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ある文献(神田川菜翁)を見ていたら、江戸の豪商、奈良屋茂左衛門は光通信網を使って上方の情報をいち早く得て、相場を張ったと書いてありました。
そもそもは上方に行ったとき、堂島の会頭から紹介された広島と大阪の間(100里)に構築された海上光通信網を見て、独自の工夫でネットワークを完成させたとか。
大阪~江戸の150里の間、10里ごとにアクセスポイントを作り、管理者を5人ずつ置いて24時間運用したようですが、実話でしょうか。
天気のよい日は反射鏡で次のアクセスポイントにデジタル信号(モールス信号のようなもの)を送り、夜間は蝋燭の光を利用し、最終的に江戸でデジタル信号をアナログに複号すればよいのでありそうな話しです。

A 回答 (5件)

ご質問の趣旨は「実話なのかどうか?」のようですが、人名などの詳細はともかく江戸時代にこういう通信インフラが存在したのは事実だと思います。



割合有名な話ですし、近代以前の中国や欧州でも似たような例はあるようです(軍用が主だと思いますが)。

URLが参考になるでしょうか。
明治時代まで利用されていたとか、当時は電話より安かったとか‥意外なお話が乗っています。

参考URL:http://www5f.biglobe.ne.jp/~tsuushin/sub3.html
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この回答へのお礼

奈良茂のライバルの紀文は旗振り通信となってますし、実話かどうかはともかく、現代人が想像するより高速な通信手段があったのは間違いないようですね。

お礼日時:2005/08/15 07:31

江戸時代には、相場のほかにも両替、つまり江戸は金本位制なのに関西は銀本位制なので、この二地方の換算のために(この両替を行っていたのが、鴻池・安田・野村などですが)、短時間で正確な連絡をとる必要がありました。


 
 このため、伝書鳩、のろし、はたの三種類の方法で、同時に連絡がとられました。
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この回答へのお礼

商人はやはりしたたかですね。

お礼日時:2005/08/15 07:27

日本の江戸時代の海岸地域には廻船の安全を図るために、天気を見る設備が高所に設置され、専任の予報士のような人が配置されていました(特に大阪-尾張-江戸間)。


これらの情報は狼煙などの手段で常時、大阪や江戸、その他の港に届けられ、それを元に運航されていたそうです。

奈良屋の話は分かりませんが、廻船問屋にコネクションがあれば、沿岸の情報網に自らのネットワークを乗せてしまうことができ、あながち不可能なことではないと思います。

少なくとも内陸部ではなく沿岸部にネットワークがあったと思いますね。
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この回答へのお礼

それが出来たからこそ、桁外れの大金持ちに成れたのかも知れませんね。

お礼日時:2005/08/13 12:51

奈良茂の話は知りませんが、考古学の佐原真さんが弥生時代に狼煙(のろし)を使って通信ができるか実験した話があったと思います。


大阪-東京だったと思いますが、見通しの良い場所を探すと、実は無線通信用のパラボラアンテナが設置されている山になったそうです。実験では新幹線に負けたそうですが、前夜の雨か何かで狼煙に着火するのに手間取ったところがあったためで、それがなければ勝てただろうとのこと。
奈良茂が本当にやったとすると、五万分の一図もなく、立体幾何も発達していなかったろうから場所探しが大変ですね。しかも雨天には光も届かないでしょうし。
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この回答へのお礼

戦国期の武田信玄も狼煙を利用したという話がありますね。
そもそも幕府が許可するかとか、可能ではあるけど難しそうですね。

お礼日時:2005/08/13 11:45

 いかにもありそうな話なのですが、私自身も「やっちゃ場伝」(神田川菜翁)でしか目にしたことがありません。

瀬戸内海で太陽光やロウソクをレンズ反射鏡でリレー伝達する海上通信が存在したのは事実ですが、これは瀬戸内海に無数の島があってそこに島民がいるから成立するのであって、それだけのために大坂と江戸の間150里に、10里につき5人、総勢約100人を要所に配置するというのは眉唾っぽいですね。
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この回答へのお礼

そうですよね。
あってもおかしくないけど、眉唾っぽい話しですよね。

お礼日時:2005/08/13 11:43

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