」だったのですが、消えてましたね。。。

是非、電車のイメージを大切にしてみてください。
この電車は何処行きの電車なのか?
なんとラベリングされている電車なのか?に気がつくだけで良いんです。
気が付けば、もう下車しているんです。


例えば、原因を追求している自分に気が付いたら、それは「原因追求という名の電車」です。
お母さんに対して憎しみが湧いたら、それは「憎悪という名の電車」なんです。
腹が立ったら、「怒りという名の電車」です。
今の自分が不憫に思えて、情けなくなってきたら「自己哀れみという名の電車」です。


私たちは、一瞬で、電車に乗せられてしまいますので、注意しないといけないんです。
だって、気が付くと帰るに帰れないほど遠くの世界に行ってしまうからです。
「心、此処に在らず」になってしまうからです。だから、帰るための瞑想をするんです。


人生は強風の吹き荒れる中、ひたすら昇る登山と一緒だと想います。
ちょっとでも気をそらしてしまうと、風に運ばれてしまうんです。
だから油断しないで、気づきを絶やさないように、自分のことだけを見つめていれば良いんです。
そうして一歩、一歩昇っていくと、さらに見晴らしの良いところに出ますから、さらに気づくことが多くなっていくんです。
気づけば、気づくほど、全ての面で楽で有利になるんです。



でも、注意しなければいけないのは、原因にばかり目が向いて親や他人や過去を恨んだりしてはいけないんです。
結果があるところには原因(キッカケ)となった人や出来事は必ずありますが、一番、不幸の原因になったのは【それに気づけなかった自分】なんです。

気づけないで、感情の電車に乗ってしまった”自分にこそ”原因がある(あった)んです。
「象の紐」が原因なのではなくて、それに気づけない自分こそが原因なんです。
ただ、それだけなんだ!!と思えるようになりました。

私も、こういう風に思えるようになるまでは被害者意識が強くて発狂の連続だったんです。
自分が不憫で、哀れで「加害者許すまじ!」という怒りが強かったんですが、気が付けば、それが執着になり、他者と自分を比較する原因となり、自己憐憫の心から「憎悪という名の電車」に乗ってしまっていたんです。

でも、やっぱり、これは環境の奴隷の発想なんですね。。。
いつまでも自分の足元を見ない登山者と一緒だったんです。
だから平常心だって育つわけがありません。
不幸のキッカケとなった人達と同レベルの争いをしているだけだったんです。

だから、今は「原因追及という名の電車」に乗りそうになったら、【原因は気づけなかった自分こそにあったんだ!、これからは、ガンガン気づいてやる!】と決めたんです。「意欲!」です。一日も早く、山の頂上に辿り着くことが大切だと思えるようになったからです。


普通の家庭に育った人は、自然に気づけるんです。きっと。
でも、逆にいうと、彼らは、努力してそうなったわけではなく、これも環境に縁ってそうなっているというだけなんです。たまたま環境がプラスに働いたというだけで、環境の奴隷であることは間違いないんです。

でも苦心惨憺して、此処まで来て、「気づく」ことの本質を見抜いた我々は、もう環境の支配者の道を歩んでいるんです。
「気づく」ということは、仏教の核心になるほど、大変、重要なことなんです。
ですから、筋肉トレーニングと一緒で繰り返し、繰り返し、努力して、気づきの能力を向上させていかないといけないんです。

本当の原因(自分の弱さ)を克服しないといけないと想うんです。
いきなりこういう風には思えないかも知れませんが「復讐するは我にあり」なんです。

「自分が今、何処行きの電車に乗っているのか?」に客観的に気がつくだけで良いんです。

お釈迦さまは「どうやって煩悩という激流を渡ったんですか?」という質問に対して
「私は立ち止まることなく、あがくことなく煩悩の激流を渡りました。立ち止まる時には沈み、あがくときには溺れるのです。このようにして立ち止まることなく、あがくことなく渡りました」とあるんです。この客観性の精神です。


人生に遅いも早いも、所持も不所持も、優も劣も・・・ありません。
それよりも「気づく」ことの大切さ、本質を知ることのほうが大切なんです。

人間は知ってしまえば、機能する生き物なんです。
例えば、ジャンボジェット機だって、その構造を把握してしまえば、自在に扱えるようになります。
人間は「構造」を理解すると、そのように「機能」してしまう生き物なんです。
「心」が機能した人間こそが一番賢いんです。

我々は、気づくことの本質を身を持って知っているんですから、もう、迷うことなく、ゆっくりと正しい道を進めば良いんです。
・・と、ちょっと興奮してしまいましたが(苦笑)、こんな感じです。


で、実は、私も「なんで、ここまで辿り着けたのか?」と、疑問に想っていたんです。いったい、全体、何処をどうやって、此処まで辿り着いてしまったのか? 不思議で仕方がなかったんです。

これこそが「求めよ、さらば与えられん」なんでしょうね

「思考は現実化する」んです。。。。
強固な信念は、現実になる証拠なんです。
中途半端な信念ではダメです。
本気の想いは、本当に通じるんです。。。。

こちらの#1も読んでみてください。
http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1455606

是非、先に進めた二冊(じゅ文&原因と・・)の本も読んでみてください。
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、こんばんは。来てくださってありがとうございました。
いつになく、”熱い”ご回答だったのでびっくりしたのですが、とても嬉しかったです^^じゅ文。。の方は今リクエスト中です。「原因と・・」は早速読みました。今NO.2を読んでいます。いつも色々ご伝達ありがとうございます。上記の内容はまだ、未熟な私にはちょっと高度な内容ですので、これから繰り返し、何度でも読み、理解していきたいと思います。最初の頃のSyo-yaさんの回答を最近拝見しました。もう、すごいところまで行ってるなぁと感心させられます。特に私への回答をいただいて今日まで、4ヶ月くらいですが本当に加速度がついているなぁと思います。それは、今日の
>「思考は現実化する」んです。。。。
強固な信念は、現実になる証拠なんです。
中途半端な信念ではダメです。
本気の想いは、本当に通じるんです。。。。このご回答で納得しました。私は中途半端なのです。これは憐れみでもなく実感してます。最近思うのが「継続」です。
「継続」できる心がガン!と中心にあればどんなことでも成し得ると思うのです。
きっとそれが「無い」のです。。そして「焦り」に変わっていく。。ここを行ったり来たりです。こういう回答をするのは今まで「認められたい」と思っていたので「頑張っているフリ」をしてる自分に気付けたからだと思います。それが苦しかったけど、そこから脱皮できなかったのです。。

お礼日時:2005/06/25 23:55

ご返信ありがとうございます



>幸せなご家庭がバックグランドにある

そうなのかもしれないし、違うかもしれないです。(笑)
確かに、辛い事があっても、
家庭が円満ならば乗り越えることも出来ることが多いと思います。
でも、幸せは自分の気持ちの捉えかたひとつで違うと思います。
わたしには、トラウマになる様な過去もあります。
でも、乗り越えるのは自分自身なのです。
冷たくされたら、その人には思いっきりやさしくしなさいと教えてくれたのは母でした。
赤毛のアンの幸せ探しを教えてくれたのも母でした。
わたしの父も病気で、寝たきりではありませんが、
仕事が出来なくなりました。もう、17年になります。
その中で、母親は実母を引き取り介護をしてました。
(母も父も好きですが、子供の頃は、
母親がどうして父と結婚したのか理解できなかったんです。
ちょっと、変わり者なんです。(笑))

わたしの友人にも、辛い過去を持った人もいます。
実の父親に、首を絞められた子もいます。
でも、みんな幸せになりたいのです。
自分の気持ちに負ければお終いです。
人を責めても解決しません。
みんな生きる力を持っていると思います。
それを見つけられないだけで、
気が付けないだけなのだと思います。
大変だと思いますが、
どんな人間も善人であり、悪人です。
お母様の善人である部分を上手に引き出してあげまあしょう。

私の姑も、かなりの強敵です。(笑)
主人も、随分、苦労したようです。
「子供は親を選べない。」って言ってましたね。
でも、姑を観察していると、口と行動が違う事があります。
ちょっと、天邪鬼なのです。
憎まれ口を叩いてるのに、
してることはやさしかったりすることがあります。

例として、
近所の子が家の前で騒いでたのです。
「うるさいねぇ~、邪魔くさい。」(しかめっ面で)
と言って、外に出て行きました。
手にはお菓子を持って・・・
帰ってきて、
「嬉しそうにお菓子を持っていったよ。」
と、ちょっと嬉しそうに言ってました。
素直に出来ない人なんだなぁ~
不器用なんだと思いました。

他には、私の母が持たしてくれたお土産にも、
正直に文句の言える人で、
わざわざ、わたしに返しに来たこともあります。(笑)

やさしいtr4さんのお母様です。
お父様の選んだ人です。
きっと、隠れた?気付き難い?魅力のある人ではないでしょうか?

なんかおしゃべり好きなので、お邪魔しちゃいました。(笑)
これで最後にしますね。
良い解決策が、見つかりますように・・・
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この回答へのお礼

>なんかおしゃべり好きなので、お邪魔しちゃいました。(笑)
いつでも大歓迎です^^遠慮なさらずにいろいろご鞭撻下さいませ^^
>みんな生きる力を持っていると思います。
それを見つけられないだけで、
気が付けないだけなのだと思います。心からそう思います。今、勉強中です。
私はまだまだ、お子ちゃまです^^ちゃかしでも、嫌味でもなくa_comfortable
さんからのお返事で、そう思います。こうやって、こちらで回答させてもらったり、質問のお礼を記入してて思うのが、結構被害者意識が強いのかもしれません。
きっと、”バランス”が完全に崩れてしまっているのだろうと、思います。
私の中でもきっとわかっているのです。母に対してどうすれば良いか。。
本当にありがとうございました。よろしければいつでも来て下さい。お待ちしてます。

お礼日時:2005/06/25 23:38

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