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1543年ポルトガル船が悪天候にて種子島に漂着した・・8月とありますが、
たぶん当時台風の影響かもしれませんが、1.もともとそのポルトガル船はどこをめざしていたんでしょうか? 2.当時のヨーロッパではポルトガルが一番海運技術にすぐれていたのですか? 3.鉄砲の代金は何で支払ったのでしょうか?金・銀?だとしたらそれはその頃から世界万国で貴重な物だったと思われますか?
ご意見お聞かせください。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ポルトガル船といいますが、実は倭寇のボスの持ち船で、しかもその倭寇のボスがポルトガル人と種子島の領主との会話の通訳(筆談)をしたというのが真相のようです。


というのでその船の目指していたところは種子島にほかならず、鉄砲を売り込みに来たというのが真相でしょう。
そしてその鉄砲2丁の代金としては金でも銀でもなく永楽銭(明の銭)2000疋を支払いました。
一説によると商品サンプルとしてただで提供しようとしたのをそれでは悪いと永楽銭を支払ったともいいます。
彼らとしてはこれからも大量に売り込めればサンプルの1丁や2丁は惜しくはなかったのでしょうが、皮算用とは違ってすぐに日本で国産化されてしまい鉄砲はあまり売れませんでした。しかし火薬の原料については煙硝が必要でこれは日本では産出しないので輸入が必要でした。
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支那海賊「五峯」の船で寧波に向かっていましたが、台風のため琉球に漂着し島伝いに種子島に来たのです。


資料では2000金となっていますが、漂着した西村の主宰織部丞も1挺入手している事から金では無いと思います。
このアルケビュース(阿瑠賀放至.....鉄砲)は引金機構を持っている事から当時の最新式でした。(北欧では同年に引金が採用されたばかりです)
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何かで読んだので記憶が曖昧なのですが、当時ポルトガルやスペインは海運技術に優れていたと思います。



銃はヨーロッパ製のものではなく、日本に行く途中に寄った東南アジア製だったと云われています。
これは当時のヨーロッパの最新の銃に比べて日本に持ってきたのは旧型だったそうです。
また日本側がその銃を購入したのではなくポルトガル側が天皇だか幕府だかに献上したのではなかったでしょうか。

もう少し詳しい資料があったのですが本棚のどこに行ったのやら・・・。
もし見つけたら再度回答します。(上記の回答の間違いもあるかも知れませんし。)
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