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経済制裁もハルノートも、柳条溝以降の日本の中国侵略に対する欧米からの数々の警告を無視しつづけた結果だと思います。つまり封鎖されるべくして経済封鎖され、突きつけられるべくしてハルノートを突きつけられたのに、なぜ自存自衛だったといえるのでしょうか。

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A 回答 (16件中1~10件)

thisaway さんの言わんとするところは正鵠を得ていると、私も思いますよ。


なぜなら、米国と戦争すれば、日本の自存自衛もあり得なかったからです。実際に1941年夏(真珠湾攻撃前)、日本の若手エリートを結集した「総力戦研究所」(内閣直属の機関)は、「日本必敗、(米国と)戦うべからず」という秘密報告書を出しています。日米の国力差を冷静に考えれば、当時の日本人にとっても明らかでした。
つまり、「自存自衛のため」と称して真珠湾攻撃に踏み切ったのは、自己矛盾にほかならないということです。「やってみなければ分からない」と言ってる場合ではありません。

従って、thisaway さんのおっしゃるように、ハルノートを突きつけられる前に、日本は対外政策を転換するべきでした。「歴史に if はない」とは言いますが、「欧米からの数々の警告を無視しつづけ」、事態がハルノート(日本にとって飲めない条件)に至った後では、遅かったのです。

「自衛戦争か、侵略戦争か」がクリティカルな(決定的な)意味を持つ理由は、第二次大戦当時、すでに(自衛戦争以外の)戦争は違法だったからです。
不戦条約(戦争放棄に関する条約。1928年パリで調印、日本も参加)により、戦争は非合法化されました。同条約と国際連盟規約(1919年締結)により、従来の戦争観(戦争は国家の権利、宣戦布告すれば戦争するのは自由)は制限を受けるようになりました(なお、同条約は期限の定めがなく、今日も効力を有しており、約60の国が当事国となっている)。
しかし、その後の歴史を見るまでもなく、この条約の実効性は疑わしいものでした。条約参加国の多くが自衛戦争の権利を留保したし、違反に対する制裁規定もなかったからです。いわば同条約は「ザル法」でしたが、それでも、それ以後戦争をする国は、周到に「自衛戦争」を自称するのが常でした。

つまり、「すべての戦争は当事国にとって自衛戦争」という、詭弁競争の状況になったのです。そういう経緯がありますから、「日中戦争も日米戦争も、日本にとって自衛戦争」と主張するような輩(やから)と、議論しても無駄でしょう。ややこしいことを言えば、侵略戦争の中にも自衛戦争の要素はありますし。
それよりも、次の冷徹な認識が重要です。
「米国と戦争すれば日本必敗。日本の自存自衛は図れない。つまり、米国相手の自衛戦争はあり得なかった。そこまで追い込まれる前に、対外政策を転換しなければならなかった」

ただし、この論理だけでは、日中戦争を自衛戦争と言い募る余地が残ってしまいます。もちろん私は、中国に対する侵略だったと思っていますが、いまだに反省しない連中と論争するまでもなく、「自存自衛を不可能にしていく自衛戦争は、自己矛盾。日中戦争も日米戦争もそうだった」と述べておきます。


【マッカーサーの上院証言について】
マッカーサー証言をコピペ(コピー&ペースト)しても、その意味が分かってない人がいるようです(No.1回答でしょうか)。どんな質問に対する証言だったのか、確認しておこうとは思わないんでしょうか? 長文ですが引用します。

対訳 マッカーサー証言(1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html
(ヒッケンルーパー上院議員)
5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。
(マッカーサー将軍)
そうです。
太平洋では、米国は日本を迂回しました。そして閉じ込めたのです。
日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。
このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。
(引用終り)

長々とコピペしました。
マッカーサーがこの証言を行った1951年5月は、朝鮮戦争で「中国に原爆を落とせ」と主張し、トルーマンに解任された後のことです。
ヒッケンルーパー上院議員の質問と照らし合わせ、マッカーサーの代弁を勝手にしてみると、次のようになるでしょう。

「中共を封鎖しろ。太平洋戦争前に日本を経済封鎖したように。あの戦略は成功だった。封鎖された日本は、自らの security の必要に迫られ、戦争に打って出た。そこを我々が撃滅したのだ。(中国と日本は資源の有無など状況が異なるにせよ、)中共を封鎖せよ。奴らは(ジリ貧に陥るか、)勝てない戦争に打って出てくるだろう。(日本と同じ罠にはめろ)」

マッカーサーは、一見日本に同情しているようで、実は日本を見下しているんですよ。分かりきった話です。
鬼畜米英が合言葉だった日本人は、敗戦後、掌を返すように占領軍(進駐軍)に擦り寄り、おべっかを使いました。マッカーサー宛に、おびただしい日本語のファンレターが届いたそうです。
そのギブミーチョコレート根性が、いまだに抜けないんでしょうね。「あの元帥様が、自衛戦争と認めてくださった!」と、虫のいい解釈に浸っているわけですか?
麾下の将兵を幾千万と殺されつつ、容赦なき大戦を戦い抜いた闘将マッカーサーが、いくら御役御免になった後でも、「日本が行った戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争」と認めるはずがありませんよ。そういう、まともな解釈力が働かないんでしょうか。

付け加えておくと、このマッカーサー証言を「発掘」して世に喧伝したのは、田中正明、渡部昇一、小堀桂一郎という、お決まりの怪紳士の面々です。
http://members.jcom.home.ne.jp/t-masami/zakki-02 …
> この話は昭和47年発行の『日本無罪論』で田中正明先生が
> 言ってられたのですが、聞くと、原典と突き合せてないということで、
> 渡部昇一さんと話合って原典を突き止めることになり、ニューヨーク・
> タイムズに記事が出ていることが窺え、そこで現物を学生に
> 探してもらうと見付かりました。
> 東京裁判を開くための条例を制定した最高責任者マッカーサー自身が
>「侵略戦争でなく自衛戦争だった」と証言です。どんどん使って
> 宣伝しようと渡部さんと喜び合ったものです。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:31

まず質問の仕方がおかしい。



今の日本では、
漫画本を読みすぎた一部の人を別にすれば、
アジア太平洋戦争のことを
「自存自衛の戦争」などと思っていないでしょう。

それは、学校の堅苦しい教育によるものではない、
メディアや体験的学習を通して
みずから身につけた良心とモラルによる成果なのです。
(だいたい、教科書のせいで「東京裁判史観」とやらが刷り込まれるなどとは、
児童の学習能力を馬鹿にした発想ではありませんか。)

ですから、この問いは、日本の戦争が何であったか、
真実を見つめられない少数の人たちに向けられたものと受け取ってよろしいですね?

さて。
マッカーサー発言については、ANo.12 の人がさんざん語ってくれたので、
私はパル判事のことで言及させてもらいましょう。

パール発言を用いるのは、侵略を正当化したい人の常套策に思えます。
しかし、そのパール判事でさえ、仮にインドが日本に攻め込まれ、
フィリピンやシンガポールのような支配を受けたら、どこまで寛容でいられたでしょう?

インドはけっして、日本帝国主義を擁護しているわけではない。
ネールもガンジーも本当は日本を疑っていたし、
チャンドラ・ボースでさえ、結局は日本を見限ったではありませんか。
パール判事ひとりを崇め、アジアが日本に感謝してると思い込むとは虫が良すぎます。

本当にアジアの声が知りたいなら、
おなじ東京裁判の法廷でA級戦犯容疑者を追及するうち、
怒りのあまり肉体的発作まで起こしたというフィリピン人判事の態度にこそ
日本の占領を被った人々の怨恨が現れていたことに気付いてほしいと思います。

なにしろフィリピンは、
大日本帝国による「自存自衛の戦争」のため百万以上の人命を奪われたのですから。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:29

難しい回答が並んで、かえって私には良く分からなくなってしまいました。

 なので阿呆の私も参加させていただきます。

最近の北朝鮮は「経済制裁は宣戦布告とみなす」といっております。
現在の日本が米に「ハルノート同様の条件」を突きつけられたら日本人はどうやっていきていくのでしょう。 やはり北朝鮮同様「宣戦布告とみなす」と考えるべきではないでしょうか。 

当時、日本の一般国民多数は「英米との貿易・経済協調がなければ日本国運営は成り立たない」ということを知らなかったはずです。 大多数の国民は「おしん並」の生活経済で、自然環境と共生して生き延びる、昔からの原始的郷土共生世界に暮らしておりました。 つまり当時の貧しい日本人一般は「自存自衛」であったといえるかもしれません。

しかしながら、現在の日本人がハルノートを突きつけられたら「生存権」を主張して対米戦準備を即刻開始し、「我々が必要とするものをよこせ、さもなくば攻撃する」と宣告する必要があるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:29

国家として、自立的な思考の基に、自立的な行動に出るべきではあります。


しかしある時期から、国家のある機関が、国家の自立的な思考よりも、自分の利益や権力欲を満たすためにある機関の思考を上において、行動してしまった。
その行動を正当化するために、自存自衛という言葉を使ったのではないでしょうか?
その行動に引きずられるように、国家としての思考もその機関の思考に変わり、自存自衛という言葉が国家の行動を表す言葉になってしまった。
そして、国家として自立的な思考を取り戻し、本当の自存自衛の行動に出るのに、多くの犠牲が出てしまった。
国家としては同じでも、自存自衛の中身は自立的な思考を失ってしまえば、なんの意味も成さなくなってしまうのではないでしょうか?
釈迦に説法かもしれませんが。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:30

私は全く逆だと思っています。



>「欧米からの数々の警告を無視しつづけ」、事態がハルノート(日本にとって飲めない条件)に至っ

た後では、遅かったのです。

とありますが、元々飲めない条件を提示して日本を追い込み、戦争に引っ張り出そうとしたのですから

日本が譲歩しようが、無駄だったと思います。更に過酷な条件を突きつけてくるだけでしょう。

ちなみに私は「いまだに反省しない連中」の一人で「自衛戦争」だと思っていますし、満州に関して
は侵略では無い、と考えています。
また、中国大陸の内部に踏み込んだのは単に中国側の作戦のせいですし、日本だけ言われるのは筋違
いです。
それに、(当事者で無いので想像ですが)日本も緒戦での勝利を持って少しでも有利な講和を目指して
いたのだと思います。No2の方も書いているとおり、だれもワシントンに日章旗を飾ろうなどと考え
てはいなかったと思いますよ。

仮に対外政策を転換すべき、との意見に従うとして、ハルノートを丸飲みするのですか?
満州への投資はどうするつもりなのでしょう?(きっと「国を誤るくらいなら捨ててしまえ、とか
言うんでしょうか」)
移民の問題も、元々アメリカの嫌がらせがあったことも原因でしょう。

>マッカーサーは、一見日本に同情しているようで、実は日本を見下しているんですよ。分かりきっ
た話です。

別に見下していようが、「自衛戦争」と発言したのならそれで結論がでているでしょう。
見下されるのが悔しい(かどうかは知りませんが)、というのと「自衛戦争かどうか」は全く別問題
ではありませんか?

>鬼畜米英が合言葉だった日本人は、敗戦後、掌を返すように占領軍(進駐軍)に擦り寄り、おべっか
を使いました。マッカーサー宛に、おびただしい日本語のファンレターが届いたそうです。

国際法違反であるアメリカの占領統治での 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」
が功を奏し国民を二分した結果でしょう。彼らは被害者だとの発想は無いのでしょうか?

>そのギブミーチョコレート根性が、いまだに抜けないんでしょうね。「あの元帥様が、自衛戦争と
認めてくださった!」と、虫のいい解釈に浸っているわけですか?

ですから、先に書いたとおり、自衛戦争と発言したのならばそれでいいわけでしょ?

>「日本が行った戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争」と認めるはずがありませんよ。そういう、まとも

な解釈力が働かないんでしょうか。

はぁ?
認めているではありませんか。

で、パール判事のセリフには噛みつかないのですか?
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:30

日本は、他の超大国と異なり、他国を侵略、植民地化して自国を豊かにしようなどとは考えてもいませんでした。

台湾や朝鮮でも搾取することなく、インフラを整備して地元住民と協力して生産性と独立性の高い地域を作り出しています。「他国の言語、民族文化、歴史、伝統をふみにじ」ったのは欧米諸国の植民地政策であり、日本のそれは、全くその逆で、満州国でも同様でしたし、大東亜戦争が勃発した以降のインドネシアなどでも同じです。
それに対して、中国国民党などは全く逆のプロパガンダを世界に流し、そちらのほうが都合のよい欧米諸国がそれに同調し、自分たちの権益を侵し、本来欧米の僕であるべきアジア各国に独立の動きが進行することを警戒し、かつ、ナチスドイツと結んだことで、「それ見たことか」と、日本=ファシズムという図式を世界に流布して、言いがかりをつけたのが、質問者が言われる「警告」というものです。
もし日本がそれを受け入れて全てから手を引いたら、アジアの欧米植民地化と、中国大陸の欧米、国民党による暗黒の時代が、延々と続いたはずです。朝鮮半島などは、ソ連の支配下に陥り、それ以前の李氏朝鮮時代の暗黒時代に匹敵するような地域になったと思います。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:28

そもそも、


「自給自足の農業国」だった日本を、無理やり開国させ、
国際競争の渦中に引きずり込んだのは、
米国を始めとする欧米列国です。

その点だけをとっても「自存自衛」
と言えるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:27

明治の産業革命で日本はがらりと変わりました。


欧化政策はたしかに日本の発展をもたらしましたが、明治末期・・・ここで思わぬ落とし穴があったのです。

「人口増加」。

国内の人口が飽和限界を超えてしまっていたのです。
とても日本だけでは養えない状態だったんです。
その最初の入植地、満州は入植の為の実験国家だったんです。
さらに予備実験が朝鮮併合です。

そして1さんの言われる通り、南方進出を開始しました。
日本は一気に太りすぎたんです。
肥えた成金どもは更なる肥やしを必要としたのです。
必要以上に太りすぎたために太平洋戦争で一気にダイエットしましたが。
オチは戦後のリバウンドですね。

あとは国内を押さえられなかったら、海外に目を向ける。昔からの常套手段です。
自給自足を捨てた国の末路ですよ。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:27

あなたの質問を純粋に質問だとして回答しますと次のようになります。


 答え「日本人はいくら警告されようとも白人にはなれないからです。」
 
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:26

元々、


革命が起きて没落した清の元皇帝を日本に釣れてきたまでは良いのですが、
その後、満州地方を日本軍の武力で制圧。

「清の皇帝は天皇の親友であるから、国をプレゼントした。」
ここが異様におかしいのです。
皇帝を日本に釣れてきたのは、日本陸軍情報。
停戦無視したのは日本陸軍。

満州国自体に国政の決定権は無く、中国、ソ連国境を守るのは日本軍。
実際は、親友をしもべにし、いーだけ利用しまくったのです。
これが柳条溝です。

これに対しての国際連盟の決議。
これが警告になります。
無視して国際連盟を脱退します。

この時点で、
もう、話し合いで解決出来る国ではない。
(軍事力で解決するしか無い)
こう判断したのでしょう。

この後、まともな話し合いが起きなかった事でもうかがえます。

実際、内乱を起こさせるとか、革命を起こさせて同盟を組み、その後共同で軍事行動取るとか、ほんの少しでいいから頭使ってよ。
朝鮮、台湾にしたって、ほしけりゃ即座に県にしちゃえよ。
と言うのが感想です。

やらかした事は、他国の言語、民族文化、歴史、伝統をふみにじり、日本語教えてあげた。学校に行かせてあげた。
です。

そうでなく、他国の言語、民族文化、歴史、伝統を重んじ、互いに協力しあうのが人間です。

>自存自衛だったといえるのでしょうか。
殆どの方が、自存自衛の回答です。
私もそうは思います。

ただ、自衛するならもう少し頭使えよ。
これが感想です。
アフォな私がこう思うのですから、相当頭悪いやり方してます。

味方を付ける努力もせず、国家も、国民も貧しいままです。
兵法を重んじた戦国大名の方が、頭はもっと切れています。
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この回答へのお礼

遅くなりましが、御回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/08 10:25

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Q自衛隊創設の背景

どのカテゴリーが相応しいか迷いましたがここに投稿させていただきます。
 自衛隊は朝鮮戦争の際に前身である警察予備隊が創設されたのが始まりと習いました。 なぜ朝鮮戦争の際にGHQは警察予備隊を作らせたのか。そして、なぜサンフランシスコ平和会議の翌年である1952年に保安隊とし、1954には自衛隊にしたのでしょうか?そこらへんの背景を分かる方いらっしゃったらお力貸して下さい。

Aベストアンサー

こんにちは。 

私の父の経歴を見ると、戦前から戦後の日本軍の行動の跡が実に鮮明にわかります。 

昭和七年、新京に五族共和をモットーに開校した大同学院に学び、卒業と共に熱河省豊寧県の参事官に任じられ、奉職。 ここの県令はあの川島芳子です。 ノモンハン事件に備え、地形等詳細な調査を命じられる。 この後は東京赤坂にあった総力戦研究所にて、米国との戦争の是非を巡って、研究報告。 

戦後は、元鳥取県知事だった林敬一氏が初代の警察予備隊の幕僚長に就任され、彼に招かれ予備隊の時から参加しています。 当時は九州の久留米の駐屯部隊が主力でした。 それと北海道の名寄にも、もう一つの主力部隊があったように記憶しています。 久留米は当然朝鮮半島からの共産ゲリラ対策、名寄はソ連が仮想敵国ということです。 

Q太平洋戦争はやはり自衛戦争だった

太平洋戦争はやはり自衛戦争だったと最近確信するようになりました。


あらかじめお断りしておきますが、僕は歴史に関してはド素人です。初めは学校で習った通り日本は悪の帝国で侵略戦争を仕でかしたと普通に思ってました。


しかし、元はと言えば、アメリカが国際連盟設立時に人種差別を目論んだり、その後排日移民法を制定して日本に敵意を剥き出しにしたり、更に経済封鎖をしたりして日本を追い詰めていった事を考えると、完全にアメリカが仕掛けた戦争だったとしか思えなくなりました。


マッカーサーも戦後、米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と証言したくらいですから、議論の余地はないと思います。僕のこの結論に間違いはありませんか?

Aベストアンサー

まず、個別の事例(人種差別や排日政策や敗戦やどちらから始めたか、避けられなかったのか)を否定しても、大東亜戦争が自衛戦争であったことの否定にはなりません。
(それらと全く関係がない自衛戦争であったという可能性もありえます。)

この問題では、↓のような意見がよくでますが、それらは今回の質問とは関係のない事だと思います。

避けられなかったか?という意見については、何故か同様にアメリカにも言っている意見を聞いたことがありません。(そういう意見の方は、相手がどのような横暴であっても、日本だけは可能な限り誠実に対応するのが当たり前だと思っているようです)

「勝てば官軍」とか嘯いている人は、国際法に無知であり戦争に言及する資格がないと思います。

自分と違うアメリカの行為への評価を「陰謀論」として、それを否定してみせることで対日政策自体を正当化する意見もよく見られますが、陰謀以前に中立国としての義務を逸脱している事を語った意見はないようです。
(事実にあからさまな嘘を混ぜることで、全てを嘘だと誤認させるのは詐欺師の常套手段です)


>僕のこの結論に間違いはありませんか?

質問者の「結論」と質問の焦点が「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」ということだとしたら、総論としてはそうだと思います。

しかし、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」というのは、「日本は無罪である」と言うのと同じであるので、証明は不可能に近いと思います。(ヒント:悪魔の証明)
そもそも、「大東亜戦争は自衛の為の戦争だった」という主張自体が、連合国の「侵略戦争だった」という主張への反論です。

なので、自衛戦争であることの証明ではなく、(不可能ですし)侵略戦争であることを否定すればOKです。
そして、本来は「侵略戦争である」と主張する側がその証拠を出す義務があるのですが、この質問は立場が逆になっているので、よくある主張(他国の領内に行って戦闘をした=侵略である)について説明します。

私の考えは、
【当時は、日本軍の行為を侵略と断定できる国際法の条文はありません】
ということです。

この場合、侵略の定義(=どのような行為か)が問題になります。
私は、時代と人の数だけある正義感とやらでそれを考えたり、全てを知っている(と思っている)現代人の立場から、過去の暗中模索で苦悩していた当事者の行為を評価して愚かと嗤って、ごりっぱな人間 を気取る趣味はありません。

当時の国際法では侵略の定義は明確ではありませんでした。

侵略戦争が国際法で違法とされたのは、WW1後のパリ条約によるものですが、
その条約では加盟国の様々な事情で、侵略か否かの決定が

【当事国の裁量権に任せる】

となっており、これでは当事国が 「私は侵略をしました」 と言わない限り侵略にはなりません。

しかし、それでも侵略が違法となった以上、正当な戦争の条件である「自衛権」も問題になりましたが、
当時のアメリカは、↓のように言っています。

【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】
【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】

↑は、他国に軍隊を出して戦闘を行っても、侵略の十分条件にはならないということで、
侵略の定義など存在しないのと同じであり、事実上ザル法です。



当時の北東アジアの情勢ですが、
よく勘違いしている方がいますが、↓のような状態で当時の満州の領有権は確立していません。

日清戦争で日本は遼東半島を獲得しましたが、その後三国干渉によって返還させられています。
その後、ロシアは義和団事件に乗じて満州を占領したため、日露戦争がおこります。

日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

↑のように日本は、南満州の特殊権益は国際的に認められていました。
アメリカも1917年の「石井・ランシング協定」により、これを認めています。

満州鉄道に関しては、行き違いからアメリカが経営に参加できず、それが反日の一因となっていることは事実ですが、その後の反日政策(中国への支援や資源の禁輸)自体は、後述するように戦争行為であり、それに対抗した日本の行為は自衛であると思います。

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
当時の中国領には多くの国が投資しており、在中外国人(日本人も含む)も多かった為に、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これを侵略とするなら、その原因となった中国軍の行為も侵略であるはずです。

満州の領土化は、以上のように国防上の為のものでありましたが、
同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
満州事変以前の国境線のまま中国と接した場合、テロや破壊活動を阻止できませんでした。

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

アメリカは、中国の市場を日本から奪う為に、日中戦争では国民党(蒋介石)を支援しました。
【義勇軍】という名目で兵士も派遣し、大陸で日本と戦闘もしています。

国際法では、この時点でアメリカは中立ではなく、日本と戦争状態にあると見做されます。
ということは、真珠湾以前から日米は戦争状態であり、(宣戦布告もなく)先に仕掛けたのはアメリカということになります。

「日中戦争」について日本が「戦争」としなかったという意見もあるようですが、どちらかが宣戦布告さえすれば「戦争」にはなります。
中国が宣戦布告しなかった理由ですが、
アメリカには「中立法」というものがあり、「戦争」になった場合アメリカの中国支援はこれに違反している事になるからです。
(「戦争」になったのは真珠湾攻撃の後(1941年12月9日)に中国から宣戦布告をしたからです)

中立法:戦争状態や重大な内乱状態にある外国に対して武器・弾薬類を輸出することを禁止するアメリカの法律。


その後のABCD包囲網とハルノートが日本に開戦を決意させました。

この経済制裁についても、東京裁判で日本の弁護についたローガン弁護人が↓のように言っています。

【自衛権は経済封鎖にまで及ぶ。一国の生存に必要な物資を奪う行為は、国民の士気・福祉の破壊を目的としている分、武力による殺人以上に激烈な 戦争行為 といえる。】


以上から、人種差別や排日政策などとは関係なく、
日中戦争の原因が中国のテロ(侵略)であり、
大東亜戦争の原因が日中戦争への、アメリカやその他の連合国の介入に対するものである以上、日本の戦争は侵略目的のものではないと思います。


日本がアジア諸国を植民地にしようとしたという意見もありますが、そう言っている人が根拠を出したのを見たことがありません。
そのアジア諸国ですが、「アレは侵略ではない」という認識から連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI

戦中に開かれた「大東亜会議」では、アジア諸国の独立を認めています。(動画も参照)
(日本は占領後のフィリピンを「フィリピン共和国」として独立させています)

http://www.youtube.com/watch?v=LgmCsWEq_bk

まず、個別の事例(人種差別や排日政策や敗戦やどちらから始めたか、避けられなかったのか)を否定しても、大東亜戦争が自衛戦争であったことの否定にはなりません。
(それらと全く関係がない自衛戦争であったという可能性もありえます。)

この問題では、↓のような意見がよくでますが、それらは今回の質問とは関係のない事だと思います。

避けられなかったか?という意見については、何故か同様にアメリカにも言っている意見を聞いたことがありません。(そういう意見の方は、相手がどのような横暴であっても...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたの

兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦まで、その考えに固執したのには、よほど強烈な思想があったのではと、愚考しています。
日清戦争で、早くも「因糧於敵」の方針が示されています。
穿った見方をすれば、陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。

 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。

 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。

 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。

 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。

 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。

 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。
 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。

 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。

 閑話休題 

 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。

 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。

 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。

 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げら...続きを読む

Qどうして南部仏印に進駐したのか?

僕は歴史の授業で、日本軍が南部仏印に進駐したことによって米国が態度を硬化させ、ハル・ノートに至ったと教わりました。
では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

大東亜戦争は自衛のためだったとは思いますが、援蒋ルートを遮断するなら北部仏印まででよかったのではないでしょうか?

Aベストアンサー

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、それに乗せられた政府と軍人によるものだと思います。

日本は、ドイツのフランス占領を契機に外交交渉をして、1940年に北部仏印に進駐しました。
それが原因で、米国は屑鉄の対日輸出を全面的に止めました。

その3ヵ月後、タイと仏印との間で国境紛争が起こります。
日本は、間に立って調停を行い、1941年タイ・フランス平和条約が成立させます。
(この功績で日本の評価が上がった事に不満な米英は、オランダ領インドシナに日本への石油の禁輸の圧力をかけました。)
その為、日本は南方に資源を確保する必要に迫られました。

一方で、英国はビルマルートから中国に支援をしていました。
このビルマルートの遮断と、南方の資源確保の為に、日本は南部仏印にも進駐する必要がありました。

日本は仏印政府と交渉して1941年に南部仏印に進駐しました。
これは外交による平和的なものでしたが、アメリカはこれを南方への侵略準備と見なしました。

参謀本部の田中第一部長は手記に「仏印、タイを我が軍事的結合圏内にすみやかに編入するため、取りあえず、仏印南部に所要の兵力を進駐させる必要がある。
その目的は全仏印の実質的把握…更にタイに、にらみを利かせ…情勢に応じてはビルマに進駐する為の基地とするにある。
これによって対支封鎖の陣形は完成される」と書いています。

また御前会議の理由書にも
「…最近米国ヲ中心トスル英米蘭支ノ戦略態勢強化…若シ帝国トシテ速ヤカニ之ニ対抗スル措置ヲ執ルコトナク…日ヲ閲スルニ於テハ…支那事変ノ 解決ハ更ニ遷延スヘク…帝国トシテハ此ノ際仏印・タイ全域ニ渉リ帝国ノ軍事的地歩ヲ先制確保スル要極メテ緊切ナリ…」
とあります。

以上から、日本の真の目的は支那事変の解決であり、仏印進駐はその為の資源確保の必要からのものです。

その支那事変ですが、戦争を仕掛けているのは中国です。
英米蘭はそれを理解せずに、被害者である日本だけに制裁をし、加害者の中国には支援をしています。
(彼らはWWIIの終戦後、朝鮮戦争やベトナムでやっと中ソに騙されている事と共産主義の危険性を理解しましたが、既に後の祭りでした。)


スパイ(尾崎秀実)の工作ですが
欧州で独ソ戦が始まったとき、日本は↓の選択を迫られました。
北進論:ドイツを助けてソ連を攻撃する。
南進論:資源確保のために南方に進出する。

ソ連のスパイである尾崎の任務は、日本を南進論に導くことでソ連が日独に挟撃されることを阻止することでした。

日本は支那事変の和平を成立させる方向で動いていましたが、ナチスドイツの快進撃を材料に、近衛と尾崎が三国同盟を締結し南進に向かわせました。

http://www.youtube.com/watch?v=5aowyJM8Cpc

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、...続きを読む


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